【キルギス/オシ】パミール行きのシェアタクシーに乗るまで

正味四十八時間のことを書こう

オシには一泊だけしてパミール高原に向かった。ソンジェとぼくだけだったはずの旅のメンバーはパミール到着時点で四人にまで増えていた。ちなみにぼく以外はぜんいん韓国人のおじさんだ。オシ行きの夜行タクシーに乗ってから、パミール行きのシェアタクシーに乗るまで。その正味四十八時間のことを書こう。

 

どうしてもやらなければならない当たり前のことだった

オシ行きの夜行タクシーに乗ってまず驚いたのは、暗い車内の天井にたくさんのハエが張り付いていたことだった。全乗員乗客八名中それに気づいていたのは異邦人であるぼくとソンジェだけだった。ソンジェは我慢するつもりのようだった。彼はタフだ。そして、現地の人と感覚を同じくすることを重視する。ぼくだって負けたくなかったが今回は我慢ならなかった。車が道路脇で止まったタイミングでぼくは唐突に謎のアピールし、車から降りた。そして自分のカーデガンを振り回し、天井からハエを払い始めた。そこまでしてやっと他の乗客にハエの存在を気づかせることができた。そこからは皆が協力してくれた。やがてすべてのハエを追い払うことができた。「Good idea」。再び走り出した車内でソンジェはぼくに言った。グッドアイデアなもんか。ぼくにとってはどうしてもやらなければならない当たり前のことだった。

 

そんな車中でもやがて眠りについた

車内はうるさかった。具体的には三つの騒音があった。ひとつはキルギス人のおばちゃんたちの会話。もうひとつはひとりのキルギス人男性がスマートフォンで見ている動画。最後は運転手がかける大音量のBGM。要するにぼくとソンジェだけが静かにしていた。


BGMはいつものパターンだった。いつものパターンとはいったいなにかというと、モンゴル西部以降の旅でのシェアタクシーの車中BGMのいつものパターンだった。そこでかかる曲はいつだって、メロディとコードは民族調なのに、ボーカリストは朗々と歌い上げ、歪んだギターとパワフルなドラムや打ち込みがクドイほど主張していた。


しかし、そんな車中でもやがてぼくは眠りについた。小さく開けた窓から外の新鮮な空気を浴びつつ、車内の音を耳元の風の音でかき消すことができたからかもしれない。目が覚めたときノイズはBGMだけになっていた。そして窓から外を見れば、頂の残雪が闇に溶けても浮かび上がる銀色の山に囲まれた起伏を走っていた。ときどき見える発電所かなにかの明かりも美しかった。星空も美しかった。立ちションをしてまた車に乗った。車中ではずっと窮屈な姿勢だった。寝たり起きたりを繰り返した。

 

チャイを頼み横になった

深夜一時ころ、山道沿いの小屋で車は停車した。トイレ休憩かと思いきや、どうやらそこでお茶を飲むらしかった。ふつうに眠たかったがここまでくるともう寝れない気もした。

小屋は暖房が焚かれていた。ぼくたち以外にも夜の山越えを試みる人たちがきていた。日本のレストランの座敷席のように、地面から一段高い位置に、軽く区切られた部屋がいくつかあった。おばちゃんたちとソンジェとぼくが同じ座敷にあがった。おばちゃんたちは軽く食事もするようだった。ぼくはチャイを頼み横になった。硬くなった身体の力が抜けていった。

山の中で二十五時のお茶会か。天井を見上げながらしみじみそう思った。外は山道。銀の山と銀の星。なんとも素敵で、旅の情緒が溢れていた。眠いし痛いしで、身体のコンディションはいまいちだったが。

 

夜が明けてソンジェが言った

「コットンだよ。ここにはウズベク民族が多いんだ」

夜明け直後には、綿花畑の真ん中をまっすぐ走る二車線道路の脇で、朝焼けを浴びて立ちション休憩をした。南下するにつれ、少しずつだけども緑は豊かになってきていた。小さな町を通り抜けた。運転手は学校に向かう少年に道を訊ねたりしていた。しばらくしてソンジェはまたポケットからビール瓶を取り出した。兄さん、朝だぜ?好きだねえ?

