【インド/デリー】きっともう見つけているんだよ

お、今日もきたな

ニューデリーの中心地域であるコノートプレイスに行くとさすがに洒落た店が多い。生きのいい若者とリッチな大人たちのバランスがちょうど良く、東京で言えば原宿から表参道、青山あたりの雰囲気だろうか。ファストフードもカフェもバーも多国籍料理の隠れた名店もなんでもありそうな感じがある。基本的にインド人女性は肌の露出が少ないが、ここでは短めのワンピースを着ている美女を見かけた。ぼくのような外国人もいるのだろうが人出の絶対数が多いので全く目立たない。車が一時停止して道を譲り合っている。ここには大都会のソフィスティケートがある。刹那的に生きる市民の消費生活がある。

夜にホステルに戻るとダーとコリーがうるさい。ドミトリーでも一緒にスマホゲームをやりながらほとんどずっと話しているがそれだけではなく、彼らは毎晩、何人かの仲間と一階のコモンルームでなんかのボードゲームをやっているのだ。酒も飲んでいるのだろう。彼らの騒ぎ声はドミトリーにもきこえてくる。ときどきすごい勢いで階段を駆け上がってくる音がすると、それはコリーだ。ゲームでハイになり酔っ払っているコリーは毎晩すごい勢いで階段を駆け上がってきて、ドミトリーのトイレに走り込む。すると三秒後にすごい勢いでうんこをぶっ放す音がする。毎晩だ。ぼくは毎晩コリーがすごい勢いでうんこをぶっ放す音をきいている。階段を駆け上がってくる音がすると「お、今日もきたな」とぼくは思う。

ぼくは自分のベッドで、目隠しカーテンを引いて、買ってきた瓶ビールをこっそり飲みながら、だいたいkindleで本を読んでいる。初日にぼくも、ダーとコリーにそのなんとかというボードゲームを知っているかと尋ねられたが、ぼくは知らないと答えた。フレンドリーな人たちと仲良くなれそうだなと思ったが、フレンドリーすぎるとぼくは一歩引いてしまうたちだ。彼らのテンションについていくときっとどこかで無理をしてしまう。このあたりは旅と無関係の人生経験として、経験上分かっている。

 

道は無い、でも行けるよ。

翌日、ハウツ・カズ・ビレッジという、アートが盛んらしい地域に行く。マンハッタンのグリニッジ・ビレッジを想起させる地名だが、ハウツ・カズ・ビレッジは概ねツーリスティックだった。国内外の観光客に向けて「開発された」という印象があった。だから飲食店の並ぶ賑やかな通りをほとんど脇目もふらずにぼくは通り抜けてしまい、気がついたら店なんて一つもない空き地に出ていた。周囲は住宅だ。しかもどちらかと言えば貧しい地域かもしれない。時刻は夕方。空き地では小学生くらいの少女たちが遊んでおり、ぼくが通り抜けて行こうとすると少女のひとりが「No way」= そっちには道がないよと言った。
ぼくはとっさに言葉が出ず、No wayとは言うものの英語が通じるとも思えなかったので立ち尽くしていると、別の子が「You can go」= そっちに行けるよと言った。行けるのか、道がないのか。二人の言うことは食い違っている。迷ったぼくは、三つのパターンを考えた。

ひとつ。少女Aは道がないと思っており、少女Bは道があると思っている。
ふたつ。道はあるが、少女Aはそちらに行って欲しくないと思っており、少女Bは行ってもいいと思っている。
みっつ。道はあるが、少女Aはそちらに行かないのがぼくのためだと思っており、少女Bは行きたいなら行かせとけばいいと思っている。

私道という可能性もある。ぼくは少女たちの表情を見て、ジェスチャーで「本当に行っていいの?」とアピールした。道があったとしても雑草が生い茂っているのでいわゆる獣道でしかないのであるが、個人的には行きたい。だが迷惑ならもちろん引き返す。少女たちが出した結論は「You can go」だった。
獣道を進むと、向こうに探索しがいのありそうな公園が見えてきたが、公園とこちら側は背の高い金網で遮られていた。道は無かったということになる。しかし、左右を見渡すと一箇所だけ金網が破られて壊れているところがあり、背中を丸めてそこをくぐることでぼくは向こう側のアスファルトに降り立つことができた。
二人の少女が言ったことは両方とも正しかったことになる。No way しかし You can go。道は無い、でも行けるよ。

 

きっともう見つけているんだよ

この晩も目隠しカーテンを閉めたベッドでこっそり瓶ビール(スタウト)を飲み、夜食でチョコマフィンを食べた。くつろいでいると、かなり久しぶりの人からメッセージがきていた。モンゴルのウランバートルで世話になったドックだ。もう六ヶ月か七ヶ月前になる。あれ以来連絡はとっていなかった。ぼくがまだ旅を続けていることはInstagramFaceBookで知らせていた。当たり障りのないやりとりのなかで、ドックはぼくに「旅する理由は見つかった?(Have you found the reason of your travel)」ときいてきた。なんでこんなことをきくのだろう。そう言えば、ぼくはうっすらと思い出した。多分ドックは一度ぼくに「どうして旅をするのか」ときいたのだと思う。そのときぼくはきっとこう答えた。「わからない。その理由を旅で探している」と。日本語にするとすごくナイーブな質問とキザな回答だが、すべてのやりとりは英語なのでこういう会話も意外とあっさり行われる。ドックはそれを覚えていたのだろう。

