【モンゴル/ウランバートル10】ホースワインで乾杯編

NoNoNo

朝起きたら暖炉の火は消えていた。
着替えの服もパジャマも無いので石鹸を片手にシャワーを浴びに行く。冷たい。文字通り震えながら浴びた。髪は洗わなかった。ゲルに戻っても寒い。シャオロンにスリランカのお茶をもらって暖をとった。朝食まではまだ時間があった。

しばらくして男性がぼくたちのゲルに入ってきた。
キャンプ場のスタッフだろうか。男性は大きなペットボトルを抱えていた。それぞれのベッドに座る3人の真ん中で男性は立ち止まった。英語は話さない。これを飲むか。といった感じでペットボトルを掲げる。それは何だ。クラウラが英語で聞く。ジェスチャーで理解したのだろう、ホースミルクだと言う。
「モンゴルの伝統的なホースミルクでとても美味しいから飲め」
と、モンゴル語で言っている(気がする)。男性はホースミルクと言っているが、おそらくこれは昨日の昼に飲んだホースワインだ。
「アルコールが入っているやつか」
クラウラが聞く。
「そうだ。モンゴルの伝統的なホースミルクでとても美味しいから飲め」
モンゴル語で言う。間違いない、ホースワインだ。3人とも苦い顔をしている。ホースワインは美味しかったが、なにも朝っぱらからアルコールを飲みたいとは思わない。特に冷たいシャワーを浴びたばかりのぼくは、スリランカのお茶以外はなにも飲める気分ではなかった。
皆でノーというがなかなか引き下がらない。困った。随分と強引なスタッフだった。いくらサービスの一貫でも断る権利はあるはずだ。しかもシャオロンは仏教徒だ。アルコールは許されない。それを伝えると男も仏教徒だと言う。仲間だ。だから飲めと言う。確かにホースワインのアルコールは微弱であり、モンゴルでは子どもや仏教徒も飲むようだった。
男はしつこく、シャオロンは観念したようだった。
グラスが無かったのでクラウラの水筒のコップを借りて、シャオロンはホースワインを1カップ飲んだ。続けて男も同じように飲んだ。シャオロンは、ぼくやクラウラに飲ませようとはしなかった。
せっかく伝統文化を体験しにきているのなら慣れないことでもチャレンジしてみるべきだろう。その気概がないようにみえたぼくたちの軟弱さを、男は多少強引にでも叩き直そうとしてくれていたのかもしれない。そう好意的に捉えても尚それはありがた迷惑でしかなかったが、シャオロンの大人な対応で男は満足して帰ると思った。3人が思ったはずだ。よし帰れ。と。
しかし男は帰らなかった。
コップに注ぎ直したホースワインを今度はクラウラに勧めるのだ。
「本当は飲みたいし、昨日飲んでそれが美味しいことは知っている、でもいまはコンディションが良くない」
クラウラのそれは礼節の限りを尽くした極めて模範的な断り方だった。しかしそれも男には伝わらなかった。やがてクラウラも諦めた。全員に飲んでほしいのだろう。絶望的なムードの中クラウラは渋い顔でホースワインを飲んだ。ぼくの番が回ってきた。ぼくはもう諦めていたので、サクッと飲んで、美味しかったぜ!とオーバーリアクションで答えた。せめてユーモラスに締めくくって、男にも気持ちよく帰ってもらい、3人にとってのこの出来事を笑い話に変えたかった。
しかし男は帰らなかった。なんと、男はまたカップにホースワインを注ぎ、それをシャオロンに進めるのだ。
「ノーノーノー」
それをみて3人一斉に大ブーイング。
「ノーノーノー」
「ノーノーノー」
ついに観念したのか、男はそれを自分で飲んで渋々ゲルを出ていった。

 

