【カザフスタン/アルマトイ/BigAlmatyLake】男友達

男友達

カザフスタン編最終回、楽しい話も書いていこう。前回の記事の「事件」が尾を引いたアルマトイだったが、滞在日数が比較的長めだったこともあり、出会った人の単純な総数ではモンゴルに次ぐかもしれない。その中でも「そろそろ次に行こうかな」と重い腰を上げるきっかけをくれたのが「男友達」との出会いだった(アインの事件ではじまった街であるだけに少々皮肉だがそれもまた一興)。アルマトイ最後の日、ぼくは香港からきた二人の男性と、カザフスタンの北西の街からきた一人の男性の四人で山奥のそれはそれは美しい湖を見に行き、街に戻って夕飯を食べた。たったそれだけのことだがそれが今でも強い印象として残っている理由のひとつに、同世代の男友達だけで遊んだのがずいぶんと久しぶりだったということがある。彼らと一日つるんだことで、ぼくは逆に気付かされてしまった。この旅ではありがたいことに女性との出会いに恵まれていたのだなあと。

 

ベリックと香港ボーイズ

カザフ人の男性はベリックという。街から帰ってきたぼくが洗濯物を取り込もうとしたら、一緒に干していたバスタオルが回収されてしまっていたので、新しいものをくれとスタッフに頼んだ。それが正しく伝わらず、仲介に入ってくれたのがベリックだった。そのまま流れでぼくはベリックの隣のソファーに座り、話をした。気さくでスマート、なかなか男前だった。仕事を持っていたが短期の研修?(パートタイム学生と言っていた)でアルマトイに来ているようだった。ヨーロッパに行くならポルトガルをオススメされた。数日以内にカザフスタンの伝統料理を食べに行こうと約束し、WhatsAppを交換した。
香港ボーイズも同じ夜に会った。ベリックは部屋に引き上げぼくがひとりでソファーで寛いでいるときに、彼らはホステルに到着した。一見して日中韓のどれかに見えたが、そのどれにも当てはまらないようにも見えた。中国人とも韓国人とも雰囲気が違うので、日本人の可能性が高いと読んだがまさか香港だったとは。この時点で香港からの旅人に会ったのは初めてだった。
メガネでヒョロリとしている慎重派のロナ。短髪で声が大きくお調子者のワン。27歳と32歳、好対照のナイスコンビだった。香港は英語が公用語の一つだがロナの方が英語が上手かった。ワンは語彙力や勢いは十分なのだが発音に癖(広東語訛り?)があり聞き取りづらかった。一方でワンは大学時代の第二外国語で日本語を専攻していたらしく、ぼくを捕まえるなり、ぼくはいきなり日本語会話レッスンをさせられた。彼らはぼく同様仕事をやめて数ヶ月の二人旅を計画していた。香港から広州に渡り、鉄道でチベットへ。チベットでヒマラヤに登った後は、ウルムチでトランジットがてら一泊しつつ、アルマトイへと北上してきていた。これからアスタナを経由しロシアへ抜けた後ヨーロッパへ渡るらしいが、どこかで二人は別れ、ロナだけがモンゴルに行くらしかった。
「なぜ?」
ぼくが訊ねるとロナは言った。
「以前モンゴルに行って、それが素晴らしかった。だからまた行くんだ。モンゴルでできた友だちと別れるとき自分も友だちもみんな泣いた」
ロナのはじめての一人旅はサンフランシスコらしかった。広島や大阪にも来たことがあった。しかし、ここにもいたわけだ。それらのどこでもなく「モンゴルで」旅の神様に愛されてしまった青年が。
「I love Mongolia. I love UlanBator...」
そのセリフはぼく自身の口から出ていることに気がついた。

 