ぼくは「見つかってない」と答えた。自分が旅する理由は事実いまだによくわからなかった。するとドックはこう返してきた。「きっともう見つけているんだよ」。日本語なら気恥ずかしかったり、社交辞令になったりしてしまうこうしたやりとりが、異国の友だちを相手に英語で交わされるとき不思議に心にスッと入ってくる。

(たいchillout)

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【インド/デリー】お前から話しかけた人間だけが信用できる

300ルピーなら俺は乗らなかった!

深夜特急の当初のコンセプトはデリーからロンドンへ向かうことだった。ひょんなきっかけから沢木耕太郎は香港と東南アジアをその"前哨戦"として旅することになったが、多くの読者にとって、そしておそらく沢木氏にとっても旅のハイライトは一カ国目の香港だった。

デリーに来てみて、ぼくはそれほど感慨は湧かなかった。同じインドであればコルカタカルカッタ)の方が沢木ファンとして思い入れが強い。深夜特急のデリーパートはあまり記憶に残っていない。

新市街のホステルで一泊したところで、さっそく翌朝に二泊の延長を申し出る。朝食時に居合わせたインド人ゲストに「デリーのメトロは綺麗だね」と言うと驚かれた。先進国であるジャパンはもっと綺麗だと当然のように彼は思っていたらしい。実際はそうではない。東京の地下鉄は路線によるが古いし天井も低くて狭い。音もうるさい。デリーは新しいので綺麗だ。そしてハイテクだ。
ぼくは世界各地で地下鉄に乗ってきたが、ひどいのはアメリカだ。ニューヨーク。そしてボストンは戦車みたいに古めかしい車両だった。駅もかびくさくて改札もローテクだった(アメリカに行ったのはこの旅以前の話だ)。(この旅を終えて振り返ったところで言うと)パリやロンドン、ローマもすごい。たいがいだ。要するに、古くから栄えていた都市の地下鉄は古くに建設されているので老朽化しているということ。デリーは新しい。シンガポールや中国の南寧、そしてドバイも綺麗だった。皆、都市としての歴史が浅いからだ。

ホステルのランドリーサービスが割高だと感じたので、近くのクリーニング屋に洗濯物を預けてきた。カフェでコーヒーを飲み、村上春樹の既刊をkindleで購入し、ネパールで会ったゲイルとメッセージを交換した。街歩きを再開して、バナナを二つ購入、ポテチ(スペイントマト味)も買った。小雨が降っておりそれほど快適ではない。デリーの街の感じを二日目のこの日、ちょっとずつ掴んでいく。昼食はカレー屋。ベジタブルカレーに二枚のチャパティで58ルピーだ。80円くらい。

ぼくは次の目的地をほとんどムンバイに決めており、問題は鉄道チケットだった。昨日行ったホステル最寄りの駅でムンバイ行き夜行列車について尋ねると、ここでは買えないからnizamuddin駅に行けと言われたのだが、今日nizamuddin駅に行くと駅構内の窓口をいくつもたらい回しにされた挙句買えなかった。そこで、気まぐれに、悪名高いと言われるデリーの旅行会社に入ったが相場を知っているぼくにはやはり高い。もうひとつのターミナル駅である「ニューデリー駅」へ向かうことにした。
歩き疲れたので、リキシャにトライした。それほど値切るつもりもなく、手近にいたドライバーの中で比較的若く好青年風の男に向かっていくと120ルピーと言うので、「よしそれでOK」と言い値で彼のリキシャに乗ったのだが、いざ到着したとき男はこう言った。
「けっこう登り坂で大変だったので300ルピーにしてくれ」
ぼくはドキッとしたが、負けてなるものかと思い、
「300ルピーなら俺は乗らなかった!」
と言って120ルピーを座席に叩きつけて振り返らずにその場を後にした。追いかけてこないだろうと思ったが、やはり追いかけてこなかった。

 

余裕がない人間の思考

そこからメトロに乗ってニューデリー駅に行く。券売機に並ぼうとしているときに誰かが横から割り込んでくる気配を感じたので、ぼくは頑なになって自分が先に買おうと前に出ようとしたがタイミングが少し遅く、やはりぼくは後になってしまった。しかし、割り込んだように見えた男はぼくに「いいよ買いなよ」と先を譲った。ぼくは困惑したが彼の好意に甘えた。
そしてぼくは気がついた。頑なになって先に並ぼうとしたのはぼくだけだったということに。インド人は(というか日本以外の多くの国の人は)並び順をそれほど気にしない。券売機でも空港でも飲食店でも列が乱れていることが多く、ぼくはそれに懸命に理解を示しながらも、それでもやはりイライラすることは多々あった。ぼくは「人に迷惑をかけたくない」という思いが強く、その分「人に迷惑をかけて欲しくない」という思いも強い。デリーのメトロで券売機に向かったとき、ほとんど無意識にぼくは「インド人だからまた割り込まれる」と思ってしまった。旅慣れているというプライドもあり、「負けたくない」と思ってしまった。それは偏見で、そして余裕がない人間の思考だった。

