【ウズベキスタン/ヒヴァ】TIME IS MONEY

TIME IS MONEY そして

ヒヴァに二泊した後、朝の九時にブハラ行きのシェアタクシーに乗り込んだ。所要時間は公称八時間。メンツは、フランス人男性二人組、オーストラリア人男性ひとり、ぼく。砂漠の中の一本道をスピードを出して走る車に乗るのは爽快だった。トイレ休憩に停車すると、ほとんど英語を話さないタクシードライバーが必ず繰り返す言葉があった。

「Time is money!」

トイレに入るぼくたちの背中にドライバーは毎回その都度タイムイズマネー!と言わないでは気がすまないようだった。その度にぼくたちは笑った。「まさにそうだ」「それは正しいよ」と茶化し気味に同意した。タイムイズマネー。手垢のついた言葉だった。しかしその言葉自体をぼくたちは決してバカにしてはいなかった。笑いながらもそこにいた旅人の全員が、ほんのときどき、遠い目をした。

あるとき、ドライバーの「Time is money!」に呼応するように、フランス人男性のひとりがぼそっと言った。

「Life is short!」

まったく、何もかもそのとおりだった。時は金なり、そして人生は短い。だからぼくたちは旅をして、ブハラへと砂漠の中を突き進むんだ。

 

晩餐の主役

ヒヴァ初日の夜は日本人五人でディナーを食べた。ウズベキスタン料理のレストランだ。皆が「地球の歩き方」を持ってきていた。定番のラグメン、シャシリク(焼き鳥みたいなやつ)から、それぞれの口コミ情報に基づきたくさんの料理を注文した。FaceBook交換大会になった。女性の方のOさんとMさんには共通の知人がいることが判明した。女性の方のOさんの職場とアライくんの大学が同じ系列だということが判明した。Mさんはクラフトビールフリークだということが判明した。「香港とベトナムクラフトビールの波が来ている」。Twitterにも呟いたが、これはMさんから情報だった。

このメンバーを集めたのはアライくんだった。二人のOさんはヒヴァのツーリストインフォメーションでアライくんに「カラ遺跡ツアー」のメンバーとしてスカウトされた。ぼくはタシュケントで出会い、先にヒヴァに乗り込んでいたアライくんからメッセージをもらって、同じくツアーにスカウトされた。Mさんはアライくんとドミトリーメイトだった。必然的に主役は最年少のアライくんだった。一人旅に目覚めた話、家族の話、部活の話、勉強の話、恋愛の話。テニスで真っ黒に日焼けして明るく積極的で話上手なのに、(厳しめに判断しても)擦れたところがない、眩しい青年だった。たとえば、ドミトリーの部屋の中に自分の下着を干して良いか、アライくんはMさんにわざわざ尋ねたらしく、Mさんはこれには笑わずにはいられなかったという。彼の律儀な素直さや旅への不慣れ、女性への慎重な接し方、それでも正解を求めて確認をとる育ちの良いコミュニーケーション感覚などを総合的に象徴するエピソードだ。ドミトリーに下着が散らかっていることは普通だし、女性のものですら珍しくもない。ぼくたち大人は、そんな彼の真面目な話を囲んで、好き勝手に茶々を入れた。ぼくの泊まっているシングルルームには専用シャワーがあった。ドミトリーの共用シャワーを使いたくないのか、アライくんは何度も「シャワー浴びに行って良いですか」とぼくに訊いた。「そんなに言って、もしかして一緒に寝たいの?」そうからかったのはMさんだった。

 

いにしえのツーリスティック観光地

翌朝、ゲストハウスでは充実した朝食が振る舞われた。ペナンから来たお茶目なマレーシア人ファミリー、クールなドイツ人男性、ルーズなオーストラリア人男性、優しいシンガポール人男性、コーヒーバリスタの中国人男性、アライくん、Mさん、ぼく。昨日からなぜか賑やかが続く。ぼくはその騒がしい朝食風景を写真にとった。一期一会の、仲間とも言えない仲間の中で、ぼくはだらーんとくつろいでいた。

午前中にアライくんとMさんを見送った。アライくんは電車でブハラに、Mさんはヌクスに向かう。翌日にぼくが追いかける形になるアライくんとは、例によってブハラでの再会の約束を交わさなかった。やがて、ぼくが服を手洗いしているうちに、宿泊客たちは次々とチェックアウトに観光にと出払い、ゲストハウス内は閑散とした。ぼくは外の大きなロープに服をぶら下げて、少しデッキで日向ぼっこをしてから、やっとひとりになってヒヴァの街歩きを始めたのだった。

タシュケントタクシードライバーが「ヒヴァは良くない」と言ったのもむべなるかな、ヒヴァの城壁の中は極めてツーリスティックだった。砕いて言えば、バリバリの観光地だった。一見は、古(いにしえ)のオアシスシティといった趣だが、その実ほとんどの建築物が観光地化にあたって後から建てられたもののようだった(インスタ映えはすると思う)。道には土産物屋が多く、タシュケントよりも割高なカフェや不自然に小奇麗なレストランばかりだった。演出されたこの街のそぞろ歩きはすぐに終わってしまったので、点在する古くからある本物のモスク、いくつかの美術展、博物展たちを巡った。それらは有料だったが、まとめて訪問できるフリーパスをMさんに譲り受けていたのだ。そうして観光地らしい時間をつかのま過ごした。

 

