【モンゴル/ウランバートル12】ハロー・グッバイ編

写真を撮ろうか?

クラウラはナイスガイに薬をもらい、温かいカップをお腹に当てていた。病院にいくか?とナイスガイが聞いたが、20分経てば大丈夫、と答えた。20分経って、実際に回復したようだった。ゲルに荷物をおいてぼくたちは次の目的地へ車で向かった。

 

ほど近くの『マンジュシュリヒード』にきた。博物館で、かつてこの地域にいた野生動物の剥製や、モンゴリアンアートを見た。千人の食事を煮たという巨大な鍋を見た。博物館のさらに奥に向かう。少し山道だ。沢が流れている。
これはミネラルウォーターだ。とナイスガイが言う。
トライしよう、そう言ってぼくが飲む。続いてクラウラも飲む。
玉ねぎの味がする草を4人で食べる。
ちょっとしたハイキングだ。
やがて『ドンゴル・マンジュシュリー寺』が見えてきた。

かつては修道院だったらしく、見てくれは赤茶けた荘厳な2階建ての家だ。展示物もあるようだった。
早速シャオロンはブッダを写真におさめる。続いて、自分のカメラをクラウラに渡し、お祈り姿を撮ってくれという。
2階にあがる。木でできた重いドアをナイスガイが開け放つ。登ってきた谷とその向こうの山、草原、空が広がる。見慣れた、しかし見飽きることのないであろう大自然とぼくたちが同化する。お寺の建物から出るとき、近くにいた中年男性にクラウラが注意された。
ブッダに背を向けて出てはいけない」
仏教のしきたりのようだった。それを見ていたぼくは早速後ろ向きに敷居を跨いだ。建物をぼんやりと振り返りながら、ぼくとクラウラは無言でシャオロンが出てくるのを待っていた。
シャオロンが来た。
シャオロンはきっと後ろ向きにでるだろう。
ぼくは敬虔な仏教徒であるシャオロンが、どのように美しくお寺を後にするのか見届けようと思っていた。お祈りと同様に、足の運びひとつとっても、堂に入ったものであるはずだった。
しかし、なんということか、シャオロンはあっさりとブッダに背を向けてズカズカと歩いてきた。
なんだよ。おい。なんなんだよ。もう。このやろう。
しかし、ぼくはどこかで期待していたのかもしれなかった。シャオロンのその一貫性のなさ、詰めの甘さををまたここでも見ることができるのではないかと。ぼくはシャオロンのそういうところが好きだった。クラウラも一部始終を見ていたはずだ。しかしぼくたちが敢えて話す必要はもうなかった。

山を見上げると祠のようなものがいくつかあった。3人で登った。階段はなかった。ときには岩や斜面に手をついた。シャオロンは一足先に登っていく。たどり着く祠ひとつひとつに挨拶をしていく。
クラウラとぼくは各々のペースで登っていく。ときおり立ち止まっては、振り返って写真を撮る。
中腹の少し上あたりに良い岩を見つけた。その岩は大きく、斜面から出っ張っており、空に突き出している。
眺めが良さそうだった。クラウラは少し上の祠にいた。その祠に描かれていたのは、ブッダではなく、老子だった。
ぼくはウインドブレーカーを脱いで、その岩の先端に座った。ここにステイする。クラウラにそう言った。クラウラは老子の祠からの景色を撮っていた。

やがてぼくに聞いてきた。
「take a photo?」
写真を撮ろうか?首から下げたカメラを手にそう聞いてきた。
ぼくはお言葉に甘えた。
しばらくして、すべての祠への挨拶を終えたシャオロンが降りてきた。
ぼくは相変わらず岩の上にいたが、クラウラも相変わらず老子の祠にいた。目が合う。
クラウラが聞いてくる。
「another photo?」
もう一枚撮ろうか?ぼくはもう一枚お願いした。
そのやり取りを、更にもう一度繰り返した。
後で送るから。そう言われた。

 

「あーみーとーふーぅー」
キャンプ場に戻りお昼ご飯を食べた。荷物をまとめた。車に向かって歩いていく。すっかりご機嫌なシャオロンが言う。
「あーみーとーふーぅー」
「あーみーとーふーぅー」
クラウラもぼくも笑う。それがわかっても尚シャオロンは言い続ける。
「あーみーとーふーぅー」
お決まりのパターンだった。
ときどきはぼくも言う。
「あーみーとーふーぅー」
クラウラは笑って英語でぼくに言う。
今朝のような出来事があってもそれを言えるの?
それもそうだね。
クラウラに同意する。ぼくはそれきりだまる。
でも、ぼくは言える。
心の中で言う。
「あーみーとーふーぅー」
こんな楽しいことがずっと続くように。