オシについたころにはお昼前になっていた。

 

軟派なおじさんだった

パミール行きのメンバー四人のうちのひとり、ウォングが登場したのはオシに到着した直後だった。降ろされた場所で拾った新たなタクシーで指定されたホステルに向かったらそこにウォングがいた。韓国人のウォングはソンジェの友人であり、パミールに籠もって仕事をしているらしかった。精悍で硬派なソンジェとは対象的に、ウォングはくだけた軟派なおじさんだった。例えば、ドミトリーでなにやら難しそうな書類を広げているウォングにぼくは次のように訊ねた。

「ウォングは何の仕事をしているの?難しそうだね。勉強しているようにも見えた」

ウォングは答えた。

「勉強しているよ。ウーマンのボディをね」

うーん面白くない。あまりに面白くないのでぼくは言った。

「It's too late」

いまさらか?そんなニュアンスで軽口に軽口で返したつもりだったが伝わったかはわからない。

ウォングお馴染みのホステルにチェックインし、シャワーを浴びた後、昼食を食べにでかけた。オシで一番美味しいラグメンの店に連れて行ってくれたのだ。ラグメンはその名の通り麺料理だ。ポロフと並び、中央アジアではこれを食べておけば間違いない。そしてその店のラグメンは事実ピカイチだった。大盛りでないにもかかわらず量が多すぎてぼくは食べきれなかった。ソンジェとウォングは食べきった。

 

行きがかり上黙っていた

バザーに寄ってウォングがザクロを買ってくれた。オシはビシュケクに比べ、なにもかもが中央アジアらしかった。中央アジアらしさがなんなのかぼくはわからない。しかし、それを見てしまえば説明不要なほどに、それは見るからにディープでローカルだった。例えば、商店のみせがまえや、おばちゃんたちのつらがまえなんかが。パミールは寒いらしいのでバザーでジャケットを買った。

帰り際、ソンジェは道に迷ってiPadでコンパスアプリを起動した(ウォングとは途中から別行動していた)。ソンジェは現地simカードを使わないひとだった。ぼくはそのときもオンラインで地図アプリがつかえたが行きがかり上黙っていた。ソンジェがときとして不器用であることをぼくはだんだんと知っていった。車中でハエを我慢しようとしていたこともその一端であるように思う。

 

サイフォン式コーヒーをいただいた

ホステルについてからは夕食までソンジェとも別行動となった。ぼくは真向かいにある少しだけ立派なホテルに入った。併設されたいくつかの店舗のうちのひとつにcoffeeの文字が目に入ったのだ。その店は100%オーガニックかつmade in キルギス製品だけで統一されたおしゃれな雑貨屋でありコーヒーも売られていた。そこで英語のうまいおねえさんとお話をした。そして最高に美味しいサイフォン式コーヒーをいただいた。

 

そんなことを思いながら寝た

ソンジェ、ウォングと再度合流して夕食に出かけた。ウォングは相変わらず面白くない女の話ばかりしていたが、ソンジェとの相性は意外にも良さそうだった。ふたりともよく飲み、よく食べ、よく旅をしていた。二次会は真向かいの(数時間前にぼくがサイフォン式コーヒーを飲んだ雑貨屋が入っている)ホテルのバーに移動した。コニャックとスナックでテーブルを囲んだ。ぼくはいろんな意味でお腹いっぱいだったので途中でひとりでドミトリーに帰った。ふたりともおじさんなのに本当にタフだった。ぼくは自慢じゃないが寒さにも、満腹にも、寝不足にも弱いんだ。ぼくはそういう旅人だし、そんなぼくにしかできない旅をしているつもりだった。そんなことを思いながらぐっすりと寝た。

 

街が途切れた先に砂漠が広がっていた

翌午前、ぼくは早速サイフォン式コーヒーをリピートした。昼食は三人で韓国料理屋に行った。ソンジェとウォングはまたアルコールだ。ぼくはマッコリならいけたがマッコリがなかったので水を飲んだ。二人は焼酎をビールで割って飲んでいた。


午後、ぼくはひとりで岩山とも丘ともつかない場所に登った。頂上にキルギスの国旗があり、そこはオシのシンボルともいえる場所だった。中腹で、階段を登った先にあったベンチで休んでいる少年二人と目が合った。目をそらせずに、しかし声も発せずにいると、少年はなにも言わずにぼくに頷いた。ぼくも頷き返した。

シンプルに、息を切らして階段を登り続け、やがて山頂にたどり着いた。スペースは狭かった。カップル。女学生二人組。カップル。母親とその子どもたち。みんなオシのひとだった。オシの街が途切れた先に砂漠が広がっていた。

 

この時点でまったくこの女性と面識はなかった

ホステルに戻りシャワーを浴びた。その日は暑く、よく動いたのでシャワーを浴びたら出発前にひとりでビールを飲もうと思っていたのだ。シャワールームと併設された洗面所ではひとりの女性が掃除をし、廊下にいる別の女性とおしゃべりをしていた。洗面台の前にいたぼくは廊下にいた女性にいきなり声をかけられた。

「May I ask one question?」ひとつ質問していい?

