いつかいきたい場所が増えていく話

原形をとどめていないホールケーキ
起床して洗顔などをしていると「再花」の主人がコーヒーを淹れたと勧めてくれた。ラウンジで飲んでいると、シャワーを浴びた後なのか、濡れた髪を振りながら同室だった青年も入ってきた。
後に連絡先を交換したとき、彼はS君という名だと知る。S君は奈良で働きながらときどきサーフィンをするために和歌山に来ている、「再花」の常連らしかった。S君は東京に住んでいたこともあったらしい。音楽、お酒、そして旅となにかと価値観が近い好青年だった。
話していると「再花」の主人がおもむろに冷蔵庫からホールケーキらしきものを取り出してきた。どうやら「誰か」が「何か」のお祝いに置いていったものらしい。箱を開けると、シンプルないちごとクリームのホールケーキが一度溶け、再度冷え固まったらしく、原形をとどめていない。いま食べてしまおうと主人が四等分するのでありがたく頂戴した。
17時に大阪南港から出航する釜山行きのフェリーに乗る。これまでのローカル線の旅を思えば和歌山から大阪なんて目と鼻の先だ。午前中は喫茶店のモーニング、温泉、その他軽めの和歌山観光をと、フルに活用したいと考えていた。しかし雨は依然として強く、タダでケーキとコーヒーにありつけたこともあり、「再花」をチェックアウトしたその足で大阪に向かってしまうことにした。電車にも遅延が発生しているかもしれない。
 
いつかいきたい場所
「再花」の主人は、チェコで喫煙したら13万円の罰金を取られたらしい。S君とは短い時間にいろんな話をしたが、ヨーロッパではデンマークが良かったという言葉が印象に残っている。
「◯◯が良かった」「◯◯は良い国だった」
旅をしていると聞くことが多くなってくるセリフだ。イルクーツクデンマーク。そうして聞いた場所はその人の記憶とともに少しだけ強く印象付けられる。いつか行きたい場所が増えていく。それらは、あるだけで安心する約束のように、漠然としたこの先への希望を強くしてくれる。
 
「奈良に行ったら連絡する」
「良い旅を」
 
S君と握手して、和歌山市駅に向かった。
10時45分頃だろうか。
和歌山市駅の改札前に駅員が立っており、人だかりができていた。
豪雨の影響で線路、道路共に冠水。
大阪方面に向かう南海線JR阪和線、バスの全てが運休していた。
 
(たいchillout)