【モンゴル/ウランバートル3】ピースツアー編

ウランバートルの街

ゲストハウスではカリフォルニア人が迎えてくれた。もちろんシャオロンは同じドミトリーだ。風呂に入っていなかったが、顔だけ洗って紅茶を飲んでスッキリした。シャオロンが蜜柑と桃をくれた。そして17時。イギリス人マダムこと、ダイアナを乗せたツアー車が迎えに来た。

 

今回ガイドしてくれるモンゴル人女性の名前はドックという。
これは後々わかったことだが、ドックは若干21歳。14歳で高校を卒業し、18歳で大学を卒業。企業ではすでにマーケティングシニアマネージャーを務める本物の才女だった。英語は抜群、日本語と中国語もいくつかの単語を知っていた。
ドックの車は日本車だった。カーナビには東京駅近辺が表示されたまま固まっており、音声案内も表記も日本語だった。ぼくはカーナビの画面を指さした。
「この車は日本語をしゃべれるんだね。その辺ならぼくがガイドできるよ」

 

『ガンダン・テクチェリン寺』で停車した。荷物に気をつけて。とドックは言った。もの売りの少女が寄ってきた。ドックは、無視するのでも相手にするのでもなく、そっと少女の髪を撫でて、向こうに行かせた。

そう、ここはお寺だった。ここでぼくはシャオロンの本気を見ることになる。彼は本当に敬虔な仏教徒だった。
ドックが、表参道の仏像や絵を指してこれはなんとかブッダだと言う。シャオロンが、そうだそうだこれはブッダだとはしゃぐ。シャオロンのあまりの喜びようにドックも笑っている。
ダイアナの着眼点も面白い。袈裟のようなものを着た子どもたちを見て、彼らはスモールブッダなのね、と言う。
いよいよお寺に入ると、シャオロンは堂に入った動作で、お祈りのようなものをはじめた。何度も何度も仏様に挨拶する。手をぴったり地面につけて、ほとんど土下座のような動作を繰り返す。お寺やブッダよりもそんなシャオロンにぼくは、宗教と人類の果てしない歴史を思わされた。

 

繁華街に移動して、週末しか開いていないという屋台でストリートフードを食べ歩いた。モンゴル料理だという、チキンナゲットのようなものが美味しかった。ドックにご馳走してもらった。ぼくがビートルズが好きだと言うと、ビートルズスクエアに連れてきてくれた。詳しい経緯はわからないが、ビートルズファンによる寄付で建てられたメンバー4人の銅像があった。ポールとジョージに挟まれて記念写真を撮ってもらった。

 

『スフバートル広場』にきた。スフバートル広場はウランバートルの中心となる場所だった。石畳の広場に地元民も観光客も寛いでいる。街と山と空が溶け合っている。
広場の中心には、国の独立に貢献したスフバートルの銅像があった。さらに奥にはこの国を建国したチンギス・ハンの銅像があった。
ドックがいうには、この広場には確かスターがあったという。
スターは地理的にウランバートル市のちょうど真ん中に位置しているらしい。それを探しながら広場を歩いた。ダイアナが見つけた。石畳に大きな星型が埋め込まれていた。そこで記念写真をとった。

 

ザイサン・トルゴイのサンセット

ツアーの締めくくりは『ザイサン・トルゴイ』。
河を挟んだ市街の対岸にあり、市街の夜景や山々を見渡せる南の高台だ。富裕層が住むと言われているマンションや、川辺のビアガーデンを通って駐車場に車を停めた。
映画館の入った大型商業施設の脇にある野道から石の階段を登った。階段はそれなりに長かった。日曜日の黄昏時だ。リラックスした地元民と観光客で程よい賑わいがあった。
途中、階段の踊り場の露店で、ドックはアクセサリーを3つ買ってそれをぼくたちにくれた。そのアクセサリーの形は、モンゴルではピース(平和)を意味するらしい。そしてドックという名前も、ピース(平和)を意味しているらしかった。3人はそれを首から下げた。
これはピースチームね。そう言ったのはダイアナだと思う。
そう、ピースツアーだよ。ドックは答えた。

 

円形の石の台座になっている、丘の頂上は賑わっていた。露店や射的もあった。平和だった。振り返って見た夕方の市街は美しかった。少し立ち止まってそれぞれが写真をとった。さらに奥に進んだ。奥の斜面に階段はなく山道だったが、下った先の向こうは少しばかりの平地を挟んでさらに大きな山に繋がっていた。
斜面は下りずにその少し手前。小さな空き地に小石と瓦礫でできた山があった。そのてっぺんには旗が刺してある。ドックはぼくたちに、小石3つ拾ってくれ、と言う。次に、自分のようにしてくれと言って、そのうちの1つを小石と瓦礫の山に投げ入れ、山の周りを時計まわりに歩き始めた。
ぼくたちはそれに習った。2周目。また同じ場所で1つ小石を投げ入れる。周りながら話を聞いた。これはモンゴルの伝統的なおまじないのようなものらしい。小石を順番に投げ入れて、周りながらお願いごとをするそうだ。wishを思い浮かべて、と言われた。

韓国のソウルで一度、wishを聞かれたことがあった。そのときのぼくの答えははっきりしていた。ぼくは「この旅の成功」と答えた。他には?と聞かれたが、これだけだ、と答えた。いまのぼくにはそれ以外のことは考えられない。successの定義は何か。そんな小難しいことは脇に追いやって、ぼくはこの旅をサクセスしたいと答えた。

ただ、ソウルでwishを答えてから2、3週間を経たいまのwishは少し違った。小石と瓦礫の山を周りながらぼくは次のように願っていた。
「どこまでも行けるための勇気が欲しいです」

 

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4人で日が暮れるまでてっぺんにいた。カーディガン1枚で震えながら、山に沈む夕日と灯っていく街明かりを見ていた。ダイアナが東の空を指さして言った。
「向こうに日本があるのね」
ぼくは当然、西の空を指して言った。
「向こうにはイギリスがあります」
ダイアナが次のように続けた。
「こうして見ていると、世界のすべてがエンプティだと感じるわね」
「エンプティ?」
Emptyは「空っぽ」という意味だ。世界のすべては空っぽ。ダイアナはそう言いたいのだろうか。むしろいまぼくは、世界の豊穣さを感じていた。ぼくは首を傾げた。するとダイアナは言い換えた。
「インフィニティ」
「インフィニティ?」
Infinityは「無限」という意味だ。世界のすべては無限。ぼくはInfinityという単語が好きだったが、ダイアナの言いたいことはまだ理解できなかった。EmptyとInfinityは同意語ではない。むしろ対義語である。Emptyは無。Infinityは無限。あるいは、無限はある意味無だとも言えるし、無はある意味無限だとも言えるかもしれない。ぼくは切り返し方を見失い、話はそこで終わってしまった。


Empty、Infinityともにぼくの知らない意味があるのだろうか。それとも何かの熟語だろうか。どこかからの引用だろうか。それは、ネイティブスピーカーでなければ解せない、繊細な表現だったのだろうか。あるいはもしかしたら次のような可能性もある。

 

本来なら、それはネイティブスピーカーでも首を傾げるような意味の通らない英語であり、しかし、いやだからこそ、それはダイアナという人間の心の奥深くのなにかを表現し得た詩的で私的な言葉だったのではないか、と。

 

ドックの車はダイアナを送ってから、ぼくとシャオロンのゲストハウスに辿り着いた。ぼくはドックとまた会う約束をして別れた。