補足をしておくとこの時点でぼくとこの女性に面識はまったくなかった。どうやらここで働いているらしいがまともにハローも交わしていない。まったく女性の方を向いていなかったぼくだったが、声のボリュームが大きく、突然英語に切り替わったからそれがぼくへの質問だと気がついた。女性は廊下の窓枠に背を預け、腕を組んでいた。なかなか良い度胸をしていた。いいよ。ぼくはそういった。

「How old are you?」

なにを訊くかと思いきや。ぼくの年齢がそんなに気になったか。

「何歳に見える?」

ぼくは質問で返した。女性は少し考えて言った。

「Twenty one」

そんなわけあるか。今度はぼくから別の質問をした。

「ぼくはどこからきたと思う?」

「メイビー、ジャパン」

よくわかったな。名前を訊くと女性はタトゥナと言った。nice to meet youと言ってぼくはビールを飲みに出かけた。会えて良かった、いや、本当に。

 

客も店員も誰一人いないバーでぼくはビールを飲み続けた

ビールは、最早おなじみ(サイフォン式コーヒー含めここ24時間で3回ほど出向いた)真向かいのホテルのバーで飲んだ。店員のおねえさんに電源コンセントがあるか訊ねた。カウンターの裏にあったのでそこからコードを伸ばしてiPhoneをつなぎ、必然的にカウンター席に座った。客はぼくひとりだった。カザフ産のエフィスビールをまず飲んだ。お金を渡すと現金のおつりがないと言われ、ぴったりになるようにナッツを買った。おねえさんの名はミラと言った。どこから来たのか訊かれたのをきっかけに、Google翻訳をつかいながらぼくたちはのどかにコミュニケーションをとった。二杯目のキルギス産アルパビールを飲んでいると、三杯目は飲むのか訊かれた。ぼくはノーと答えた。どうやらおかわりを勧めているのではなく、ミラはこれから学校にいくらしい。ミラが学校に行くとこのバーは空になるので飲みたいなら今のうちに出しておくとのことだった。そして実際に二杯目をちびちび飲んでいる最中にミラは学校に行ってしまった。客も店員も誰一人いないバーでぼくはひとりでビールを飲み続けた。


ミラは英語はあまり得意ではなく、とても素朴な女性だった。その人柄とカウンター席でぽつぽつと話すシチュエーションが二年前の上海の記憶と重なった。


その日は上海についた初日だった。道に迷って夜遅くついたホステルのバーカウンターでぼくは青島ビールとスパゲティを頼んだ。実年齢の二十歳には見えない素朴な店番の女性は、ぼくから受け取ったお札を店内の薄明かりにかざして偽札かどうか確認した。カウンター越しにぼくと素朴な上海ガールは静かに翻訳アプリを使いながら話をした。ぼくは七日後の復路の航空券を持っていた。その上海の夜に、その場で、ぼくは次のようなことを考えていたのを覚えている。

 

かねてからの夢であった復路の無い旅、深夜特急のような旅を本当に自分は実行にうつせるのだろうか、と。事実こうして上海にきている時点で沢木耕太郎が旅に出た二十六歳をぼくは一年上回ってしまっているではないか、と。いったいいつやるんだ、と。いつまで先延ばしにするんだ、と。

要するに、復路の航空券をまたもや持っていることに不甲斐なさを感じ、自分の実行力に不安を覚えたのだ。言うだけでやらないやつにはなりたくなかった。この点においては特に。

 

取りも直さず上海のバーカウンターでぼくがそう思ったのはそのときがあまりに素敵な、旅のすべてが集約されたような説明のしがたい刹那的な時間と空間であったからであり、そしてその甘美さは深夜特急を読んでいるときや、実際に数年前はじめて香港に行ったときに感じたものとして身体で覚えていたものであった。それを久々に思い出していた。要するに「旅の初期衝動」のようなものが再び身体中を駆け巡っていたのだ。ぼくは良い気分だった。不安はあった。不甲斐なさはあった。しかし初期衝動と現実を、青島ビールでゆっくり中和していくなかでぼくは考え直した。実行にうつせるか、ではない。実行にうつすのだ。自分はそれを絶対にやるのだ。


ミラは偽札かどうか確認しなかったが、ひとけのないカウンター席で翻訳アプリを使いながら話すシチュエーションは二年前のデジャブだった。違ったのは偽札チェックだけじゃなかった。今回のぼくは、復路の無い旅のまっただ中にいた。それに気づいたときの気持ちは、感動や感慨というよりも、笑いだった。やっちまったな、という気分だった。

 

パミールに向けて出発した

パミール行きメンバー四人のうち最後のひとりと合流したのは、バーを約束の時間通り切り上げてホステルに戻った数分の後だった。最後のひとりはキュウリンという。キュウリンはウォングの友人であるところのつまり、必然的に韓国人のおじさんだった。こうして四天王が揃った。翻訳家兼非常勤講師のソンジェ、バックパッカーのぼく、ウーマンのボディを勉強するウォング、そしてキュウリンは建築を専門とする大学教授だった。タクシーはすでにウォングがチャーターしていた。時間はすでに夕方だった。パミールに向けて出発した。

(たいchillout)

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