【モンゴル/ウランバートル2】食堂車で乾杯編

停電と国境超え

国境の駅に停車してから、列車内のすべての電気が落とされ、すべてのトイレが封鎖された。食堂車へも行かせてもらえなかった。ぼくは夕飯を食べていなかった。困り果てていると、駅で乗り込んできたらしい、物売りがやってくる。お菓子や果物。ビールもある。最初は断っていたが、3人目がきたときに観念した。ぼくはブドウを買った。

その直後、乗客たちがエイリアン駅のホームに降り立ちはじめた。降りても良いのだろうか。駅内に食堂があればそっちで食べたかった。車内放送の類は一度もなく、ぼくはなにも知らされていなかった。我慢してブドウを食べていたが、外に出たくなった。通路で英語を話している女性たちに一応確認した。
「外に出て良いの?」
「良いよ。でも一度出ると24時まで車内に戻れないんだって」
「もどれない?」
「そう。だから出ないほうがベターかもね。だけどもしトイレに行きたかったらいまのうちに外に出るしかないよ。車内のトイレは24時まで使えないからね」
車輪を変えるために、これから列車は駅を離れ、一度倉庫に入るらしかった。お坊さんは外に出ていた。トイレは心配だったがぼくは出ないことにした。彼女たちと話すことへの好奇心が勝った。

 

そこには3人の女性がいた。
英語が堪能なモンゴル人の2人は仕事で上海に行った帰りらしい。日本製品の「ディストリビュータカンパニー」で働いており、上海では「ベイビーマタニティーエキスポ」に参加してきたと言った。ぼくはこの旅の話をした。
「ソウルから、青島に行って、それから…」
「青島ではビールを飲んだ?」
もちろんだ。とぼくは答えて、ソウルで買って、デイパックにキーホルダー代わりに取り付けているビールの栓抜きを見せびらかした。みんな笑う。
「Wow ! You are Professional !」

 

もうひとりの女性はイギリス人のチャーミングなマダムだった。
「日本人と会って話したのは初めてだわ」
とマダムは言った。
ぼくが仕事をやめて旅をしていることを話すと、マダムは神妙な顔で頷いた。
「ええ。それはとても素晴らしいことだわ。私もあなたと同じくらいの歳の頃に、仕事をやめて南米に渡ったの。それはとても素晴らしい経験だった。そのおかげで今の私があって、いまの仕事がある」
旅の話をすると誰もが、最高だね!と言ってくれる。もちろんそれで十分なのだが、マダムの反応はそれらとは一線を画していた。
たしかに最高だ。しかし旅はそれだけではない。ぼくはそれをまだ上手に言葉にできないが、「ある種の哲学としての旅をぼくたちが必要としていること(そしてその青臭さと正面から向き合うことこそが大切であるということ)」を、マダムは完全に把握していた。豊かに歳を重ねた知的な女性だった。あるいは、これがイギリス人というものなのかもしれなかった。

モンゴル人の女性がぼくにアドバイスをした。
「イギリスに行ったら、彼女(マダム)に連絡をとるべきよ。なぜかって? 彼女には美しい娘さんがいるからね」

 

彼女たちは話し続けていたがぼくは途中で部屋に戻って寝た。
車輪交換の振動と音が激しかった。寝たり起きたりを繰り返しているうちに、気がつけばお坊さんがいた。回収されていたパスポートも戻ってきた。モンゴル入国のスタンプが押してある。電気が付き、トイレに行って、また寝た。意識の奥で電車が動き出したことがわかった。

 

ワインで乾杯 

翌朝、ぼくがブドウを食べていると、お坊さんがカップラーメンを食べ始めた。まじかよ。カップラーメンかよ。こっちはあなたを参考にして果物食べてんのに、カップラーメンかよ。激辛かよ。
カップラーメンはいかにも美味しそうだった。ぼくたちは小さなテーブルで向き合ってそれぞれの朝食を食べた。2人とも草原を見ていた。

家の外観が明らかに中国とは異なっていた。原色の壁に原色の屋根。青や黄色が多かった。草原の彼方からでも見えるようにカラフルにしているのだろうか。

 

やがてゲルが点在し始めた。
日本家屋の「離れ」よろしく、柵で囲った敷地内に普通の家(母屋)と、ゲルがあるパターンが多かった。2軒の家があればそこには必ず、滑り台などの子供用遊具があった。

 

昼食を食べに食堂車に行くと驚いた。食堂車の景観が全く異なっていたからだ。どうやら、夜のうちに食堂車をまるごと繋ぎ変えたらしい。中国の定食屋のようだった食堂車は、モンゴルのレストランに変わっていた。紫のシーツがかけられた座席がいかにもだ。

食堂車には昨晩話した2人を含めた4人のモンゴル人の女性がいた。ぼくは彼女たちの隣のボックス席にひとりで座った。すると、ひとりが流暢な日本語でぼくにメニューを説明してくれる。

そうなのだ。その女性は日本への留学経験と、日本で働いた経験があった。
でも昨日はすべて英語で、日本語を一言も話さなかったじゃないか。あまり得意ではないのかと思っていた。ぼくはチキンを頼んだ。

ぼんやり景色を見ていると声をかけられた。
「ワインを一杯プレゼントする。一緒に飲まない?」
見ると4人の手にはすでにワイングラスがある。
「それとも、ビールが良い?」
「ワインで」
ぼくは笑ってそう答えてから、4人にそれぞれ名前を尋ねた。モンゴル語を少し教えてもらった。
ウォッカは飲める?」
「うん」
「あなたがもしモンゴルで友だちをつくりたいのなら、たくさんお酒を飲むことになるよ。モンゴル人は飲むから」
なんだって?ぼくはお酒が友だちみたいなものさ。
ワインがきて乾杯した。草原を見ながら、素晴らしいランチタイムだと思った。

 

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いろいろなことが決まっていく

大平原の中にぽつんとベンチが置かれている。ゲルの玄関に立ち、草原を見ながら歯磨きをしている人がいる。少しずつ、現れる街の規模が大きくなる。ゲルから煙がでている。街には花が植えられている。

到着間際、荷物をパッキングしていたら、なにやら通路が騒がしい。
お坊さんと件のモンゴル女性たちがわいわい話している。モンゴル女性のひとりが中国語を話すのだ。そしてここで一つ運命が決定する。なんと、ぼくとお坊さんは同じゲストハウスを予約していたのだ。
お坊さんは英語が話せない中でゲストハウスにたどり着けるか不安だったようだ。ぼくと一緒でとても喜んでいた。お坊さんは、ぼくとお坊さんそれぞれのゲストハウス予約画面が表示されたスマホを横に並べて、その写真を撮った。次にぼくの写真を撮った。

そしていろいろなことが決まっていく。
モンゴル女性1人の旦那さんが迎えに来て、ぼくとお坊さんをゲストハウスまで送ってくれることになった。しかもレートの良い両替所に寄ってくれるらしい。
さらに夕方の17時から、別の1人が、彼女の車で市内の名所を案内してくれることになった。ツアー参加者は、ぼくとお坊さんとイギリス人マダム。ありがとう。ぼくは幸せだ。

一番の衝撃は、最後にあった。
お坊さんはお坊さんじゃなかったのだ。
彼は、言ってしまえば、ただの敬虔な仏教徒だった。
お坊さんの名前はシャオロンと言った。
なんだ、そうだったのかシャオロン。早く言ってくれよ。これからもよろしくな。


ウランバートル駅についた。ウランバートルはれっきとした街だった。高原の涼しい風が吹いていた。