【モンゴル/ウランバートル4】ゲストハウスの夜編

田舎と都会

21時半頃だろうか。ゲストハウスに帰ると、件のカリフォルニア人ではなく、モンゴル人の中年女性が迎えてくれた。程よい英語を話す中年女性はミリーと言った。ミリーはオーナーであるサラのマム(お母さん)だった。ラウンジにいたのはミリーだけだった。

ぼくは3泊予約していることを伝えた。ミリーに明日以降の予定を尋ねられた。いつものように「ノープランさ」と笑って答えた。すると、明日からのツアーに参加しないかと言う。いくつかの国立公園や博物館などウランバートル郊外の主要な観光地をまわり、ゲルに一泊するというツアーだった。そういえばダイアナも、明日の夜はカントリーサイドでゲルに泊まると言っていた。旅行者はモンゴルに「カントリーサイド(田舎)」を求めてきているのかもしれない。

 

ぼくは基本的には世界各国の都市を巡る旅をしたいと思っている。理由は単純明快で、最も人が集まる場所にこそ、最も文化が現前しているからだ。しかも、それは無意識の現前である。保護する気も発展させる気もないまま、無意識に形成され現前してしまった文化、風土、国民性。ぼくはそれを見たいと思っている。

日本に行ったらどこにいくと良いか。すでにこの旅で何度かこの質問を受けている。うまく答えられないこともあるし、その時々で言うことはちがうのだが、本音ベースならぼくは「新宿」をお薦めするだろう。

京都の寺も、浅草の下町も、広島も、沖縄も、北海道も、そこでしか見ることができないものは当然ある。しかし、すべてをまわることができないのなら新宿に行くべきだ。
混雑した電車でホテルから新宿に向かう。人の多さ、静けさ、広告、清潔さ、勤め人、学生、主婦、老人、車内放送、車窓からの景色。すべてに日本という国が焼き付いている。新宿駅で迷う。喧騒。会社に向かう日本人。待ち合わせる日本人。駅内のお店で働く日本人。駅職員の日本人。日本人が働くシアトルの喫茶店。日本人が働くイタリアンレストラン。日本人に道をきく。日本のトイレの便器の形。お湯はでるか。石鹸はあるか。改札はどうやって出るか。日本人の笑い方、怒り方、友だちとの距離、恋人との距離。街の匂い。人の匂い。食べ物の匂い。建物の匂い。言葉の響き。そのすべてが一瞬にして入ってくる。そのすべてが日本の歴史と伝統にちゃんと根ざしている。形を変えて現前している。

現代のその国最大のターミナル駅が蓄えた、その国の長い歴史の果てにある膨大な情報たち。ガイドブックもインターネットもいらない。そのすべてに日本という国が焼き付いている。

閑話休題。簡単に言えば、ぼくはその国の新宿にいくことをひとつの目安としていた。そんなぼくでもゲルへの一泊には惹かれた。ミリーが言う。

「向こうにいるチャイニーズが参加することになっているが1人だと割高だ。一緒に行ってくれる人を探している」

 

今日も明日もこの3人

ドアが空いたドミトリーから、ベッドが見えていた。その上に体育座りで座っている女性が見えていた。やがて立ち話をしているミリー、ぼく、シャオロンの側に女性はやってきた。女性はぼくたちに「ニーハオ」と挨拶した。

堰を切ったようにシャオロンが中国語を話し始めた。それが一段落して、ぼくは女性に日本人であることを伝えた。

 

「Which city are you from?」
「Tokyo」
「Cool. I have been to Tokyo, three month ago」

 

女性はミリーよりもぼくよりも英語が堪能だった。加えてスラングの類を使わず、省略もしない。基本文法の構造にとても忠実な、非常に聞き取りやすい英語だった。ぼくはミリーと女性に、改めて明日の行程について確認した。

 

「よし行こう。ぼくは、たいchillout。あなたの名前は?」
「****」
聞き取れなかった。
「クラルラ」
「クラルラ?」
「クラウラ。あなたが発音するのは難しいかもしれない」


