【ウズベキスタン/ブハラ・サマルカンド】楽しかったよ!ばいばい!

大阪のおばちゃん

ブハラで、USドルではなく、ウズベキスタン・スムを引き出せるATMを探してとある中規模ホテルに入ると、日本人のおばちゃん軍団に声をかけられた。どうやらトイレを探しているらしく、ホテルの人に場所を訊いてくれという。ぼくもトイレに行きたかったので、言われたとおりにした。場所を教え、ぼくもついていくと、そこには男子トイレと女子トイレがあった。ぼくは男子トイレに入ろうとしたが、おばちゃんのひとりがその前に立ちはだかり、「こっちもつかっていいわよね!!」と他のおばちゃんに言う。「ぼくがつかいます」とぼくは言ってトイレの鍵をしっかり締めた。

トイレから出て、共用の洗面台で手を洗っていると、どこから来たのかという話になった。ぼくは「東京です」と言った。するとおばちゃんたちは「わたしたちはどこだと思う?」訊ねてきた。ぼくが適当に「大阪」と答えると、それがおばちゃんにウケた。「うるさいから大阪のおばちゃんだと思ったんだね!!」。そう言って、大阪のおばちゃんみたいに、ぼくの背中をビシバシ叩いた。どうやら正解は福岡らしかった。

ブハラには城壁もなく、ヒヴァよりも大きかったが、ツーリスティックであることに変わりはなかった。いくつかのアートギャラリーは素敵だった。しかし町の中心が作り物であることが、ぼくにとっては興を削いだ。大きなバスが停車していた。そのバスの運転席の前には日本語でこう書かれた紙が貼ってあった。

"シルクロードの十字路
碧いウズベキスタン
—8日間の旅—"

これに乗ってくるひとたちはきっと、この町並みをツーリスティックだなどと思わないだろう。もちろん、それはそれで良かった。

 

サマルカンド

翌日、鉄道でサマルカンドに移動した。サマルカンドは、ヒヴァやブハラとは違い、それなりの規模の市民の消費生活が存在する大きな街だった。生活空間としての街に溶け合うようにして、「レギスタン広場」を代表格に、古く大規模なモスクや歴史的建造物が点在し、美しい景観をつくっていた。タシュケントが東京ならサマルカンドは京都だ。高層ビルは無く、広い空を持っていたが、近代化も進んでいるようで、洗練されたデザインの路面電車が走っていた。他方で、街中なのにもかかわらず棄てられたままの空き地や、廃墟と化した建物も目についた。廃墟には負のエネルギーという魅力があった。ホステルでは英語を話さない壮年女性が迎えてくれた。その女性は、話すときに、必ず口元を手で隠した。翌日その女性が、ぼくのドミトリーの空いているベッドに横になり、点滴を打っていた。弱々しい目でぼくを見て、「気にしないで」という表情をつくった。

サマルカンドはやはり観光都市で、観光客の多い街中では郊外の遺跡へのタクシーツアーの客引きによく声をかけられた。ぼくは無視したが、アライくんはひとりひとりに返事をした。そう、アライくんとはブハラでもサマルカンドでも偶然、街で出会っていた。ぼくたちは一緒に旅をする運命にあったのかもしれない。彼との会話はなにひとつ具体的なメモが残っておらず、"シーン"を書き起こせないのは残念だ。ただぼくたちは、ブハラで一回、サマルカンドで二回、二人だけで夕飯を食べるほど、気がつけば多くの時間を一緒に過ごしていた。ぼくは大いに刺激を受けた。彼のように旅をしたいとは思わないし、彼の知らないことをぼくはたくさん知っていたが、そんなことは重要ではなかった。彼はソンジェと同じように、ぼくの旅をつくったひとりになった。

 

金色のふきぬけ

ある午後、街外れをひとりで歩いたとき、ぼくの心はときめいた。GUMという中規模のショッピングセンターに迷い込んだのだ。そこはサマルカンドの「中野ブロードウェイ」のような場所で、外国人はひとりもいなかった。ぬいぐるみ、シーシャ、ヘアアイロン、置き時計、腕時計、船の模型、馬の銅像、服、花瓶、バッグ、スマホ、水鉄砲、貴金属、 DVD、文房具、テレビ、掃除機、固定電話、ナイフ、ドライヤー、シャンプー。薄暗い複数のフロアであらゆるものが雑多に売られていた。