こうして四人が出揃った

翌日の午前中、香港ボーイズが街に出たいと言うからバスの乗り方を教え、連れて行ってあげた。バスを下りて「ぼくはカフェにいくぜ?」と言ったら二人もついてきた。こうして三人で「ネデルカ」でランチを食べた。午後一で別れ、彼らは街へ、ぼくは非番のホステルのスタッフであるインディラとナルギスと三人で近場の景勝地「SHYMBLACK」にでかけた。シーズン外とのことで目玉のスケート場は見れなかったが二人と交流ができたことに意義があった。インディラは英語を話しフロント業務を担当するカザフ人、ナルギスは掃除や洗濯を担当するウズベキスタン人だった。遅い時間に三人でホステルに戻った。ぼくは夕飯を食べたかったのでロナを巻き込みフードデリバリーを頼んだ。インディラ、ナルギス、ぼく、ロナ、ワンの他にも、スタッフのラリッサ(ロシア&韓国のハーフの女性)、ゲストのユピ(カザフ人女性)も居て賑やかな夜だった。その場で決まったことがロナ、ワン、ぼく、インディラの四人で明日、「Big Almaty Lake」に行くことだった。
そして翌日、引き続き午前は「ネデルカ」に立て籠もっているとベリックから「例の夕飯はどうするか」とメッセージが来た。ぼくは「今日の夜なんか良いんじゃないかな。香港の二人もきっと来たがると思う」と返信した。するとベリックもBig Almaty Lakeに行きたいと言う。ぼくはインディラの連絡先を教えた。タクシーで行くため座席があるか心配だった。ベリックからインディラに直接確認してもらった。
いざ出発のタクシーに乗ってはじめて知ったが、結果的にインディラがベリックに席を譲る形で話がついたみたいだった。コーディネーターのインディラがいなきゃだめでは、と思ったがベリックはカザフ人なので大丈夫だと言われた。まあ確かにそうだ。こうして男四人が出揃った。

 

Big Almaty Lake

身も蓋もない名前を冠したBig Almaty Lakeだったがただ大きいだけではなく、これまで見たどの湖よりも美しかった。見たことのない水の色をしていた。それは、水色の絵の具を薄めずに使ったかのような、透過度の低い乳白色だった。湖をすっぽり囲む山々の頂には銀色が散らばっていた。万年雪だ。タクシーで山道を登るにつれ気温がみるみる下がっていたのもさもありなんだった。外国人観光客は少なそうだったが、カザフ人はたくさんいた。ぼくらも彼らにならって、車道から水辺まで階段のない傾斜を各々のペースで下りた。「カザフスタンは本当にbeautiful girlが多いよな」。ぼくと香港ボーイズは、カップルや友だち同士で来ていた周りのカザフガールズを見渡し、しみじみとそう呟きあって、ため息をついた。カザフスタン女性は美女ばかりであることは、ベリックも認めるところだった。しかしベリックは、自分は好きじゃない、と言い放った。ベリックは言った。「美女は少数だから良いんだ。みんな美女だと面白くない」。冗談混じりだとわかったが、冗談でもそれを言えてしまうベリックにぼくたち3人は返す言葉がなかった。写真の上手そうなおじさんに頼み、湖に突き出た岩の上でバランスをとってまとまっている4人がカメラにおさまった。

 

晩餐

街に戻ればもう夜で、ベリックがカザフスタンの伝統料理を食べられるレストランに案内してくれた。ビールを飲んだ。カザフタン人が美しくなったのはここ十数年の話らしい。ここ十数年で他民族との混血が一気に進んだみたいだった。街並みはモダンだがカザフスタン人のお給料は安いようだった。平均して日本の半分以下だった。しかし驚いたのは香港のITエンジニアは新卒で月給4000ドルだか5000ドルを稼ぐという話だった。なるほど、ITの聖地シリコンバレーでは年収1000万でも貧困層にあたるという本当か嘘かわからない噂はよく聞くが、香港でもITエンジニアの地位は高いようだった。ベリックは映画やゲームにも詳しかった。黒澤明小津安二郎の作品について触れられ、日本人のくせに作品名しか知らないぼくはなんとも情けない気分になった。『インターステラー』は良かったよな、という点では合意できた。ロナは『ポケモンGo』をやっていた。

 

