银河铁道TIMES

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【ウズベキスタン/タシュケント】ラビリンス

高級ホテルに目を光らせて

例によってタシュケントの街をふらふらと彷徨った。早い段階で"グランド・ミラ"を開拓できたのは良かった。良い匂いのするロビー、ATM、WiFi、ソファー、清潔なトイレ、石鹸のある洗面台。フロントスタッフにWiFiパスワードを訊くと、「あなたはこのホテルの宿泊者……ではないですね?」と念の為の確認をされ、快くゲスト用のWiFiを教えてくれた。高級ホテルは役に立つ。カフェやバーと同じくらいぼくは、高級ホテルに目を光らせて異国を歩いている。

 

ギャンブルに負けたので

キルギスには地下鉄がなかったので、地下鉄のある街はアルマトイ以来だった。タシュケントの路線はアルマトイより多かった。タシュケントの地下鉄は良くデザインされていた。どこかで会った西洋人のおばあちゃんが「あれはミュージアムみたいだわ」と言っていた気がするけど、それは正しい。大理石風の太い柱とシャンデリア風のライトが高い天井に整然と並んでいる。少し前まで、この地下鉄のホームを写真に撮ることは禁止されていたらしい。なぜだかわからないけど。

地上に出るとすぐ、いくつかの建物と路上が溶け合った大規模なバザーが展開されていた。昼食のポロフを食べ、公衆トイレに寄った。利用料の700スムを払うために1000スムを渡すと、おつりに200スムと飴玉1つが返ってきた。帰りはバスを利用してみた。バス路線図を睨みつけても一向に頭に入ってこないので、とりあえず来たやつに乗ってみた。もしも間違った方向に曲がったらそれまで。ギャンブルだ。ギャンブルに負けたので地下鉄駅まで歩いた。

 

ニワトリの卵をもっと送って

シャワーを浴びてさてもう一丁、と街に出ると、ビールを量り売りしている店を見つけた。テーブルも椅子もなかったが、ここで飲んでも良いぜと店主が言うから1リットルで約125円でウズベキスタンのビールをオーダーした。店主は変わった男だった。ニワトリを闘わせる"チキンファイト"が趣味で、どうやら日本人の友人に強いニワトリの卵を送ってもらっているらしい。映像をいくつか見せてもらった。闘っているものもあれば、いままさにぼくが飲んでいるカウンターの上をニワトリが闊歩している映像もあった。店主の名はジャケンという。ジャケンとぼくは二つのビデオを撮った。ひとつはぼくの日本語の自己紹介だ。これまで旅をしてきたこと、これからも続けること、訪れた国、これから行く地域、ウズベキスタンは良い国だということ、ビールは美味しいということ、そんなことを話した。その映像はどうやらジャケンのFaceBookで公開されたらしい。もうひとつはジャケンの日本人の友人に向けたメッセージだ。ぼくは見ず知らずの日本人に向けて「ニワトリの卵をもっと送ってほしい」と伝えた。ジャケンはより多くの卵を必要としているようだった。ぼくにも、日本に帰ったらニワトリの卵を送ってくれと言った。それはきっと大分先になるが、できたら送ると約束した。

 

トイレを探して迷い込んで

翌日は別のエリアを歩いた。アンディジャンからタシュケントへの電車で出会ったアミルから聞いた情報を頼りにしていた。朝から歩き、途中おしゃれなレストランでフレンチ風のサラダを食べた。午後も歩き続けた。大きな公園をいくつか嗜み、気がついたら人の気配がない場所を歩いていた。そこでぼくはトイレに行きたくなってしまった。人の気配はないのだが、市民会館と図書館が集まったような外ヅラの複合施設があったので、祈りを込めてそちらに歩いていった。いくつかの建物に囲まれた日当たりの良くない石畳の小さな中庭に三人の女性がいた。トイレの場所を訊くと、すぐそこだよと教えてくれた。良かった。ぼくは薄暗いその建物に入った。

