旅人の居場所をみつけた話

みんなの学校
和歌山の商店街歩きはまだ続く。喫茶店にも入ったし、買い物もした。夕飯の和歌山ラーメンまで少し時間がある。雨なので遠くには行きたくない。
薄暗いアーケード街をゆっくり歩いていると、あるお店に興味をひかれた。「みんなの学校」という名前なのだが、学校でないことは確かだった。表の看板にはちょっとしたカフェメニューが載っている一方で、「注文をしなくても良い」と書いてある。
そうか注文をしなくても良いのか、ぼくは安心してそこに入った。
店内では二人の女性がいて、ひとりは電話をしていた。挨拶されたが、ぼくは彼女たちが店員なのかよくわかっていなかった。形の違うソファーやテーブルが並び、一部のテーブルの上にはカフェメニューが置いてある。やはりここはカフェなのだろうか。しかしそれにしては雑多で荒削りな店内だった。店内には和歌山の市報のようなものなど、ちょっとした資料も置かれていた。例によって客はいなく、ぼくはひとりで店内をぐるっと一周し、一番大きいテーブルの前に置かれた椅子に着席した。そのテーブルにはメニューが置いていなかったからだ。こうなったら意地でも注文しないぞ。しかし、コーヒーも飲まないとなると、いよいよぼくはそこで何をすれば良いのか分からなくなった。
そこで電話を終えてこちらのテーブルで裁縫のようなものをはじめた女性に「注文しなくて良いんですか」と声をかけた。
「みんなの学校」は和歌山市地域活性化プロジェクトのひとつらしい。昔は心斎橋ほどの活気があったと言われている商店街だが、いまは高齢化や若者の自然減少でさみしくなっている。そんななかで、誰もが自由に入れて、飲食もでき、公共のイベントスペースとしても使え、図書室(地下にあり子供たちのたまり場になっていた)を備えた「みんなの学校」を開設することで、少しでも商店街を、和歌山を活性化したいという、市が発案した企画のようだった。女性は市の職員ではないが、市に雇われたプランナーだということだった。
旅に出ると居場所がなくなる。ふと休みたい時は喫茶店に入るか、そんな気分じゃないときは道端に座り込むしかない。ぼくには、人の居場所になろうとする「みんなの学校」プロジェクトはとても素晴らしいと思った。そしてそれに成功している和歌山という自治体の強さを感じた。
女性に聞くと、やはり旅人が興味を持って、立ち寄ってくれることは多いらしい。それ以外だと老人や子供たちが散歩の途中や学校帰りに集まってくるとのこと。皆、居場所を最も必要としている人たちだ。
ぼくは「みんなの学校」の話から、ぼくの旅の話、和歌山の観光プランやオススメのバーまで二人の女性とつらつらとお話しをした。外に出た頃には夕飯時になっていた。
雨が強く街歩きにはつらかった。和歌山ラーメン「丸田屋」で中華そばを食べたらバーには寄らず「再花」に帰った。雨のせいもある。しかし「みんなの学校」で放課後を過ごしたことで、ぼくは和歌山で過ごすこの一日に満足できたのだとも思った。
 
夜中、強い雨音と雨の冷たさで目が覚めた。そう、ぼくのドミトリーベッドの脇にある窓の枠に雨漏りが垂れていた。窓枠から跳ね返った雨粒で、ベッドの一部が濡れていた。そして窓枠に置いていた充電中のiPhoneは雨漏りの直撃を受けていた。慌てて拭いたらiPhoneはちゃんと動作した。どうやら故障は免れたようだった。ぼくは掛け布団と身体をなるべく窓から離して、iPhoneを握りしめて寝た。
この程度、なんてことない。ぼくはこれからもっと過酷な環境でも生きていかなければならないのだ。ぼくは自分が大して動揺していないことに自信を持った。
しかしこの雨漏りは、西日本を襲った記録的な豪雨がぼくの旅を翻弄する、ほんのプロローグでしかなかったことを翌日に思い知らされることになる。

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(たいchillout)