メモに残されなかったこと
この旅ではメモを取り続けている。行った場所、泊まった宿、買った物、食べた物、見たこと、聞いたこと、そして考えたこと。ホテル、カフェ、地下鉄、街中。どんな些細なことでも思いついたときに立ち止まって、なるべくiPhoneのメモに残している。
そのおかげでこうして後からブログを書くことができる。しかしそうは言っても、ほとんどメモに残せなかったこともある。そのひとつが、このタクシーの中だ。
もちろん、急いでいたからである。さらには、人と一緒にいたことも理由の一つだ。だが決定的なのは、車に酔っていたことだった。iPhoneを手にとっても時間を見るので精一杯。文章をしたためようものならタクシー内が冠水しただろう。
西日本豪雨のためにぼくは時間との闘いを迫られたわけだが、第2ラウンドではそれに車酔いとの闘いが加わった。ファイッ!
第2ラウンド
ここで第2ラウンドの登場人物を紹介しておこう。車内は5人。運転手、助手席のぼく、運転手の後ろのG氏、その隣のG夫人、ぼくの後ろはken嬢だ。ken嬢の名前は聞きそびれたが、Hi-STANDARDの横山健の大ファンとのことなのでken嬢とする。
酔うのは早かった。おかしな高揚感があったぼくは、普段はない積極性でタクシー内での会話に参加していた。つまりそれはどういうことかというと、何度も助手席から後ろを振り返っていたということだった。昼食を食べていないことにこのときになって気がついた。
上京してからは車に乗らない生活だったが、子どもの頃はいつも車酔いに苦しめられた。空腹は乗り物酔いの最大の敵だ。ぼくはそれを知り尽くしているつもりでいた。
まだ大丈夫。しかし気のせいではないようだった。バックパックに酔い止めが入っている。船酔い対策で持ってきたものだ。それを飲もう。そのためには一度車を止めてもらい、トランクを開けてもらう必要がある。皆急いでいるのに申し訳ないが、背に腹はかえられない。
コンビニの駐車場で、酔い止めと水、唯一の食料であるチョコレートを取り出した。酔い止めを飲んでチョコレートを食べた。三人にチョコレートを配った。G夫妻とken嬢は四国からのフェリーで出会ったらしかった。皆、大阪への旅行の途中のようだった。当然ぼくは得意げにこの旅の話をした。
アジアから、ヨーロッパを目指すんです。
読者の誕生
「彼女は連れてこないの」
そう言ったのは運転手だ。彼女の話なんて一言もしていない。でも連れてこないのは確かである。
「はい、東京で待ってます」
「ホームページで発信したりはしないの?」
これはG氏の言葉だ。何故バレた!?
発信するさ。長年暖めていた一世一代の旅なのだ。ずっと前からこの旅のためのブログをつくろうと思っていた。
「発信…するつもりです」
ぼくは控えめに答えた。すでに少しばかり記事はあったが、ただ単に見られるのが恥ずかしかったのだ。
「発信する場はもう用意しているの?」
うむ。具体的な質問だ。
「…あります」
嘘はつけない。
「これも何かの縁だから後で教えてよ」
正確な文言は覚えていないが、こんな感じのやりとりだ(ですよね?)。このブログはなんのために作ったか。もちろん突き詰めれば自分のためだ。だが、それだけではない。普段は何考えてるかわからない(ように見えるであろう)ぼくが考えていることを、普段なにしているかわからない(ように見えるであろう)ぼくの行動を、友人知人に開示してみよう。それもこのブログを用意した理由のひとつだった。そしてもちろん、旅先で出会うであろう人々と連絡先を交換することがあれば、このブログを教えようと思っていた(日本人じゃなきゃ読めないが)。ぼくは何事も自己完結させてしまい、対外的な自己アピールにはいつも気恥ずかしさを覚えてしまう。しかし、今回ばかりは勇士を見せてやろうと覚悟を決めたのだ。その開示は、旅の過程で勇気を出していくためのハッパとして機能してくれるであろうという狙いもあった。見てもらうことで、退路を塞ぐのだ。
「はい!教えます!」
一瞬のためらいの中、ぼくは覚悟の弱さを痛感させられた。しかし、後にも先にもそう聞いてくれたのはG氏だけだ。これから先もG氏が読んでくれていることを糧に、このブログを更新していけると思う。
旅が始まれば何もかもがドラマである。トラブルの渦中での思わぬ読者の誕生に、頭の整理が追いつかないまま、名前のつけられないたくさんの感情が揺れていた。そんなぼくを乗せたタクシーも揺れていた。ぼくの車酔いは悪化していった。
(たいchillout)
旅立ち前後に読んでいた『広場の孤独』(堀田善衛)