トイレを探して迷い込んだラビリンス。最初に浮かんだのはそんな言葉だった。一目散にトイレに駆け込んだが、トイレの外から不気味な音楽が聞こえることに気がついた。トイレを出て改めて施設内を見物した。市民会館でも図書館でもない。公的な施設のような作りだが、一種の文化施設のようであった。インディー映画かなにかがひっそりと上映されてそうな気配があった。じっさいに映画か音楽かなにかの告知ポスターが貼られていた。上映スケジュールのようなものが書かれたブラックボードもあった。しかし人の気配はなかった。音楽の鳴っている方へと忍び足で歩くと、開けた空間にたどり着いた。そこに音楽はあった。スピーカーではなかった。生演奏だ。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、フルート、そして指揮者の編成だった。開けた空間と言っても、五人の奏者と指揮者でいっぱいの小さなステージだった。曲目はわからなかった。観客はいなかった。その代りにカメラが回っていた。録画しているようだった。何度かやり直していた。奏者のいるステージはぼくから見て左手だった。右手にはこれまたちょっと不気味なほど雰囲気のあるカフェがあった。せっかくなので、ぼくはブラックティーを頼み、生演奏を聴き続けた。

演奏が終わって外に出ると、中庭は様変わりしていた。人がたくさん、それにどこからか吊られた紐に、大小の写真が無造作にたくさんぶら下がっていた。"フォトフェスティバル"らしかった。陽気な音楽が流れていた。手作り感のあるオシャレなイベントだった。気に入った写真があれば、撮影者から直接買えるようだった。撮影大会も兼ねているみたいだった。ただぶらついていただけのぼくも「あなたを撮って良いか?」と言われた。どんな顔をすれば良いのかわからなかった。

 

十一時になったら電気を消して

翌日の朝、クアラ・ルンプールへの航空券を買った。夜、韓国料理屋に行った。街では見かけないのに、店内には韓国人がたくさんいた。こういうとき、ぼくも韓国人に見えるのだろうかと思っていると、帰り際、店員のウズベキスタン人のおねえさんに「さようなら」と言われた。なんだ、分かっていたんだ。ホステルには戻らずに、"グランド・ミラ"のソファで雨宿りをしていると誰かに声をかけられた。さっき行ったばっかりの韓国料理屋のおねえさん、ではなく、「おばちゃんの方の」店員さんだった。おばちゃんは韓国人だった。仕事中とは雰囲気がちがう。高そうなコートを羽織り、頭にサングラスを引っ掛けていた。上品で賢そうだった。友だちと待ち合わせていると言っていた。雨が止まないので、ぼくは諦めてホステルに戻った。折りたたみ傘は日本から持ってきていたが、どこかの街で壊れていた。新しいものは買っていなかった。そろそろ買わなければいけなかった。ホステルに着きドアをくぐると、ぼくの後ろにも人が来ていた。ぼくはドアを支えたまま、その人が手で受け取るまで待った。バックパックを担いだその男性はこれからチェックインのようだ。日本人かもしれないと思った。細身でシュッとしている。しかしこのときのぼくは雨に降られて、そして雨宿りをしても雨は止まなかったので、サッと部屋に引き上げて日本人かもしれないその男性のことはすぐに忘れた。この日からドミトリーは、カザフスタンからきたフェンシング少年団の少年たちと一緒だった。カザフスタン人の常で半数以上が眼を見張るほどの美形なのだが、それは良いとして、いつまでも騒がしいのは大問題だった。十一時になる十五分前にぼくは皆の注意を引きつけて、事前通告した。「十一時になったら電気を消して寝るからな!」

ホステルの入り口で後ろにいた男性がやはり日本人だったということは、翌朝の朝食の席で判明することになる。彼こそはアライくん。二度目の一人旅の行き先にウズベキスタンを選んだ大学生だった。

(たいchillout@タイ)

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