人種差別

クラウラはさっとカップを洗った。その間せいぜい1秒だった。洗剤もなければゲルの水は限られていたから無理もないが、おじさんたちが口をつけたカップをその程度のすすぎで良しとしてしまえる強さに、ぼくはちょっとした感銘を受けた。クラウラはどこを旅してもやっていけるだろう。
飲み直そう。ぼくたちは温かいお茶を手に取り、この災厄、とまではいかないが、事件についてそれぞれの考えを言葉にしようとしていた。
そんな間際に、男はまた戻ってきたのだった。今度はモンゴル人の女性を連れている。女性は言った。
「He is angry」
彼は怒っている。なぜだ。どうしてだ。わからなかった。ぼくとクラウラは困惑した表情で目を見合わせるしかなかった。女性はほんの少し英語を理解した。クラウラは必死に状況を伝える。
「私たちはすでに彼の勧めてくれたホースワインを飲んでいるし、いまは朝だ。モンゴルでは朝にホースワインを飲むかもしれないが、私たちは朝には温かいお茶を飲む習慣がある。彼の気持ちは有り難く受け取っているがもうこれ以上は飲めない」
こういうときに自分の英語力では矢面に立てないのが歯がゆい。女性は状況を理解したのか、男性にモンゴル語でなにか言う。女性は説得しているようだった。しかしそれも無意味だった。女性はクラウラにソーリーとだけ言った。
それから、男とぼくたち3人のホースワインの回し飲みが始まった。
1周。2周。3周。
これは一体何の苦行なのか。男は何に怒っているのだろうか。クラウラとシャオロンは辛そうだった。シャワーの冷たさでさっきまで痙攣していたぼくだが、やはりここは酒飲みの性か、意外と癖になるかも、などとどこかで考えていた。ホースワインを回し飲みながら、男はモンゴル語でなにかを語っていた。いや、なにかを訴えていた。
やがてボトルは残り四分の一程度になった。男はシャオロンに右手を差し出した。満足、してくれたのだろうか。男とシャオロンは握手した。次に男はぼくに右手を差し出した。ぼくは男と握手した。しかし、それはただの握手じゃなかった。力が尋常じゃなく強いのだ。
固く握手を交わす。という言葉がある。確かに、強い握手はある種の親愛の情をあらわす。それが男同士なら尚の事だろう。痛いほど手を握られることはままあることだった。しかし今回は度を越しているように思えた。ただ、ぼくはそれを信じたくなかった。シャオロンは気丈な様子だったが、シャオロンの手もぼくと同じように強く握られているはずだった。
次はクラウラの番だった。もしクラウラの手も同じように握り潰したのなら、ぼくはこの旅初のキックでもかましていたかもしれない。ギリギリのところで男はぼくのキックを免れたようだった。男は手をパーにして、それをぼくたちにも見せ、やさしくクラウラと握手した。
そして握手のローテーションが始まった。シャオロン、ぼく、クラウラ。自分の番になるとぼくは、痛い、痛いと日本語で言っていた。何度目だろうか。あまりに痛いので、ぼくは男の手を両手で包み日本語でいった。
「痛い!痛いから!わかった!ありがとう!もうわかったから!」
その時だ。突然男の手から力が抜けた。そして男は言ったのだ。
「ジャパン?」
ありがとう、という言葉に反応したのだろうか。男はぼくが日本人だとは知らなかったようだ。しかし今更ジャパンがどうしたのか。そんなことはどうでもよかったがぼくは、そうだジャパンだ、そっちの2人はチャイナだが、おれはジャパニーズだと言った。
するとどうしたことか。男は謝ってきたのだ。ソーリー。本当に申し訳なさそうな顔をして、ソーリーと繰り返す。男は困惑しているぼくの手をクラウラ以上に優しく包み込んだ。
そしてぼくに向けてジェスチャーを交えて説明した。最初に「チャイナ」と男は言う。そして、右手の拳を左手の掌にぶつける動作をする。次に「ジャパン」と男は言う。そして、両手を合わせて拝む仕草をする。それを繰り返す。やがてぼくは状況を飲み込んだ。いや、クラウラとシャオロンも悟ったただろう。
チャイナはモンゴルの敵。しかしジャパンはモンゴルの仲間だと男は言っているのだ。そんなことってあるのか。そんなことってあっていいのか。歴史に、政治に、ぼくは無知だった。しかしながら、あまりに露骨な人種差別を今目の当たりにしているのは確かだった。

(たいchillout)

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