【中国/新疆ウイグル自治区/ウルムチ】少年期と青年期

少年期

旅は人生に似ていて、幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期と変化していくのだ。と沢木耕太郎は言っていた。


その説に倣うなら、ぼくの場合、ウランバートルで過ごした三週間が少年期にあたると思う。


旅のいろはがまだ身についていないからこそ、旅の酢いも甘いも知らないからこそ、すべてに無自覚なまま駆け抜けた。迷うことも、振り返ることも、思索に耽ることもなく、ただ「Next」ボタンを押し続けた。不器用だったと思う。頭から転ぶ可能性だってあった。けれど幸運にも「Next」ボタンを押せば押すほど、面白いようにコンボが決まっていった。なんの策略もないまま、出会いが出会いを呼び、気がついたら素敵なドラマの渦中にいた。その少年期の幸福な記憶があるだけで、この旅がどれだけ歳を取ってもぼくは生きていけるような気さえする。


ウランバートルを発った5日後、再び中国にやって来た。新疆ウイグル自治区の都市、ウルムチに滞在している。


ウランバートルからウルムチまでの5日間の道程は今までで一番長く、厳しかった。街は小さく、言葉は通じず、電波も入らず、両替もできず、トイレは無く、食料と水を買い込んでひたすらバスと相乗りタクシーを乗り継いだ。モンゴルからの国境超えのバスに乗っていたのはぼく以外、モンゴル人と中国人だけだった。ぼくひとりが国境で異常に長く足止めを食らった。荷物はもちろん、ケータイとパソコンの中も見られ、御守りとして持っていた「深夜特急」の1巻も没収されかけた。幾多の親切に恵まれながら、ウルムチに到着したのは午前三時だった。


もう朝だ。安くしてくれないか?

ホテルでしごくナチュラルに値引き交渉をした。成功した。翌日、この5日の道程を経ても全く体調を崩さない自分に驚きながら、街を歩いた。ウルムチは美しい都会だった。人々も美しかった。漢民族だけでなく、中国の少数民族中央アジア諸国の血が混じっているのだ。混血なのは人だけではない。料理や街並みにおいても複数の文化がフュージョンされており、極めてエキゾチックな魅力に溢れていた。漂う香辛料の香りだけでも、この街を好きになる十分な理由になった。ウランバートルで出会った中国人女性(クラウラとは別の人)が言っていた。「新疆にはたくさんのbeautiful girlがいる」。それは本当だった。

 

青年期

ウランバートルはぼくにとって永遠の青春の地となったが、そこを離れて青春がぱったりと終わったかというとそうではなかった。実はウルムチでもすでに、覚えきれないほどの人と出会い、楽しく過ごしている。


ぼくは幸運なのだろうか。そうではない。ぼくはこの旅が、長い青年期に入りはじめたことをいまこの街で予感している。


ウランバートルでの幸福な少年期は、ただ楽しかっただけではなかった。ウルムチまでの長い道程は、ただ厳しかっただけではなかった。その二つを経て、知らない間にぼくは成長していたのだ。自分の旅が前よりもパワフルに、テクニカルになってきたことを少しずつ実感しはじめた。食事でも会話でもトイレでも、あらゆる躊躇や固定概念、自分のこれまでの型から開放されはじめていた。


その成果が、より自由で軽やかなコミュニケーションと、旅人としての世渡りを実現しつつあった。少年が青年になるように、これまでよりも自覚的に、自分の世界を動かしていけるようになった。


少しの余裕も出てきた。ひとりの人と出会っても、ぼくはそれほど現地の情報を仕入れないようにした。ただシンプルなコミュニケーションをするように努めた。人々はあまりに親切だった。ぼくが聞けばぼくのためにあらゆることをしてくれる。それはときに他の人を巻き込んで大きな旋風を巻き起こす。それはうれしくて、ときにかなしかった。

本当に切実なとき以外、人に頼らないようにしよう。それに、人と街を愛せる限り、出会いは無限にあるのだ。すがる必要なんてない。1人につき1つの情報。ぼくは人に迷惑をかけないために、そして自分をもっと強くするために、それを心がけるようにしはじめた。


青年期はきっと長い。少年は苦悩しないが青年は苦悩する。ある意味で旅の本番はこれから始まるのだ。つらいこともあるだろう。でもここまでこれたことに喜びを感じている。永遠の夏として焼き付いたウランバートルという少年期への憧憬をまだ少し引きずりながらも。

ウルムチでの日々については、また別の機会に書こう。

(たいchillout)

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