車で流れる音楽はナイスガイの自作プレイリストだった。
一曲だけ日本の歌が入っていた。

 

愛には愛で 答えてほしい
ここにいるのは ただの二人
抜け出せない迷路 迷い込んだ二人
もう戻れない

 

知ってるか?ナイスガイに聞かれた。
この曲は知らないが声には聞き覚えがある。そう答えた。
日本人のガールフレンドがいたの?そう聞いたのはクラウラだ。
なぜそう思う?ナイスガイが聞く。
日本の曲がプレイリストに入っているから。クラウラは答える。
いた、一ヶ月だけ。ナイスガイはそう答えた。
ウランバートルの街が見えてきた。

 

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stay with me

この記事を書いている時点で、このキャンプから一ヶ月が過ぎようとしている。
ゲストハウスについてすぐにクラウラはロシアへ旅立った。
ナイスガイはたまにやってきて別の誰かをツアーに連れていく。
シャオロンはぼくと同じ部屋に2週間滞在し続け、一緒に多くの旅人を見送った。やがてひとりで北の湖に旅立った。
あの日、クラウラを見送ったあと、ベッドで休んでいたらカリフォルニアからきたトムが言う。
「飲まないか?」
疲れていたが賛成した。ウォッカをジュースで割ってゲストハウスのラウンジで飲んだ。BGMは初期のThe Rolling Stonesで始まり、トムの大好きなGrateful DeadPhishを聴き込んだ。ケバブをテイクアウトしてパブに移動した。トムがドイツ人と話してると、ぼくは2人のモンゴル人の美女たちに声をかけられた。気がついたらトムとモンゴル人たちが喧嘩していた。理由はわからなかった。トムは、ぼくが美女と話していたからだと言っていた。翌日デパートで、美女のひとりと偶然再会した。
金曜日にドックの会社に招かれ、日本語のクラスにゲストで参加した。オフィスの屋上のレストランで、モンゴル料理とビールをご馳走になった。BGMで久石譲の『summer』が流れていた。
トムは2年に渡る旅をこの街で終えてカリフォルニアに帰った。イスラエル人のヌーンと3人でブラックマーケットに行ったとき、トムはタクシードライバーに職業を聞かれた。トムはpoetと答えた。詩を書いていることは知っていた。ネイティブスピーカーがきたらトムは自分の詩を語って聞かせた。カナダ人のシェリーゼはそれを聞いて、哀しい詩だねと言っていた。
ウランバートルだけでも本当にたくさんの人に会った。
シャオロン、クラウラ、トム、ミリー、オルナ、ホナ、ヘリョン、ドック、ダイアナ、ザーヤ、ツェツェク、ツェーキー、ステファニー、シンディア、ツル、シェリーゼ、デヴ、ズィラ、モーギー、ベロマ、ガナー、ヒシゲ、ガーラ、ヌーン、ヒョノ、アレックス、T、S、Mくん、はっちゃん、ムク、レン、Aさん、マッツ、ピエール、Yさん、ジョン、Tくん、アノ、Mさん、Sさん。そして心からのスペシャルサンクスの3人は…敢えて書かない。
アンカラストリートを歩いて。スフバートル広場で待ち合わせて。毎朝街のどこからか聴こえてくる物哀しいメロディを口ずさんで。同じようにそれをハミングしていた人を思い出して。ぼくはこの街に、なぜ1ヶ月もいたのだろう。
この街での出来事はもうこれ以上書くことはできないかもしれない。書くには少し、良い毎日を送りすぎた。
ウランバートルを発つバスのチケットを取った日から、まるでこの一ヶ月を振り返るかのように、この街で出逢った多くの人に再会した。印象的な場所を再び訪れる機会に恵まれた。
シャオロン。きみの教えてくれたおまじないの効果は抜群だった。あの2日間にかけた魔法はついにこの街で一度も解けなかった。
ハロー・グッバイ。あーみーとーふーぅー。サヨナラだけが人生だ。

ナイスガイの元カノとの思い出の曲は、松たか子の『stay with me』という曲だった。

(たいchillout)