 

青いジャンパーの男

ニューデリー駅で、ムンバイ行きの寝台チケットが買えた。コルカタからバラナシに行くときはAC3クラスだったが 今度はひとつ下のSleeperクラスのチケットだ。今は冬だからエアコンは要らないという判断もあるし、AC3でなんとかなったからSleeperでもいけるだろうという判断もあった。お財布事情もあった。イェジィもSleeperで無事ゴアまで旅をしたようである。ブランケットはないらしいが寝るときはウィンドブレーカーをお腹に乗せれば良いだろう。
ニューデリー駅でもぼくは迷い、窓口をたらい回しにされ、詐欺師らしき怪しい男につきまとわれたが、途中颯爽と現れた青いジャンパーのインド人の男(背中に1933と刺繍がある)に救われ、彼に正しいチケットオフィスまで案内してもらった。青いジャンパーの男は「インドで向こうから寄ってくる人間の言うことは一切聞くな。お前から話しかけた人間だけが信用できる」とぼくに忠告した。

(たいchillout)

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【インド/デリー】市ヶ谷から丸の内まで

The Artful Baker

バスがデリーに到着したのは早朝。

シートで寝ながら一風変わった夢をみた気がするがなにひとつ覚えていない。外は寒く、真っ暗だ。いま自分が巨大なバスステーションにいるという予感はある、しかしその全体像は掴めていない。
空が明るくなるまでこの降車地点から移動しないことに決め、例によってすぐそばにあった露店でチャイをたのんだ。
足元をねずみが走り抜ける。チャイ屋の男は、この寒い中で素足にサンダル履きである。
バスから降りた客とバスを待つ客がおり、チャイを飲む人間もいれば、食事をする人間もいる。皆なにかを待っている。ぼくは夜が明けることを待っており、ついに二度目のインド入りしたことを感慨深く思った。

明るくなり、メトロに乗って街中へと移動を開始する。チェックイン時刻にはまだ早いのでとりあえず漠然と「街中」を目指している。メトロのチケットは半券ではなくコインの形をしている。メトロの中はきれいだ。コルカタとはずいぶんと違う(バラナシにはメトロがないし、ネパールには鉄道がなかった)。早出の通勤客が多い。皆が力の抜けた顔で押し黙っている。セーターにジーンズにリュックという垢抜けたインドの男たちだ。眠いのだろう。お互いに無関心な大勢の人々。それは、ここが都会であることの証明なのである。
適当な駅で降り、地図アプリで探したスターバックスを目当てに歩いたが、そこにスタバは無かった。こういうことはこれまでにもときどきにあった。スタバじゃないカフェがスタバとして登録されているのだ。仕方がないのでそのスタバじゃないカフェに入る。The Artful Bakerという名前のカフェだった。パン屋のように小さく、お洒落なカフェだった。というかパン屋なのかもしれない。The Artful Bakerでぼくはアメリカーノとバタークロワッサンをいただいた。

カフェを出ると路上で写真撮影をしていた。カメラマンの男性とパンク風のセクシーな衣装を着た女性の二人組だ。雑誌の撮影か、あるいは本格・インスタグラマーか。デリーはインドのエンターテインメントの発信地でもあるのだろう。国産エンタメ産業の規模感で、その国の真の豊さが分かる。日本を除くアジアであれば韓国のカルチャー群はやはり圧倒的。今まさに大勢の若者が大挙してエンタメを消費し尽くそうという熱気があるのは、中国の本土やタイだろうか。シンガポールや香港、台湾にもセンスの良い若者が多いが、母数が少ない。その点インドには期待できる。ボリウッドという言葉もある。インドのエンターテインメントは内需の大きさを武器に大発展を遂げ、いずれ世界的な影響力を持つだろう。

 

