西日本豪雨と、梅干しとバラ色の日々

山を越える

酔い止めが効きはじめるはずの30分はすでに経過していた。道端で濁流が噴き出している。すでに大幅な迂回路を選んでいるにもかかわらず、新たな通行止めに遭遇する。車内に、他のタクシードライバーからの無線が入り続ける。次第に大阪方面で生きている道路は一本だけであることが分かってきた。この雨を恨む全ての車たちが、その唯一の道路に集結していた。運転手は言った。
「あの山を越える」
なるほど。山を越えるのか。終わった。この体調で山道は無理だ。渋滞の気配もあった。間に合わないだろう。今度こそ諦めかけていた。なにより、ぼくはもう車を降りてしまいたかった。間に合うかわからないトライをし続けるよりも、いま楽になりたかった。


梅干し

少し前に、ken嬢にも酔い止めをひとつ譲っていた。ぼくとは違い、なんとか持ち直したようだった。山に入る前にタクシーはトイレ休憩と称してコンビニに寄った。全員が降りた。運転手は店員に道を聞いているようだった。ぼくは水と梅干しを買った。
そう、梅干しである。ちなみにぼくは、コンビニに寄ってなんでも良いからなにか食べようってときに、ピンポイントで梅干しを選んだ経験は過去にない。それどころか日の丸弁当の類を好まないぼくは、コンビニで一食を済ますときは、おにぎりかパンを計二個、オプションでファミチキと野菜ジュースというスタイルを十年は貫いている。梅干しを最後に食べた日が何年前になるか、ぼくは思い出せなかった。
梅干しを買った理由は明快である。和歌山と言えば紀州南高梅であり、それを食べずして日本を出るわけにはいかない。それはぼくの中での揺るぎない決意だったから、


ではない。


梅干しは乗り物酔いに効く、そうG夫人が何の気なしに呟いていたからだ。クエン酸が効果的らしい。ありがとうクエン酸。ありがとう梅干し。ありがとう和歌山。ありがとうG夫人。まさかぼくが、知ったそばから梅干しを買ってくるとは思いもしなかったのだろう。G夫人は笑っていた。
結論から言うと、梅干しは効いたのだ。大きくて酸っぱくて上質の梅干しをひとつずつ、ゆっくり食べた。美味しかった。山に入り、たくさんのトンネルを通った。渋滞のせいで車はすぐ止まる。でもそれが良かった。止まってほしくなかったが、止まると楽になる。ken嬢に断りを入れ、座席を大きく倒して目を閉じた。ken嬢に断りを入れ、窓を開けた。吹き込む雨が後ろに流れないように左手で受け止めて、新鮮な空気を吸った。時間の感覚は無かった。ただひたすら耐えた。そして、二つほどの梅干しを残してタクシーは尾崎駅の隣駅である樽井駅に到着した。迂回路からは樽井駅の方が近かったからだ。


バラ色の日々

樽井駅到着時刻は15時20分。約3時間の長い道のりだった。しかし、これは奇跡だった。現在地、現在時刻からの目的地へのルートをアプリで検索すると次の結果が表示された。


15時24分樽井駅出発
16時34分コスモスクエア駅到着


この間、泉佐野駅新今宮駅前、弁天町駅で計3回の乗り換えが必要となる。しかしながら、パンスタークルーズのキムさんに言われた「本当のタイムリミット」である16時40分に間に合う可能性のある最後の電車に、タクシーは間に合っていたのだった。
樽井駅で南海線に乗ってからの1時間半は早かった。キムさんに電話をした。G氏と連絡先を交換しブログを教えた。こんな状況なのに泉佐野駅での乗り換えをうっかり失念していたぼくは、G夫人に言われて気づき、散らかった荷物を散らかしたまま、G夫人に梅干しをもってもらい、乗り換えた。3人は一緒に乗り換えてくれた。大阪に近づいて乗客が増えていた。ぼくはドアにもたれながら、次の乗り換えと、その次の乗り換えの切符の代金をそれぞれ小銭でピッタリ用意して、左右のポケットに分けた。そして新今宮駅大阪環状線に乗り換えた。3人とはここでお別れだ。四国に行くことがあればお訪ねすると約束した。
ドアが閉ってから、走った。環状線に間に合った。キムさんから電話がきた。

「いまどこですか」
「弁天町です!(本当はまだ弁天町についていない)」
「わかりました。コスモスクエア駅についたらタクシーで来てください」

次のメトロ中央線への乗り換えも走った。ぎりぎりだった。メトロ中央線で3駅、いよいよ次がコスモスクエア駅だというところまできた。16時33分。時間通り。本当に間に合った。ぼくは千円札を用意した。キムさんに言われるまでもなくタクシーを使うつもりだった。この千円札でぼくは例のヤツをやるつもりだった。
最も改札に近い車両に移ろうと、座席から立ち上がった。その路線と駅を日常的に利用する人は、改札への最短経路を熟知しているはず。つまり最も改札に近い車両が混雑しているはず。ぼくは人が多い車両に移動した。
しかし、急に電車が止まった。冷や汗が流れた。停車信号らしかった。よくあるやつだ。しかしいまは1分1秒が命取り。1分までなら許す。しかし3分は許さない。ここまできてダメだったら逆に笑える。いや、笑えなかった。
1分で運転再開した。命を繋いだ。検討をつけた改札の位置は正解。走って階段を駆け上る。改札を抜け雨のロータリーに出る。タクシー!

 

「釣りはいらねーよ!」

 

千円札を叩きつけて、そう言ってタクシーから飛び降りる。ぼくがやりたかった例のヤツとは、これだった。この最低なドラマを最高に面白く締めくくるアイデアとしてこれを思いついたときほど、自分が冴えていると思ったことはないかもしれない。


「釣りはいらねーよ!」
「釣りはいらないです」
「お釣りはいらないです」
「あ、お釣りは大丈夫です」
「あ、お釣りは大丈夫なんで、はい。すみません」


結局、5番目のやつくらいに落ち着くだろうと思っていたが、いずれにせよやるつもりだった。事実、お釣りを受け取る時間すらも本当に惜しかった。しかしそれができなかったのだ。ロータリーにタクシーは一台も無かった。
20秒の躊躇を要した。走っていくことを決めるまでに。傘はささない。100%の最短経路でいくために、走りながら何人にも同じ道を聞いた。身体中が痛かった。普段、走ることも、重い荷物を持つことも、ないぼくだ。雨が降れば誰よりも早く傘をさして、一滴も濡れないように努めるぼくだ。頭のなかでTHE YELLOW MONKEYの『バラ色の日々』が流れる。


雨の中を傘もささずに走るのは
過去の悲しい思い出のように大事なような…

 

そして、16時44分。大阪南港のフェリーターミナルが見えてきたときにはすでに、「本当のタイムリミット」を過ぎていた。走りながらキムさんに電話した。

「いま見えています!」
「わかりました。待ってます」

そして到着した。キムさんのみならず、スタッフみんなが笑顔で迎えてくれた。「間に合って良かったね」そう声をかけてくれた。キムさんは感じの良いおばちゃんだった。汗と雨と全身の痛み。頭痛。腹痛。気を抜けば意識が朦朧としてきそうだ。フェリーまでシャトルバスで移動。当然、ぼく1人。出国手続きも荷物検査も一瞬だった。薄暗いフェリーに足を踏み入れてエスカレーターに乗った。ロビーの入り口でマネージャー風の人にイントネーションの異なる日本語で挨拶された。船内いたるところの表記がハングル語だった。間に合った。ついにぼくは出国したのだった。
(たいchillout)