【モンゴル/ウランバートル7】漢字を使う民族編

過去への階段

レストランになっている大きなゲル、シャワーとトイレのあるロッジを案内してもらい、寝床となるゲルに荷物をおいた。円形に並ぶ3つのベッドの真ん中にモンゴル風の暖炉がある。ゲストハウスもそうだったが、掛け布団の模様が美しかった。
シャオロンが電波がないと騒ぐ。丘に登れば電波があるかもと駄々をこねている。この営業マンめ。さすがにクラウラも、圏外かつノーWiFiは予想外だったようだ。
「毎日両親に連絡を入れていたのに」
そう言っていた。

 

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夕飯までのフリータイム。外を出歩き戻ってきたぼくと入れ違いでシャオロンが出ていく。
「どこに行ったんだ?」
クラウラに聞く。
「探しに行ったみたい。電波とホットウォーターを」
クラウラはまたシャオロンの蒙古ガイドを読んでいた。明日の夕方にはロシアに行くというのに。

 

ゲルの中をハエが飛ぶ。開けっ放しにしていたドアからハエが出ていく。静かにぼくは立ち上がってドアを閉める。やったね。そんな顔のクラウラと目を見合わせる。

 

ナイスガイが入ってくる。ぼくとクラウラにポケットバッグは知っているかと聞いてくる。なんだそれは。バッグなのか、ポケットなのか。2人は知らないと答える。本当に知らないのか。何度も聞いてくる。ナイスガイのジェスチャーを見て理解した。ビリヤードだ!OK!やろうぜ!
ぼくは勢いよく立ち上がった。ナイスガイは先に出ていった。
クラウラは首を傾げて座っている。ビリヤード、知らないのかな?とにかく一緒に遊ぼうよ。
「Let's play…」
そこまで言って、誤解を招く可能性に気がついた。
「Let's play……billiard!!」
「billiard!!」
クラウラも理解する。セーフ。

 

ロッジの庭に青空ビリヤードがあった。ナイスガイとぼくで勝負した。クラウラもビリヤード経験はあるようだが見てるだけだった。参加を促すと、とんでもない、といった様子で手を振った。

1ゲームを終えて、クラウラはゲルに戻りぼくはキャンプ場周囲を歩き回った。風は少し冷たくなってきた。ゲルは10棟(?)くらいあったが、利用者はぼくらを含めて2組のようだった。青空ビリヤードの他にも、子供用遊具、砂場、点在するベンチ、青空バスケットコートなどが低地に広がっていた。

 

歩いて丘に登った。丘の上の東屋に辿り着いたが、そこももっと大きな丘の一部だった。
周囲を見渡した。ザイサン・トルゴイでドックたちと石を投げ入れた小山を、ここでもいくつか見ることができた。人々のwishがそこに堆積していた。
斜面を登ってきたが、下りは階段をつかった。ほとんど遺跡のように崩れかかっている階段を降りていると、階段に数字が掘られていることに気がついた。
2015。
西暦だろうか。少し降りるとまたあった。
2014。
間違いない。これは西暦だ。ぼくは過去への階段を下っている。
次の西暦を見逃さないように注意した。しかし、2013は見つからなかった。2012も2011も見つからなかった。そのまま麓についてしまった。
もっと上には2016や2017もあったのだろうか。確かめたい気もしたが、その必要はない気もした。なにかの意味があるのか、ただのラクガキなのか、2015と2014以外は消えてしまったのか、最初から書かれていなかったのか。確かなことはひとつも無かったが、なぜかぼくは納得していた。
ぼくは無意識に、斜面から登り、階段から降りることを選んだ。
未来への階段は登らなかったが、過去への階段は降りた。
それはこの旅になぜか相応しいような気がしていた。

 

漢字を使う民族

ゲルに戻って3人で話す。シャオロンはいたくこの場所を気に入ったようだ。
「ここにはなにもない。WiFiも遊ぶところもない。なにをするわけでもない時間だけがある。ブッダは心を無にする。ここはメディテーション(瞑想)に適している。ここに3ヶ月いたい」
なにを言いやがる。電波を探しに歩き回ったのはどこの営業マンだ。

シャオロンもクラウラもぼくのファーストネームを呼んでくれる。発音が良かったのはシャオロンだった。アクセントを頭において、スパッっと言い切る。シャオロンは、ぼくがこれまでの旅で出会った誰よりも、正しくぼくの名前を呼んだ。
ぼくの提案で、3人は漢字のフルネームを教えあった。表意文字である漢字は、中国と日本でまったく異なる発音をしたとしても、その意味だけは伝えあうことができる。
「Your family name is very beautiful」
クラウラ曰く、ぼくの名字は美しいらしかった。

シャオロンがクラウラにまくしたてる。クラウラは頷く。クラウラがぼくのそばに来てiPhoneの画面を見せてくる。
「この漢字を知っているか?」
そこに表示されていたのは、

という漢字だった。ぼくは2人の言いたいことを一瞬で理解した。
Yes。クラウラにそう答えて、ぼくはシャオロンの顔を見て頷く。
クラウラは缘を指さして言う。
「ここにこうやって3人で居合わせていることはこの漢字である。シャオロンはそう言っている。私もそう思う」
ぼくは真面目な顔で頷き、ぼくのiPhoneに、

と入力する。
「それは日本ではこう書く。そしてエンと発音する」
「エン」
「エン」
クラウラとシャオロンが発音する。ぼくは尋ねる。
「中国では?」
「イェン」
「イェン」
「エン」
「イェン」
「エン」
3人はそれぞれの発音を耳と口に馴染ませるように繰り返した。

そしてクラウラはぼくに尋ねる。
「この漢字を英語でどう言うか知ってる?」
縁の英訳。Destinyだろうか。いや違う。縁は、運命ではない。もっとこう、弱々しくて、儚くて、そしてもっと軽やかな…。
「この漢字は英語にはできないね」
ぼくたちはそう結論づけた。私たちは漢字を使う民族。その誇りと仲間意識が、それ以上の言葉を紡ぐ必要を無くさせていた。

シャオロンは座禅を組んで目を閉じた。瞑想が始まった。それを見たクラウラとぼくは同時に目を見合わせる。クラウラはサッと瞑想のポーズをマネて、囁き声で「meditation」と言う。
ぼくは笑って頷く。瞑想の時間だ。うちらも静かにしなきゃね。それぞれのベッドに寝転び、豊かな静寂が訪れた。

(たいchillout)