ゼロの状態、スクールボーイズとの邂逅

ランチタイムは城壁の外を歩いた。こちらには観光客向けの店はほとんど無かった。あてもなく歩いていると、学校の制服を着た十人もいそうな男子グループにハローと声をかけられた。ランチを食べたいのだと言うとホットドッグのお店まで騒ぎ立てながら連れて行ってくれた。みんな十二、三歳くらいだろうか。ウズベク男子は制服がビシッとキマりカッコいい。そして無邪気で、シャイにならず、開放的だった。ろくに英語ができないのに(ろくにウズベク語ができないのはぼくだった!)、少年たちはワイワイガヤガヤとぼくを囲み、ぼくとコミュニーケーションを取ろうとし続けた。店までのその道は旅そのものの癒しの時間のようだった。

この頃のぼくは、以前よりも積極性や能動性がなくなっていた。モンゴルと新疆ウイグル自治区をピークに右肩下がりだったと言って良い。飽きたわけでも疲れたわけでも無かったが、事実そうだった。それでもアライくんやソンジェとの出会いによって旅には大きなうねりが生まれていたが、彼らに対してもきっと多くの機会損失があったはずだった。独りでいる時は尚の事だった。コミュニーケーションのきっかけを掴む積極性を立ち上げ、コミュニーケーションを発展させる能動性を暖めるためのエンジンが、以前よりも貧弱になっていた。

そんなことを強く自覚していたさなかだったから、閉じたゼロの状態のぼくにいきなり話しかけて、楽しませてくれる少年たちの存在が癒しになったのだ。ぼくがゼロでも、旅は向こうからやってきてくれる。これはとても幸せなことだった。いまでもこの少年たちの集合写真は、この旅のベストショットのひとつだと思っている。

 

同じ軒先、老夫婦との邂逅

一度ゲストハウスに戻って、二階のデッキで林檎をかじってから、日が傾く頃にまた城壁内を歩いた。城壁内でも、外れのほうは民家が立ち並ぶ生活感のあるエリアだった。家々は土とレンガでできていた。そのため住宅街の景観は──その壊れ具合も含めて──大地と溶け合っているようだった。気がつけば午前と同じ道を歩いていた。気がついたきっかけは午前と同じ家の、同じ軒先に、同じ老夫婦が座っていたことだった。
ずっとそこにいたのだろうか。かなり時間は経っていた。二人は何をしているわけでもなさそうだった。会話もなく、目も合わせず、ただ並んで座っていた。ぼくは驚きと観察とで二人から目を離せずにその家の前を横切った。午前中もそうしたが、ぼくは午前よりもさらに長く二人を見ていた。途中までは午前と同様に二人とも表情が変わらず、ぼくの存在をそもそも認識していないようだったが、最後に変化が起きた。おばあちゃんの方がぼくに向けて手を上げたのだ。表情は変わらないが、確かに手を上げた。あるいはあまりに皺が深すぎて、その微笑みがぼくには読み取れなかっただけなのかもしれない。慌ててぼくも曖昧に手を上げた。二人が見ている世界は、ぼくのそれとはきっと大きく違うはずだった。

 

西の果て、少女との邂逅

角を曲がると、正面から、日本なら未就学か小一くらいの少女がひとりでこちらに歩いてくるのが目に入った。ぼくは少女を見て、少女もぼくを見た。少女は笑った。お互いがにこにこしながらぼくと少女は他に誰もいない晴れた砂まみれの道ですれ違おうとしていた。少女が手を上げた。先程のおばあちゃんのように。ウズベキスタンの子どもたちは本当に愛想が良いのだ。ぼくも少女に応えて手を振った。いざすれ違うとき、ぼくは少女と一緒のタイミングで自然に手をおろそうとしたが、そうはならなかった。少女は手を上げたままぼくに近づいてきてその手をぼくに触れようと伸ばしたのだった。握手。そうはならなかった。ぼくは左手、少女は右手を上げていたのだ。それは優しいハイタッチに近かった。触れることを目的に触れたようなものだった。ぼくと少女は、ただ笑いながら無言で、お互いの手を重ね合わせ、お互いへの喜びを重ね合わせた。そしてほとんど立ち止まりはせず、すれ違っていった。

ここからブハラ→サマルカンドタシュケントと東へ戻り、マレーシアやがては香港へと飛ぶ──ヨーロッパを目指すのになぜか東へリセットしてしまう──航空券を持ったぼくにとって、ヒヴァは現時点での西の果てだった。旅の第一幕の西の果てだった。少女との邂逅とも言えない邂逅を終えてぼくは何かが腑に落ち、何かが綺麗に納まる音を聴いた。要するにこういうことだ。今の出来事は第一幕のラストシーンなのだ、と。

 

MY TURN YOUR TURN

「Time is money!」
ブハラ行きのタクシードライバーは相変わらずそれを言い続けた。車内のBGMがデカ過ぎた。車内の空気が倦怠してきたのを気にしてか、ドライバーはBGMのボリュームを"あげた"。オーストラリアから来た青年はイヤホンをつけて自分好みの音楽を聴いていた。正解だと思う。後部座席の三人──ぼくとオーストラリア人男性とフランス人男性──は交互に席を交換した。やはり真ん中が一番窮屈だからだ。席を替えるタイミングは両端の人の自己申告だった。席替えのたびにぼくらは次のように言い合った。
例えばそろそろぼくが真ん中に座ろうと、トイレ休憩後に自主的に真ん中に座るとする。するとその前に真ん中だった人が訊いてくる。

「Your turn?」

ぼくは答える。

「Yes, my turn」

あるいは、それからしばらく真ん中に座り続けたぼくに隣が言う。

「My turn」

ぼくは答える。

「Okey, your turn」

 

オーケー、次はお前の番だ。

(たいchillout@インド)

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