Starbucks

バックパックを背負いながらまだ朝早いデリーを歩き続けた。バス停のベンチで腰を下ろして休憩していると「ガイドをしてやる」と声をかけてくる男性がいたが、断った。カンボジアで会ったカズキ新疆で会ったS君いわく、インドで詐欺・ぼったくりが一番ひどいのはデリーらしい。ほとんどの観光客がデリーの空港からインドへ入国するからだろう。ぼくがコルカタからインド入りするつもりだと言うと、二人ともそれが正解だと言った。
東京に例えると、ぼくは市ヶ谷あたりでメトロを降りて、靖国神社の脇を通り、九段下側から皇居を回り込んで丸の内に向かって歩いたような感じだろうか。地図上ではデリーの中心地なのに意外と人が少なく、公的な雰囲気のある建物や広場をいくつか通り過ぎた。そしてやっと周囲に活気が出てきたところでスターバックスにありついたわけだ。
インドのスタバにはショートサイズがあった。外国のスタバに行ったことのある人なら誰もが知っていることだが、外国のスタバにはショートサイズがない。本家のアメリカもそうなのだから日本が例外なのである。つまりショートサイズは少食の日本人向けの「ローカライズ」なのであるが、興味深いのはインドも同じ扱いであること。むろん、考えてみればその理由は自明だ。インドには、スタバのショートの半分よりもさらに小さいコップで飲む「チャイ」という文化が根付いているのだから。
デリーのスタバには朝の活気がある。ぼくの隣には隙無くスーツを着込んだビジネスマンが座っており、背筋を伸ばしてノートパソコンを開いていた。
東京にいて、自然かつ格好良いスーツの着こなしをしている人を見かけることはほとんどない。自然に着ている人はだいたいみすぼらしいか不潔だし、格好良く着ている人はほとんどの場合、一生懸命なオーラが出てしまっている。一生懸命なオーラというのは、異性にとってはそれほど気にならないが、同性にとっては近寄り難さの一因になる(これは女性同士であってもそうなのではないか)。
他方のインド人がスーツを着ると自然で格好良く、しかも品があってゴージャス、ということになる。

10ルピーの市バスに乗ってホステルのある新市街へ向かうと、途中でバスが止まった。どうやら故障らしい。乗客全員がその場で下され、後からきた同じ方向に向かうバスに全員で乗り換えた。おかげでひどい満員である。座る場所もない。地元の人ばかりなので背負ったままのバックパックが場所をとるのが心苦しかった。

チェックインしてシャワーを浴びた。前日の夜明け頃に出発したバルディヤから、ほとんど休みなしの、ここ最近では長めの道程を経てやっと一息というところ。
ドミトリーメイトにはカナダ人男性のコリーとタイ人女性のダーがいた。二人はここに長期滞在しているのか、既にかなり打ち解けている。ダーは日本の漫画(特に『東京喰種』)、や日本の音楽(特に『X JAPAN』)、日本の化粧品が好きだと言った。

(たいchillout)

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【ネパール/マヘンドラナガル】俺はイミグレが必要だ

マルチタスク

ネパール西端の国境の町マヘンドラナガルに到着し、その足でバスターミナルを訪ねてその日の夕方に出るデリー行き夜行のチケットを買った。マヘンドラナガルに行けばチケットはあると言われていたので、それを信じてやってきたが、実際に買えて安心した。この町は泊まらずに通過する。なにも知らずにここまできたが、バルディヤよりもよっぽど町として成立している感じがあり、二、三日いても退屈はしないだろう。全体として乾いた印象がある。山地から低地へと降りてきたのだ。インドは近い。

バスまでに時間があったので、薄暗いバーでグァバジュースを飲んだ後、宿泊はしないがシャワーだけでも浴びれないかと二つのホテルに続けて飛び込んだ。熱いシャワーに、占拠できるトイレとコンセント、荷物を広げられるスペース、それにWiFiと併設の食堂が三時間だけでも手に入れば旅人のエネルギーはチャージされる。
ひとつ目のホテルでは盲目の男性スタッフが現れ、部屋を見せてもらう。ぼくはこれだけは抑えておきたいポイント「ホットシャワーはあるか?」を訊ねると「ホットシャワーはない」と言われた。
ふたつ目のホテルでは最初から「一泊しない。数時間でいいんだが、ホットシャワーの出るいい部屋はあるか?」と訊ねた("いい"のニュアンスは"比較的高級な"ではなく、"自信を持って提供できる"という意味だ)。「ある」と言うのでここに決める。値引き交渉を終え、一室に案内された。
ホテルだけあって良い部屋だ。洋風ではなく、調度があくまでネパール・インド風であるところもいい。早速バックパックを広げ、未使用の着替えを取り出してベッドに並べ、服を脱いだ。
だがしかし、満を持してひねった蛇口から流れだしたのはまぎれもないコールドウォーターそのものだったのである。ぼくはあらゆる角度に蛇口をひねり、あらゆるポジションでそれを一時停止し、その度に数分間待った。待てば水がお湯に変わるかもしれないと思ったからだ。それを一周し、それでもダメだったので、ぼくは待つ時間が足りないのだと思い直し、もう一度あらゆる角度に蛇口をひねり、あらゆるポジションでそれを停止し、その度にさっきよりも長い時間待った。薄着であるうえに水温を確認するために手で水を受け続けたため、身体ははじめよりも冷えている。体力を養うために宿をとったのに、念を入れてホットシャワーの有無を口頭で確認したのに、それでもダメだったか。ぼくは服を着直しレセプションに出向いて「なんとかしてくれないか」と言った。スタッフの男性は「日中は出るはずなんだけどなあ」と首を傾げぼくの部屋についてきて、ぼくがさっきやったのと全く同じことをシャワーに対して試した。しかしホットシャワーは出なかった。ぼくはもう諦めかけていたが、男性は最後の手段として暖めていたのか、エレクトリックウォーターをやろうと言い、フロントから道具を持ってきた。エレクトリックウォーターというのは日本では「投げ込みヒーター」と言われるものだ。投げ込みヒーターは、電源コードと、持ち手と、ステンレス素材でできており、電源を入れるとステンレスの部分が発熱する。それをそのまま水の溜まったバケツなどに入れておくと水があったまるという仕組みだ。バケツヒーターとも言うらしい。電気ケトルの仕組みはこれの応用だろう。
エレクトリックウォーターのやり方を教えてもらい、バケツを借りたぼくは、バケツいっぱいのお湯を沸かし、それで少しずつ身体を洗いながら同時に新しい水を注ぎ足して新しいお湯を温めるというマルチタスクを必死こいてやり抜いた。

