旅の道連れに出会ったときの話

シベリア鉄道には乗らない
和歌山駅に着く頃には雨が降っていた。予約していたゲストハウス「再花」の場所をGoogleMapで確かめた。それにしてもバックパックは重い。よくやるよなあ、と思ってしまう。自分に対して。強雨を防ぐために、傘を傾けて歩きながらたどり着いた。
「再花」のドミトリーは清潔でお洒落だった。二段ベッドが6つ程あった中、蒸し暑かったので窓際のベッドの下段に荷物を降ろした。「再花」の主人は先月ヨーロッパを周遊したとかで、ぼくの旅を面白がってくれた。ぼくがヨーロッパを目指すと言うと、シベリア鉄道に乗るなら、途中イルクーツクで降りると良い。イルクーツクは素晴らしい。そう言っていた。ぼくはシベリア鉄道には乗らないが、それをメモした。
「それから食べ物だが」と主人は言った。「再花」の宿泊客には3つしか食事処を教えないという。和歌山ラーメン、定食屋、大衆食堂。定食屋と大衆食堂の違いがいまいちわからなかったが、ぼくは迷わず和歌山ラーメンのお店を教えてもらった。
 
旅の道連れ
夕方、傘を片手に街を歩いた。和歌山は商店街が充実していた。喫茶店「北の町19番地」でチーズケーキとアメリカンを頼んだ(無論、名前を気に入った)。店を出るときに、おおきに、と言われた。アーケードを縫うように歩いて雨をやりすごしていたら、小さな楽器屋を見つけた。本能的に入ってギターを見ていたらふとハーモニカがあることに気がついた。ぼくはこの旅にギタレレを持ってくるつもりだった。しかし出発直前に荷物を詰め終わった段階で、あまりのバックパックの重さに窮して、持ってくるのを諦めていたのだ。
座り込んでじっとハーモニカを見ていると、店主のおじいさんが声をかけてきた。頭髪は全くなく、銀縁眼鏡の上から上目遣いでぼくをみていた。ぼくはブルースハープと複音ハーモニカの違いや、メーカー種別、メンテナンス方法、キーのセレクトなどのいくつかの質問をして、トンボの複音ハーモニカを買った。店主の助言に従いキーはCにした。旅の道連れはキミに決めた。店主とレジに向かうと、レジの奥にもうひとり店員が立っていた。おじさんの店員はぼくを見ているようで、店主を見ていた。
店主は4,860円の値札を見て電卓を叩いた。そこには4,500と表示されていた。
ぼくも旅をしていたらどこかで値引き交渉なんかもするのだろうか。『深夜特急』に啓発された人なら一度はそんなタフな旅に憧れるだろう。しかし、ぼくのこの旅最初の値引きは、こんなにもあっけなく、しかも売り手の側からしてくれたのだった。
ぎこちなくお礼を言うと「がんばってください」と言われた。店主はハーモニカを紙袋で包もうとしていたが、なかなか上手に包めていない。いや、よく見ると店主の手は震えていた。店主は高齢だった。耳も遠かった。そしてぼくは気づいた。店主の後ろで店主を労わるように見ていた店員は、きっと店主の息子さんなのだ。
もしこのお店が代替わりし、息子さんが店主になったら、もう値引きはしないかもしれない。息子さんの目と、店主の震える手と、4,500と表示された電卓を見て、少なくとも分かったことは、店主はここでいつまでも楽器を売り続けたいのだろうということだった。
店主は最後に「調子が悪かったらいつでも持ってきてください」と言った。でもぼくは和歌山の人ではないのだ。調子が悪くてもこれを吹き続けるしかない。
息子さんは大きな声で「ありがとうございます!」と言った。物を買った客には誰だってそう言うだろう。でもぼくにはそれが、店主にとっての「良き客」をぼくが最後まで務め上げたことへの、心からの感謝であるように思えた。

f:id:taichillout:20180713171902j:plain

ドミトリーベッド

 

(たいchillout)