【モンゴル/ウランバートル1】シベリア鉄道乗車編

北京国際飯店

「お兄さん、日本人?」
北京駅近くの高級ホテル『北京国際飯店』の一階に、国際列車(International Train)専用の切符購入窓口がある。ぼくはここで、中国の北京からモンゴルのウランバートルに行く鉄道の切符を買っていた。隣の窓口で同じ切符を買っているいかにも旅慣れた風の男性が日本人であることは、彼のパスポートを横目でみて気づいていた。
関西弁の彼はK君といった。歳はぼくのひとつ下。釜山、ソウル、青島、北京と移動してきたこの旅で、ぼくがはじめて出会った日本人のバックパッカーだった。K君はぼくよりひと月前に日本を出て、タイ、カンボジアベトナムなどを渡ってきていた。
一緒に北京駅で国際列車の入場口を確認してから、マクドナルドでそれぞれの、これまでの、そしてこれからの話をした。K君の泊まっていた宿に移動してビールを飲んだ。二日後にはきっと列車内で顔を合わせることになるだろう。特に約束もせずに別れた。その国際列車はロシアのモスクワまで続いている、シベリア鉄道の「支線」らしかった。

 

この一連の記事は、シベリア鉄道の「支線」に乗ってからウランバートル到着後3日目までのお話だ。書く意欲がなくなったり、記憶が曖昧になる前に、書いておきたいと思ったお話だ。

 

北京駅

7時27分の電車に乗るために7時には北京駅に到着した。荷物検査でぼくのバックパックに引っ掛けたペットボトルを見たお姉さんが中国語で何か言う。お姉さんはそれを飲むジェスチャーをする。
ぼくは頷く。そうだ。これは飲み物だ。
しかし通してくれない。お姉さんは何度も同じジェスチャーをする。
ぼくは何度も頷く。
しかし通してくれない。とはいえ、険悪な雰囲気ではない。お姉さんは隣のお姉さんと顔を見合わせて笑っている。
そして気がついた。
いまここで飲んで見せろ、という意味だったのだ。ぼくは早く言えよと、おどけて飲む。ばいばい。

中国人ばかりの駅でぼくが辿り着いたホームだけが異なる景観を呈していた。そこだけ肌の色も髪の色も、そして彼らの背負うバックパックの色もカラフルだった。男女問わずこんなにたくさんのバックパッカーを一度に見たのは初めてだったかもしれない。ぼくは同胞たちのたくましい姿に勇気づけられると同時に、少し空恐ろしさを感じた。

 みんなロマンに取り憑かれているのだ。
なぜだかそう思って、ぼくも彼らの列に加わった。

 

シベリア鉄道

2段ベッドの4人部屋だったが、ルームメイトは中国人男性1人だった。痩せ型で坊主頭のおじさんだった。所作が丁寧で清潔感もあり、好感をもった。おじさんは果物をいくつかビニール袋に入れて持ち込んでいた。ぼくは北京でお気に入りだったクロワッサンを前日のうちに買い込んでいた。こうしていると思い出す。19歳の夏に、上野から函館を目指す『北斗星』に乗ったことを。あれからちょうど10年。29歳の夏は、北京からウランバートルを目指す『シベリア鉄道』に乗るわけだ。

 

トイレの便座は木でできていた。ロシアの匂いがすると思った。ロシアに行ったことはなかったが。ルームメイトのおじさんは英語が全く話せなかった。一部屋にひとつポットが配られた。おじさんは、持参の水筒に持参のお茶っ葉を入れて、お湯を注いだ。「蒙古」と書かれたモンゴルの観光ガイドを持っていた。腕に数珠をつけていた。シーツを丁寧にベッドにかけていた。ぼくとおじさんは向かい合っていた。やがておじさんは、座禅を組み始めた。
洗練された所作。数珠。古風なお茶っ葉。果物に頼る質素な食事。薄々感づいていたが、彼が座禅を組みはじめたのを見てぼくは確信した。
彼はきっと、チベットの奥地で本格的な修行を積んだお坊さんなのだ。これは面白い道中になるかもしれない。

 

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ぼくらは翻訳アプリを使って会話した。お坊さんの出身は中国内陸の古都、西安チベットには毎年訪問。スリランカ、タイ、ネパールにも行っている。仏教国ばかりだった。ぼくはこの旅でどこに行くべきか聞くと、「スリランカ」と言いながら持参のお茶っ葉を指さした。なるほど、それはスリランカで買ったのだね。
お坊さんといるのはとても楽だった。会話はすぐ途切れ、お坊さんは座禅を組んだり、車窓からの景色を見ていた。ぼくは太宰治の『斜陽』を読んでいた。言葉は通じなかったが、静寂と孤独を愛する点で、二人は通じ合っていた。

 

意外なことに、お坊さんはBluetoothのイヤホンを持っていた。あるときお坊さんは座禅を組んでイヤホンを耳に差し込んだ。なにやらスマホを操作している。すると突然、お坊さんのスマホから大音量でお経が流れ始めた。お坊さんは慌てて、イヤホンとスマホBluetooth接続した。
いまどきのお坊さんはお経の音源をスマホに入れて、Bluetoothイヤホンで聴くのである。

 

鉄道スタッフはモンゴル系かロシア系のようだったが、食堂車のみ中国系だった。食堂車で甘いコーヒーを飲み、ニラ玉のようなものを食べた。途中、団体客のグループランチがはじまり、追い出された。

 

ねじ曲がった木。トウモロコシのような畑。山。壊されたレンガの家。砂の山。曲がりくねった砂の道。廃駅。背の低い木。貴重品もケータイも持たずに部屋を空にするお坊さん。野生の牛。草原。遠くを走る長い長い貨物列車。草原で遊ぶ子どもたち。静かに寝るお坊さん。野生の馬。

 

モンゴルに近づいていた。

 

座禅を組んで瞑想。景色を眺める。「蒙古」ガイドを読む。部屋から出て、通路の車窓からの景色を眺める。お坊さんは比較的短いサイクルでそれを繰り返していた。意外と集中できていないのかもしれなかった。
あるいはもしかしたら、一端の旅人でしかないぼくが、微動だにしないで太宰治を読み続けていることにちょっとしたライバル心を燃やしてしまい、逆に集中力を欠いてしまっているのかもしれない。申し訳ないことをした。
しかしながら、出家までせずとも、ぼくも質素な時間の使い方には自信があった。こうなったら、とことん追求しようではないかルームメイトよ。共にウランバートルまで。無の境地に至る旅を。

 

夕方、再び食堂車で景色を見ながら甘いコーヒーを飲んでいたら、別の車両に泊まっていたK君がやってきて話をした。しかしまた、団体客のグループディナーがはじまり、追い出された。

 

日が沈む20時過ぎ、国境の駅『ERLIAN』に到着した。ぼくにはその駅名が「エイリアン」にしか聞こえなかった。ここで4時間停車する。中国の線路とモンゴルの線路がちがうために、すべての車輪を交換するらしかった。

(たいchillout)