サマルカンドで街歩きの拠点にした場所は二つある。ひとつはMagistr Cafeというカフェだ。庶民的なカフェで、ノマドワーカーなどはひとりもいなかったが、WiFiと電源の恵みを授かった。食事も良かった。もうひとつはレギスタンプラザホテルだ。レギスタンプラザホテルは、長方形で左右対称の一階ロビーから最上階まで続く"ふきぬけ"が美しいハイグレードなホテルだった。ロビーの中央にはバーがあったが、さすがにそこまでは利用しなかった。ある夜は、ここのWiFiを利用してウランバートルにいる友人と電話した。二人がけのソファーに腰を沈めて、金色に煌めくふきぬけを長いこと見上げている夜だった。それはこの旅で出会った最高に美しい景色のひとつになった。

 

クレイジー・パーティー・タクシー

クアラ・ルンプールに飛ぶフライトは早朝だったので、最終日はタシュケントに戻って一泊した。サマルカンドタシュケント行きの鉄道もアライくんとお揃いになった。別のホステルに泊まっていたが、少し遠い鉄道駅まで、アライくんのホステルで手配したタクシーをシェアする約束をしていた。ところが予定時間になっても連絡がこない。すこし過ぎたところでメッセージがきた。要約すれば、「タクシーが捕まらないので個別に行ってほしい」とのことだ。事前手配していたはずでは?と思ったがまあ仕方がない。時間がないのでぼくは慌ててホステルを飛び出した(あとで聞いたところによると、タクシーが捕まらなかったのではなく、一緒にシェアする予定だったドイツ人?が遠回りをしたくないと駄々をこねたのが原因らしい)。

そう来なくっちゃ。このくらいのトラブルは良い刺激だった。あるいはこういった刺激を"モノにできなければ"、それは旅人じゃない。そうとも言えた。さあ、タイムロスは許されない。一瞬でタクシーを捕まえてやると意気込んで、忙しない朝の交差点に降り立った。そしてその通りになった。

ぼくが立ち止まった目の前に車が停車し、こちら側を向いた助手席の窓が開いた。助手席にいるのは若い女性で、左ハンドルの運転席には男性がいた。後部座席にも若い女性がいた。助手席の美女がぼくを手招きした。
「どこに行くの?」
「駅に行く?」
どちらが先に訊いたのかは覚えていない。交差点はけたたましい騒音にあふれていた。とにかく、何度も確認をして、5000スムで駅にいくことで話はついた。

それがタクシーなのかはわからなかった。助手席の女性は最初からやたらハイテンションで、ぼくが乗るなりイケイケの音楽をかけ、座ったまま両手と身体全体でリズムに乗りはじめた。たちまち車内はクラブかパーティーのようになった。助手席の女性は、ぼくと美しい女性陣二人のスリーショットを何度もとってはハイタッチを繰り返し、ムービーもとった。信号で停車する度に、運転手がこっそりボリュームを下げるのだが、女性はまたすぐにボリュームを上げた。英語はあまり通じなかったが、ぼくもとりあえずイェーイ!と言ってノリを合わせているだけでコミュニケーションは完結し、タシュケント駅についてくれた。

駅で降りたのはぼくだけだった。ぼくのために寄ってくれたのだろうか。果たしてこの車がタクシーなのかは最後までわからなかった。やはり旅とは、面白く、なんて興味の尽きないものだろう。アライくんの手配にトラブルがなかったら、この十五分きりの、クレイジー・パーティー・タクシーは存在しなかったのだから。東南アジアに飛ぶぼくにウズベキスタンがくれた、ちょっと意外性のある最後のプレゼントだ。「楽しかったよ!ばいばい!」ぼくは日本語でそういって手を振った。

 

(たいchillout@ネパール)
ウズベキスタン編はこれで終了。次は、時系列に従えば、心機一転マレーシア編!

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