 

俺はイミグレが必要だ

それでも休憩にはなるものだ。浴室から出てベッドにひととき身体を横たえたら、ぼくは早めにチェックアウトしあらためてバスの乗り場を確認してから町を少し歩き、陽がくれていくような時刻にデリー行きのバスに乗った。この町は嫌いじゃない。国境だからか商売の匂いがある。物流の活気がある。カトマンズやポカラはどこか超然としているところがあった。山に守られており、インドとは違うのだという感じがあった。マヘンドラナガルには神秘がなく、代わりにいい意味での俗っぽさがある。
バスが走り出すとすぐに国境だった。どうやら乗客に外国人はぼくひとりだけだった。他は全員がネパール人かインド人だ。ネパール人とインド人はお互いの国をフリーパスで行き来できる。これは少しやばいかなと思った。なにがやばいのか。イミグレでパスポートチェックをしないかもしれないとしたらやばいのだ。不法入国になる。
ぼくは地図アプリを起動し、バスがまだネパール国内を走っていることを確認し続けた、そして国境に近い場所で一時停止する。止まってくれたか。念のため、乗務員の青年が通路を歩いてきたときにぼくは彼に向けて自分のパスポートを振って「俺はイミグレが必要だ」ということをアピールした。男性は頷いた。しかしバスはそのまま走り出した。
地図アプリ上ではインドに入国してしまった。洒落にならない展開がついにきたかもしれない。そう思っていると、バスが再度止まり、ぼくのところに乗務員が来た。男性は慌てており、ぼくを連れてバスを降りた。ネパール側のイミグレはやはり通り過ぎてしまっており、急遽ぼくはひとりでトゥクトゥクで引き返し、出国審査をすることになった。言わんこっちゃない。イミグレに戻るとそれは工務店の事務所のような大きさで、しかも閉まっている。ぼくは後ろで待っているトゥクトゥクの男に「閉まっている!」と言った。言ったところでどうにもならない。だが裏口のようなところが開いており、なんとかぼくはネパールを出国することができた。その出国審査もまどろっこしく、ぼくはトゥクトゥクの男がもう帰ってしまった可能性を何度も考えたし、バスがぼくを置いてデリーに行ってしまった可能性はかなり高いと考えた。
だが、トゥクトゥクの男は待っていた。トゥクトゥクの男はぼくを今度はインドのイミグレへと送った。その間に、ぼくがバスを降りた地点を通り過ぎたがそこにバスはなかった。さよならネパール。インドのイミグレで好意的な入国審査を終えると、乗務員の男が待っていた。バスはまだぼくを待っているらしい。だがここではない、もっと向こうだ。男はぼくを急かし、ぼくたち二人はバスまで夜の国境をダッシュした。

(たいchillout)

トゥトゥク代として100インディアルピーを出費した。もしこれがトゥクトゥクの男とバスが仕組んだ罠だったとしたらぼくは驚く。なぜなら100ルピーはせいぜい160円だからだ。

