【キルギス/サリ=モゴル(パミール)】再訪するのが難しい場所

洗濯をする

パミール高原について書くのはむずかしい。ぼくが滞在したパミール高原の村はサリ=モゴルという。標高は三千メートル。そこで二泊三日をすごしてからソンジェ、ウォング、キュウリンの三人と別れ、一人で先にオシへ帰った。一人で帰ったのにはいくつかの理由があるが、その最たるものはサリ=モゴルの寒さだ。そしてオシで消化試合のような三泊をしてから、満を持して隣の国に向かった。そこからは「ウズベキスタン編」の話になる。

パミール高原について書くのはむずかしい。なんだかんだで都市生活者らしい旅を選んできたぼくにとって、パミールは全体的に、これまでとは異質な経験だった。上下水道がなかったのははじめてだった。トイレはぼっとん便所というよりかはただの穴だった(モンゴルでもあったなあ)。エアコンもストーブもなく、夜は暖炉で火を焚いた。いちばんやり甲斐があったのは(こんな表現もおかしいけど)、服の洗濯を河でしたことだった。山の雪解け水が流れる透き通った河。朝と夜はとても寒く、ぼくはズボンとジャケットをそれぞれ二枚ずつ重ね着して寝ていたが、日中はぐんぐん気温が上昇した。太陽との距離が近いのだ。雪解け水で洗った服たちを、紐に引っ掛けると、すぐに乾いた。

 

風呂に入る

お風呂に入りたければ、三十分前にゲストハウスの人に言う必要があった。石炭でお湯を焚くのだ。夜は極寒の世界なのになぜかトイレとお風呂はゲストハウスの建物内になく、それぞれ外に独立して建てられていた。寒いなか外に出たくなかったので、ぼくは日中にお湯を焚いてもらうよう頼んだ。すると後でそれを知ったソンジェが言った。「お湯を一日になんども焚くのはゲストハウスの人が大変だからみんなと同じ時間に入ろう。今回はいいよ。次からね」なるほど、そういうものらしい。

 

ご飯を食べる

コンビニもカフェもレストランもスーパーも八百屋も肉屋も魚屋も何一つなかった。つまり買い物ができなかった。食事はどうしたかというと、朝昼晩すべてゲストハウスで提供された。これはなにも特別サービスではなく、この土地では、そういうものなのだ。ウォングはオシでたくさんのメロンを買い込んでおり、それを毎食、みんなに振る舞った。

 

馬に乗る

景色の美しさについては描写することを放棄したい。構図としては、全方位を山脈(山ではなく山脈)に囲まれた場所に、広大な村ひとつ分の、標高三千メートルの平原がある、そして河がいくつか流れている、といった感じだ。村にある家は、やろうと思えば数えることもできそうなくらい、少数で、広く間隔をあけて建っていた。

馬に乗った。モンゴルでの二度目の乗馬で(そう二度目があったのだ)きほんのきを学んでいたので、上手くやれた。半日はガイドをつけてみんなで村の外れまで行った。残りの半日は、ぼくはひとりで、反対側の村の外れまで馬に乗って行った。サリ=モゴルにはなにもなかった。動物と、自然と、微笑む大人と、遠くにいても必ずハローと呼びかけてくる子どもたち以外は、なにもなかった。

あるときひとりでゲストハウスの外でぼーっとしていると、どこからか現れた少女に声をかけられた。What's your name? ぼくは自分の名前をおしえて聞き返した。少女の名前はズーホラ。少し英語を話せると言った。ぼくたちはただ笑いあって、やがて向きを変えて離れていった。振り返ると一瞬、ズーホラが石の小山の影に吸い込まれるように入っていくのが見えた。ぼくは反対側から出てくるのを見届けようと思い立ち止まった。しかしズーホラは石の小山から出てこなかった。ズーホラは消えてしまった。幻のように。あるいはそんな少女は最初からいなかったのかもしれなかった。

 

道端に立つ

三人のおじさんについても、語れることはたくさんある。大学教授のキュウリンとは小説の話をたくさんした。村上春樹が好きだと言ったキュウリンは、そのときちょうどサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(韓国語版)を読んでいた。その他にもレイモンド・チャンドラーに言及するなどしていたことから、なるほどかなり明白な読書傾向があるなと思った。ウォングはなんと本を出版していた。ウォングの本業はトラベルライター。こっそりソンジェに聞いたのだ。それを本人に言うと、「俺は韓国の村上春樹だ。村上春樹がアーバンスタイルなら俺はルーラルスタイルだ」とうそぶいた。ソンジェはと言えば、夜明け直後のまだ寒い早朝からリビングルームで腕立て伏せをしていたのには驚かされた。

ぼくにとってのパミール最終日の前日に、実はソンジェとは一足先に別れていた。彼はパミールの別の村のゲストハウスを仕事場にしており、そこに向かったのだ。ウォング、キュウリンは二日遅れてソンジェの村に出向いたが、その合間にぼくはオシに引き返したことになる。もちろんぼくも誘われていたが直前まで答えを保留し、そしてやめたのだ。ぼくがひとりでオシに帰る日の朝のキュウリンの言葉が印象に残った。
「ここは人生を通して、再訪するのが難しい場所」
だから目に焼き付けておくんだよ。キュウリンはそう言った。確かにそうかもしれない。もう一生こないかもしれない。いや、普通はそうだろう。こんな上下水道のないところ。あるいは、キルギスだって、オシだって、ぼくは二度とこないかもしれない。こない可能性のほうが高かった。

昼食を食べて荷物をまとめた。バックパックが軽かった。何か忘れ物でもしたのかってくらい軽かった。でも忘れ物はなかった。そうやってどんどん軽くなって、気がついたら本当にからっぽのままお爺さんになるまでどこかをさまよっていたりして。

オーナーのムサにオシに帰りたい旨を伝えると、ムサの母親らしき壮年の女性がぼくを村の真ん中を貫く一本道までつれてきてくれた。オシに行く乗り合いタクシーは必ずここを通る。だからここで待てば良いということだった。もはやそれはヒッチハイクに近かった。言葉は通じなかった。女性は道端に座り込んで、ぼくは立ってそれを待った。

 

(たいchillout)
キルギス編はこれで終わり。次はウズベキスタン編。中途半端に別れてしまったソンジェとはなんとタシュケントで再会することになる。あれからときは過ぎ、今日はクリスマス。たいchilloutはベトナムにいる。

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