それが正解かはわからないがぼくはクラウラと呼ぶことにした。ぼくは右手を差し出した。ナイストゥーミーチュー、クラウラ。

名乗って、尋ねて、Nice to meet you。逢えて良かった。これからよろしく。右手を差し出す。ぼくがそうしたのはもちろん、クラウラが若い女性だったからではない。

名前を聞くタイミング。出身を聞くタイミング。年齢を聞くタイミング。職業を聞くタイミング。ガールフレンドの有無を聞くタイミング。とても些細なことだが、旅をするにつれてぼくはそれを掴みかけていた。そしていつしかそれを自分からするようになっていた。シャイなのは日本人だけではない。皆が打ち解けるキッカケを待っている。それがわかってきていた。

ぼくたちはドミトリーに移動した。ぼくとシャオロンは、それぞれの荷物整理を始めた。クラウラはいつの間にかシャオロンの「蒙古」ガイドを読んでいた。

 

「たいchillout?」
クラウラが聞いてくる。
「東京のどこに住んでるの?」
ぼくは中央線のとある駅を答えた。すこし考えて、クラウラは言った。
「行ったことはないけど知っているかも。その街はビンテージだね」
なるほど。ビンテージか。確かにぼくの住んでいる街はビンテージだった。

 

「これと同じようなものは日本にあるの?」
蒙古ガイドを手にそう聞いてくる。蒙古ガイドはLonely Planetというシリーズだった。
「あるよ。日本では『地球の歩き方』が有名だね」
「そう。知っているかも」

 

「これまで行ったところでどこの街が一番好き?」
旅の話をするとそう聞かれた。
「それは難しい質問だね」
東京か…ソウルか…上海か…香港か…ニューヨークか…。結局ぼくは答えられなかった。

 

「東京のIT技術者は1年で4ミリオンを稼ぐと聞いたけど本当?」
ぼくが仕事の話をするとそう聞かれた。4ミリオンは、400万だ。大したことない。IT技術者に限った話でもない。
「そうだね。それはノーマルだ」
「ふーん。本当なんだ」

 

「東京のどこに泊まったの?」
そう聞いたのはぼくだ。
「東京の西には3つの大きな街があって…渋谷…新宿。もう一つのやつ」
「池袋ね」
「そうそうそれ!」

 

シャオロンが長時間話し倒す。何をそんなに話すことがあるのかと困惑しているぼくを見て、クラウラが笑いながら英語で言う。
「彼はブッディズムの素晴らしさについてずっと話していたんです」

 

「日本の仏教徒は10%以下だと聞いたが本当か?」
クラウラの通訳を介して、シャオロンが聞いてきた。
「まあ、そうだね」
アジア各国を旅するシャオロンが日本に行かない理由はそれらしかった。

 

順番に、ぬるま湯よりも冷たいシャワーを浴びた。ドライヤーはなかった。ご丁寧にパジャマに着替えたクラウラは、短い髪が濡れたままベッドに座っていた。

クラウラは上海の近くの街からきた大学生だった。エレクトロニクスエンジニアリングを専攻し、PythonC言語を学んでいた。ウランバートルの後は鉄道でロシアに向かうらしい。シャイで聡明な旅人だった。

ドミトリーには7つのベッドがあったが今夜は3人だけだった。考えてみれば明日の夜もこの3人だ。

ぼくは不思議な感慨に包まれた。『ザイサン・トルゴイ』で見たサンセットで、長い一日と、国境越えから続く物語の終わりを思っていた。しかしそれは間違いだった。面白いことはまだまだ続く。次々に連鎖して。

「おやすみ」

クラウラは突然日本語でそういって布団を被った。

 

目を閉じて今日の出来事を振り返る。ぼくは人々の好意に応えられただろうか。ぼくの心に残ったような思い出を、相手にも与えられているのだろうか。明日は、明後日は、それができるだろうか。

おやすみ。クラウラ。シャオロン。答えは出なかったが、ぼくのすべてはいまこの場所にしかなくて、それだけでぼくは完全に満たされていることは確かだった。

 

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