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【ネパール/バルディヤ】焚火と断水と停電、そして錠剤

一日目

早朝、長距離バスで到着したバルディヤのゲストハウスの入り口でトゥクトゥクから降りて、ぬかるんだ道を歩いて門をくぐった。チェックイン時刻にはまだ早い。チャイをもらい、あずまやで焚き火を焚いてくれたのでぼくはそこでしばらく体を温めた。火が小さくなると自分で木を動かしたり、風を送ったりして延命させる。暖房なんてものはなかった。二月。やがて予約していた通り、個室に案内され、そうしているうちに昼食の時間だった。ぼくはゲストハウス内の食堂でスパゲティを注文した。
バルディヤには外食できる場所はひとつもなかった。買い食いできる露店も、もちろんコンビニもない。パミール高原とちがい、わずかながら商店はあったが、イナカっぷりは同じ。村のメインストリートがかろうじて舗装されているがそれも砂埃まみれ。まともなアスファルトは唯一村外れだけに存在する。そこをバスに乗ってぼくはここまで来た。
ゲストハウスはあるがドミトリーではなく個室が主流。これもイナカの特徴だ。宿泊単価は高くなかったが、ゲストハウス主催のサファリツアーがあり、マネタイズはそこで行われていると感じた。サファリツアー目当てな雰囲気もなく、実際に興味のあるそぶりを見せなかったぼくへの待遇はあまり良いものではなかったような気がするが、それは勘ぐりすぎだろうか。ぼくの部屋にシャワーは付いていたが永遠に水が出続けるので、「ちょっとどうにかならないか」と言うと別の部屋でシャワーを浴びさせてもらうことができ、そちらはお湯が出た。なぜだかわからない。
お腹の調子は依然として悪く、初日の夜はフルーツサラダと蜂蜜ヨーグルトを食べた。先述の通り食事はゲストハウス内でしかとれず、やはり割高である。イナカは物価が安いというのは神話である。夜。停電する。ぼくは何度も電気の消えた真っ暗なトイレに出入りし、どこかで遠吠えする犬の声をききながらときを過ごした。停電するとWiFiも落ちる。あらゆる充電もできなくなるのでむやみにiPhoneをいじって過ごすこともできない。水道も止まった。丸一晩、トイレの水も流れなかった。

 

二日目

翌朝、焚き火を囲んで紅茶をいただく。停電と断水は続いている。前日の大雨が原因らしい。ぼくは自分の息を吹きかけて焚き火の炎を絶やさないように努力する。火を絶やさない。それは本当に大事なことなのだ。朝食のチャーハン、食べきれず。
ぼくは外を少し歩き、すぐ帰ってきては焚き火を囲むことを繰り返す。同じゲストハウスに泊まっているひとり旅のオーストラリア人中年男性、バリーと話す。ぼくがトラベルしていると話すとバリーは言った。「トラベラーとツーリストの違いを知っているか?」ぼくは首をふった。バリーは言った。
「ツーリストはbusyだ。金を使う。トラベラーは耳を澄ます」
それからバリーは村の床屋に髭を剃りに行った。バリーは旅先の床屋で髭を剃るのを慣例にしているらしい。床屋に行くと「トラベルチップス」を得られるから、とバリーは言った。Tips。旅の知恵だ。まさにまったくその通りだと思う。
この村でのぼくの唯一の買い物はトイレットペーパーだ。買うものがないとき、ぼくはトイレットペーパーを買う。ぼくにとっては買い物もトラベルチップスを手に入れるきっかけになる。昼時を過ぎ、やっと電気と水道が復旧した。

バルディヤに二泊した。村を歩いてもなにもやることがない。お腹も痛い。ゲイルは別のゲストハウスでサファリツアーに出ている。会いたいと思ったが、憔悴していたのでその余裕がなかった。ここには旅人仲間もいない。若きバックパッカーは意外にも都会に集まる。バルディヤに来ている物好きな旅行者は、本当の動物好き、本当の自然好きが多い印象だった。彼らは動物と自然を見るために金を惜しまない。ゲストハウスでもグレードの高い個室に泊まり、現地の物価からするとぼったくり価格でしかないサファリツアーを意気揚々と申し込む、それなりの年齢のヨーロッパ人が多い印象だった。
村の景色は、心に残っている。本当に質素で素朴だった。自然もそうだが歩いている人々や家々がそうだった。同じネパールでもカトマンズにはクラフトビール屋すらあるしポカラにはカフェも多い。しかしバルディヤは違った。ぼくの泊まったゲストハウスのオーナーは、商売を心得ており、ここでは極めてリッチな部類に入る住民だと思う。なにせ英語を話すわけだから一度はカトマンズに暮らしたことがあるにちがいない。

さて腹痛だ。実はバルディヤでの療養生活を経てぼくはついに快復した。その決定打となったのは間違いなく、バリーのくれた薬だった。ぼくがお腹の調子が悪いと言うとバリーは、彼の持っている錠剤をくれだのだ。それが一体どんな薬なのか、どこの国で手に入れた薬なのかわからない。だけどぼくは「トラベラーは耳を澄ます」と言ったバリーを信用して彼のくれた錠剤を飲んだ。

 

三日目

よく早朝、夜明け前。再びトゥクトゥクに乗り、到着したときと同じ村外れの車道まで行った。バス停はないがここにバスがくる。待っているうちに夜が明けてくる。目の前に駄菓子屋のような店があるのでそこでおばさんにチャイを頼み、焚き火にあたった。この村に屋内というものは存在しない。各自の家以外には。焚き火にはどこから集まってきたのか、子どもたち、男たち、そして犬までやってきて火をくべたり座り込んだりしている(犬は火をくべない)。ぼくはその一員だった。深い会話はないが、なんとなく気にしつつ「こっち座りなよ」「火が大きくなったね」なんてことを顔で話している。
そしてバスが来て、ぼくは国境のマヘンドラナガルを中継してこの日のうちに、この旅二度目のインド入り果たし、そのまま真っ直ぐ首都デリーへと突き抜ける旅路を再開したのだった。

(たいchillout)

