【ウズベキスタン/タシュケント】You speak Japanese

うん。またあとで

ヒヴァ行きの寝台車を夜に控えた正午。イラン大使館から帰ってきた香港人女性と街中でばったり出くわした。女性はこれからトルクメニスタン、イラン、トルコと進みたいと言っていた。それを聞いたのは昨日のホステルでのことだ。すれ違いざまにぼくは尋ねた。
「ビザとれた?」
「ダメだった。女一人旅で現地に知り合いもいないからだってさ」
だそうだ。女性は続けた。
「そっちはどこいくの?」
「ランチ」
「何食べるの?」
「決めてない」
「そこ曲がったところのローカルフードのお店がおすすめだよ」
「オッケー行ってみる」
バイバイと、ぼくたちは交差した。ぼくは夜に出発するとすでに伝えていた。女性は言った。
「またホステルに戻る?」
「うん。お昼を食べるだけだから」
「じゃあ、またあとで」
「うん。またあとで」
See you later. そう言って会えないことはたくさんあるが、このときもそうだった。ぼくが戻ったときに女性は部屋にいたか、あるいはタイミングわるくまた外出していたのかもしれない。何度か話をしたけど名前も聞いていなかった。こういうことは、たくさんあった。

 

値引きの成否

ソンジェとは駅前で待ち合わせ、夕食を一緒にとる約束をしていた。夕方、ぼくは荷造りを済ませ、駅まで距離があったので、ホステルのスタッフが呼んでくれたタクシーに乗った。ドライバーは言った。
「電車でどこに行くんだ」
ぼくは答えた。
「ヒヴァだ」
「ヒヴァか」
「ヒヴァはどうだ?」
「好きじゃないね」
「好きじゃない?」
「ああ」
「じゃあブハラは?」
「ブハラも好きじゃない。ヒヴァとブハラは好きじゃない」
「なんで?」
「好きじゃないんだ。あまり良くない。タシュケントが良い」
「そうか。じゃあサマルカンドはどうだ?」
サマルカンドは、オッケーだ。でもメシがマズい」
「メシがマズいのか。じゃあタシュケントは?」
タシュケントは良い。メシもウマい」
だそうだ。これからその土地に行こうっていう観光客にそんなネガティブなこと言わんといて〜と思わないではなかったが、それはそれとして印象に残る主張ではあった。
なぜか。それが旅人たちの意見と、大きく異なっていたからだ。アライくんはタシュケントに一泊だけしてヒヴァに向かった。アライくんが事前に仕入れた情報によれば、ウズベキスタンで一番良いのはサマルカンドであり、その次にブハラとヒヴァがきて、タシュケントは一番見どころがない、とのことだった。すでに各地を巡ってきた旅人たちもアライくんの情報を裏付ける発言をしていた。自分の目で確かめる必要があった。

タクシーは一度道を間違えて、少し遠回りして駅に到着した。そのせいでメーター料金が上がっていた。12,100スム請求された。
「あなたが道を間違えたせいで高くなっている。10,000スムにしてくれ」
ドライバーは困った顔をした。
「ソーリー。でもこのお金は会社に払うんだ。メーターに従うしかないんだ」
本当かどうかわからなかった。もしかしたら、本当かもしれなかった。だがこちらは乗る前からホステルを通して行き先を伝えていた。それに目的地は、タクシードライバーにはなかなか間違えようのないだろう鉄道駅である。ホステルのスタッフからは9,000スムくらいで行けると聞いていた。演技だとしたら良い役者になれるドライバーの困った顔を見て怯んだが、引けなかった。
「でもあなたは間違えた」
気まずい沈黙があった。ぼくは折れようと思った。しかし一瞬先にドライバーが折れた。
「オーケー。10,000で良い」
彼は本当に会社に12,100スムを納める必要があるのかもしれない。真実はわからない。もしかしたらぼくは値引きに"失敗"したのかもしれない。
ありがとう、すまんな。という気持ちで、ぼくは右手を差し出した。

 

サンキューは…

駅前でソンジェを待ったが、なかなか来なかった。メッセージを送っても返事がない。そういえばソンジェはsimカードを使わない男だった。ぼくは一時間以上待って、合流を諦めた。きっとなにかの行き違いがあったのだ。ぼくはもっとも近いレストランに入ってラグメンをオーダーした。それでもずっと外の闇に面影を探して、連絡がこないだろうかとケータイを見ていた。タシュケント最後の夜。盟友との再会のドラマは、不発に終わるのだろうか。そんなことを思っていた。
すると突然、知らない人からWeChatの「友だち申請」がきた。続けてメッセージがあった。

 

"I'm ソンジェ this is my friends phone"

"Where are you"

 

ここまでで十分わかるのに、続けて、テンガロンハットをかぶったソンジェの写真が送られてきた。ぼくは慌ててウズベク語でレストラン名を書いて送った。

 

"O'zbegim Milliy Taomilari"

"Restaurant's name"

"You can see from station"

"right side!"

 

すべてぼくが送った、原文ママ、というやつである。そしてソンジェはやってきた。何年もウイグル民族を撮り続けているという写真家の友人(中国人)が一緒だった。

最後の晩餐は駆け足だった。しかしそのおかげか、シャイなぼくらもいつもより饒舌だったかもしれない。ぼくたちは日本語で話した。キルギスで打ち解けた頃から、ソンジェはぼくと日本語で話したがった。勉強熱心な人だった(お互い半分くらいは英語で言い直したけど)。ラグメンを平らげた頃、ソンジェはぼくのチャイのコップを少しずつ引き寄せ、机の下に隠した。数秒後、黄金色の新たな液体が注がれたコップがテーブルの上に置かれた。「どうぞ」とソンジェは言う。これはチャイか?ぼくは聞いた。もちろんチャイじゃなかった。彼はまた、瓶ビールを隠し持ってきたのだった。

駅の建物の外に門があり、そこでパスポートをチェックされる。その際のちょっとしたやりとりでも駅員と歩み寄る。ウズベキスタン人はフランクだった。ぼくたちは道を通してくれた駅員に「ラフマット」と感謝を伝えた。駅員はぼくに「ありがとう」と手を振り、ソンジェに「韓国語でThank youはどう言うんだ?」と英語で尋ねた。ソンジェは答えた。
「サンキューは…」
「サンキューは!?」
夜空に声を響かせて、珍しく腹を抱えて笑い出したのはぼくだった。
「それ日本語じゃん!You speak Japanese!!」
サンキューは…とソンジェは思わず日本語で口走っていたのだ。その上、「…」の先(正解はカムサムニダ)がなかなか出てこず、クールな表情で(でも何かがおかしいと)考え込もうとしていたのがまた笑えた。ここはウズベキスタンであり、ソンジェは韓国人で、写真家の友人とは中国語で会話しつつ、英語の質問に日本語で答えようとしたわけだ。酔っ払ったマルチリンガルここに在り。ソンジェも、こんなことは初めてというような様子で、自分のユーモラスなミスに当惑しながら笑った。なにもかもが愉快だった。別れ際のテンションというやつだった。

「日本に来たら連絡だよ」
旅の別離の常套句に最上級の心を込めて、ぼくは寝台列車のキップを切った。

(たいchillout@タイ)

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