そのときすでに香港は中国のものだった

帰りの夜道、中国と香港の話になった。二人は中国を嫌っていた。ベリックも言った。「あまりおおっぴらには言えないけど…カザフスタン人は中国人が好きじゃないんだ」。まただ…。ぼくはそう思った。「中国嫌い」という一点で安易に連帯しようとする人々をぼくはもはや子どものように見ていた。とはいえ、香港と中国の関係だけは特殊だった。香港人としての意見に興味があった。
ホステルのラリッサは熱意のある女性で、ぼくには「こんにちは」と挨拶してくれた。同様に、香港ボーイズがきたとき「ニーハオ」と言った。しかしそのときワンは言ったのだった。
「ニーハオは中国語で、ぼくたちは香港からきた。香港では広東語をつかって、広東語のハローはネイホウと言うんだ」
その言い方はもちろん非常に柔らかく、気を悪くしてる様子なんてなかったが、それでもしっかりと訂正することにナショナルアイデンティティが垣間見えた。いまは香港の学校でも中国語(北京語)のみを教えるらしく、二人は中国本土が広東語を淘汰しようとしていると憤っていた。
繊細な質問かと思ったが敢えて二人に訊ねた。
「あなたたちはイギリスのことをどう思う?」
ロナはあっけらかんと答えた。
「ぼくたちはみんなイギリスのことが好きだ。中国よりもイギリスが好きだ」
そう言って二人は、中国(香港特別行政区と記載)のパスポートとイギリスのパスポートを見せてくれた。なんと彼らは二つのパスポートを持っていた。1997年の香港返還以前に産まれた香港人はイギリスのパスポートを持つ権利を有していたのだ。
「香港には自分たちの言語がある。自分たちの通貨がある。自分たちの政府がある。自分たちの文化がある。中国はそれを無くして全部中国にしようとしている」
夜道で熱弁を振るうのはロナだった。
「2014年に、香港では中国政府の政策に反対するデモがあった。そのとき中国はガスやスプレーや暴力でぼくたちを攻撃したんだ。たくさんの怪我人が出た」
雨傘運動だ…。警察からの催涙スプレーなどに耐えるために傘が使わたことから、いつしか傘が象徴となったその運動は日本でも報じられていた。丁度2013年に香港に行っていたぼくは少なからずその運動に関心があった。4年前となると、ロナは23歳。学生が中心となった運動だけにロナはその当事者だったのかもしれなかった。
ロナの熱弁を聞きながらぼくはまたもや(本当にまたもや)、輝かしいウランバートルの夏を象徴するひとり、かのクラウラ嬢とのやり取りを思い出さないわけにはいかなかった。クラウラとの会話でぼくはこれまで自分が行った国を列挙していた。
アメリカ、タイ、韓国、中国、…香港」
そのときクラウラは笑いながら言ったのだ。
「HongKong is not country!」
ちょっと!香港は国じゃないじゃん!そんな感じで。
もちろん香港が国じゃないことは知っている。しかし実質的に「香港は国のようなものとして扱う」のが標準的なことだとぼくは思っていた。それこそロナの言うように香港は自分たちの言語と通貨と文化を持っていたし、「一国に相当する」経済力、国際的影響力、国際的尊敬を勝ち得ているはずだった。クラウラの指摘をぼくは「あ、そうだったね!」と軽く流したが、中国人が「香港は国じゃない」と敢えて断定したことが何を意味するのか、考えてみる価値はあると思ったのだった。ちなみにウランバートルでの後日、上海からきた別の中国人のシンディアに、クラウラの意見について訊ねた。シンディアも少し驚いていた。シンディアは言った。「確かに香港は国ではない。しかし、香港はとても裁量のある自治が認められているし、通貨も違うし、中国との間に国境もあるし…。とはいっても人それぞれいろんな考えがあるからね」と答えを保留した。なるほど、シンディアは大人だった。しかしそうなってくると、19歳と言えど極めて聡明でリベラルなクラウラの断言は尚更興味深く思えてくる。あるいはそれは中国本土の学校教育の賜物なのだろうか。クラウラの生年は1998〜2000年あたりのはずだった。そのときすでに香港は中国のものだった。

「香港はチャイナじゃないの?」
香港ボーイズが到着した日、「ニーハオ」を「ネイホウ」に訂正したワンに対して、ラリッサはそう聞き返したのだった。
「あ、うん。香港はチャイナだ」
ワンはそう答えた。あっけらかんとした横顔からその本心を推し量ることはできなかった。

 

You are beautiful girl

中国論が一段落したら、また一通りカザフガールズが美人という話になり、ワンはベリックに「You are beautiful girl」とカザフ語で言えるようにレッスンを受けていた。ガールフレンド「ではない」女性とこれから会う約束があると言っていたベリックと別れ、三人でバスに乗ってホステルまで帰った。ホステルのドアを開けて早々、その場に居たインディラ、ラリッサ、ユピに向けてワンは大きな声で「You are beautiful girl」をカザフ語で言った。全く通じていなかった。英語で種明かししてみんな笑った。

四人で夜道を歩いているときに思った。男ばかりでつるんで遊ぶのはずいぶんと久しぶりだ。よし、明日キルギスに行こう。

(たいchillout)

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