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【ネパール/ポカラ→バルディヤ】ゲイル2

雨の夜

ポカラ発バルディヤ行きのバスはほぼ定刻通り、午後一時過ぎに出発した。ぼくは窓際の席で隣には小柄なネパール人の男が座った。この時刻に出発するのにもかかわらず、バルディヤ到着は明日早朝の予定だ。そしてショックだったのが、座席に一切のリクライニングがないことだった。
ゲイルは出発間際に乗り込んできた。目が合い、手を振り合う。無事チケットは買えたようだ。残念ながらチケットは指定席なのでぼくたちは離れて座った。

ぼくはバスが休憩するたびにトイレに行った。お腹の調子は悪くなっている。こんな状態で最低のクオリティの夜行バスに乗って旅をするなんて。今振り返るとよく気持ちが萎えなかったよなと思う。ぼくは休憩があるたびに究極に汚いそこのトイレをきっちりと訪問し、そしてトイレから出るとゲイルと話した。
舞台美術を学ぶ女子学生であるゲイルは、中国の重慶出身であり、並んで立つと背の高い女性であることがわかった。百七十センチくらいはありそうだ。靴のかかとはぺったんこで、上下ともトレーニングウェアのような服装である。動きやすさ重視。頭にはニット帽を被り、ショートヘアの襟足がくるっと飛び出している。ポケットに手を突っ込んですっと立つ様子がとてもイカしてる。すごくボーイッシュな人だった。自らのイングリッシュネームをゲイルと名付けるその感性からも、それはわかると思う。
ぼくはここまで七ヶ月の長い旅をしていることを話した。オーマイガー! お世辞ではなく、本当に驚いた様子でゲイルは言う。ゲイルの旅はネパール周遊に的を絞った短期のバケーションだ。このバス旅の移動時間がこんなに長いなんて知らなかったとゲイルは言った。ぼくはそれを笑い、俺はモンゴルで二十六時間のバスに乗ったぜと語った。

バスは終始山岳地帯を走り続け、ごくまれに農村を通り抜けた。そして夜がやってきて、やがて雨が降り出した。どんどん強くなる。夕飯休憩の時間。ぼくのお腹は最悪の状態で、ついに夕食そのものをパスした。とりあえず目的地に到着してほしい。そんなときに限って、バスは真夜中の山の中の休憩所でついに止まってしまった。大雨のせいだ。雷も鳴っている。ぼくは何度もトイレに行ったが、トイレに行くことをバスの運転手と添乗員に毎回大々的に宣言してトイレに行った。トイレに行っている間に出発するなんてことも、ありかねない。ていうかこのネパールで一度あったことだ

 

霧の朝

朝だ。バルディヤに着いたのは四時以降、五時より前だったと思う。辺りは真っ暗だったが、じきに明るくなってきたことを覚えている。明るくなった頃、ぼくはゲイルと二人でトゥクトゥクに乗って霧の林の中を走っていた。ぬかるんだ道だ。雨はかろうじて上がっている。トゥクトゥクは二人をそれぞれ別のゲストハウスに運ぶために走っている。運転手は言った。「どこからきたんだ?」ぼくたちは答えた。チャイナ! ジャパン! 運転手から見ればぼくとゲイルは同じ顔をしている。当然同じ国から一緒にネパールに来たと思うだろう。だが違うのだ。現地の人に「どこからきたんだ?」と訊かれて、ぼくは何度か、「チャイナ!」「ジャパン!」、あるいは「コリア!」「ジャパン!」とそれぞれ答えるという経験をした。そのときぼくは、二人一緒に「「ジャパン!」」と言うときとは明らかに違う気分を味わっている。俺は旅をしている。その事実が切なさのようなものを伴って胸を刺す。わずかな睡眠をとり、腹痛は一時的に引いている。
バルディヤはこれまで訪れたどこよりも、何もない場所だった。それでもゲストハウスがある理由は、ここには雄大な国立公園があり、そこには珍しい動物が放たれて生活しているからだ。ぼくはここバルディヤで引き続き腹痛と闘い、療養に比重を置いた滞在を送ることになる。自然を愛するゲイルはプロにガイドを任せ動物を見にいく予定だ。ぼくたちはインスタグラムのアカウントを交換し、この朝に別れてから一度も会っていない。あとでメッセージを交換したときに知ったことだが、ゲイルは中国人でありながら韓国のソウルへの留学生だった。出会ったときぼくにそれを言わなかったのは日韓関係がセンシティブな話題であるという聞きかじりの知識からくる、要らぬ気遣いだったのかもしれない。
ゲイルのインスタグラムは非常に見応えがあった。写真がめっぽううまい。ぼくは写真というメディアに関心を持っている人間ではなかったが、旅をして、自分でも撮り続けるにつれ多少は見る目が養われていた。思ったのは、どうして中国人の若い女性は皆写真が上手いのだろうということだ。ゲイルは別格だが、クラウラも、センもすごく上手かった。クラウラとセンの共通点は食べ物の写真とセルフィーが一切無いことだ。クラウラは風景を引きで、静寂を撮る。センは対象をしっかりと意識しながら、その動静の予感を撮る。ゲイルは、事物が消えていく瞬間を撮る、と言ったらいいだろうか。
ゲイルは自分のポートレイトもときたま残している。セルフィーではなく、誰かが撮った写真だ。それを見てぼくは思う。けっこう美人だな。って。いつもそうだ。ぼくは誰かがそばにいるときコミュニケーションをケチって、二度と会えないようになってから、けっこう美人だったな、って思う人間だ。髪の長い頃の写真もあった。女性らしい服装をしている写真もある。誰かと出会って、出会う前のその人の写真を見ると不思議な気分になる。

(たいchillout)

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【ネパール/ポカラ】ゲイル

移動前日

チトワンレディースと別れて馴染みのレイクサイドに帰ってきた後、ポカラ到着の初日と同じ「クレイジー・バーガー」で本格チーズバーガーをポテト付きで食べた。インド人は牛も豚も食べない。このとき、ぼくは肉に飢えていた。ネパールはインドよりも宗教的戒律が緩いが、こんなにジャンキーなハンバーガーは滅多に出会えるものではない。ここで食べとかないと後悔すると思った。
この夜、ホステルでぼくは何度もトイレに行った。バラナシにいた頃から断続的にお腹を壊していたが、それが長引いている。強烈な腹痛があるわけでも怠さや熱があるわけでもないので観光には支障がなかったが、明日の午後一に出発するバルディヤ行き夜行バスが少し心配だった。何度目かのトイレから出てのんびり手を洗っていると突然声をかけられた。放心気分だったので隣の洗面台に人がいたことをほとんど意識していなかった。
「Where are you from?」と言われた。
「Japan. You?」
「Oh, Japan... Im from China」
その女性は顔が泡まみれだった。ロードレーサーだかダイバーみたいに全身をピタリと包む黒いスポーツウェアを着ており、短い髪をアップにしていた。洗顔の真っ最中にぼくに声をかけてきたのだ。
「中国のどこからきたの?」
重慶
チョンキン。日本人はジュウケイと読む。行った事はなかったが、いつか行きたいと思っていた街だった。中国有数の内陸の古都であり、大都会である。女性は言った。
「トレッキングしてきたの?」
「いや、してないよ」
「じゃあ、なにしてたの?」
ぼくは答えた。「ただ歩いてた、街を。きみは?」
「トレッキングしてきたよ」
やはりポカラには山登りをするために来る人が多いらしい。女性が言った。
「あなたさ、私と同じバスでカトマンズから来たよね」
「え?」
何を言っているのだろうこの人は。ぼくは一人でバスに乗ってカトマンズから来た。だから誰かと一緒に来たわけではないが……
「あ! 思い出した!」
思い出した。ポカラ行きのバスには中国人のおじさんおばさんグループが乗っており、騒がしくしてくれるなと思っていたとき、おじさんおばさんグループとは通路を挟んだ反対側の座席に一人旅らしき女性が座ったことを。その女性は中国人だろうとそのときぼくは検討をつけたのだ。
「ふふふ」
ぼくが思い出して安心したようだ。
「それで、次はどこに行くの?」女性は言った。
ぼくは、行き先を女性は知らないだろうと思いながら答えた。「バルディヤ」
「バルディヤ!? いつ!?」
「明日」
「私も! 私も明日バルディヤに行くの!」
女性の名前はゲイル。中国語の名前ではなく英語名だろう。ぼくたちは同じバスでポカラに来て、同じホステルに三泊し、また同じ日に同じ目的地に移動するという、まことに稀有な偶然にめぐまれ、出会った。

 

移動当日

午前中は湖沿いを散歩し、余裕を持ってホステルに戻ってくるとゲイルと会った。昼過ぎの同じバスに乗ると話していたがゲイルはまだチケットを持っていないという。ぼくは早めに行って買った方がいいぞと助言した。せっかく一緒にバルディヤに行けるのに、満席でその機会を逃すのは惜しい。そうだよねと同意した後、しかしゲイルは遠慮気味にこう言った。「一緒に来てくれない?」
うーむ。ぼくはそれを断った。バス旅は長い。少しでも長くホステルで身体を休ませたかった。お腹を壊していたこともある。とはいえ、こういうときに断ってしまう自分の消極性がすごく自分らしく思えたことを、今でもよく覚えている。ゲイルは舞台美術を専攻している学生だった。若い女性が異国でバスのチケットを買おうとして困っている。旅の先輩として、年上の男性として、当然ここは助けてあげるべきだし、なんなら格好いいところを見せるチャンスでもある。ぼくに対して好感と信頼を抱いてない限り、ここで同行を求めることはありえない。だがぼくははっきりとNOと言った。世のオジサンなら鼻息荒く行き過ぎたエスコートをして信頼をぶち壊しにしてもおかしくない局面だ。だからこれは非常にぼくらしい態度だった。

(たいchillout)

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