【マレーシア/ペナン】さよならアミーゴ

エヴァ

通称パリピホステルをチェックアウトし、落ち着いてそうに見えるホステルに引っ越した。正解。コモンエリアらしいコモンエリアもなかったが、いまのぼくにはちょうどよかった。四つあるベッドのひとつに、女性がいた。ペナンは三回目という、ロシア人だった。
女性が外出したタイミングで若い男性がチェックインしてきた。ジョホール・バルからきた中華系マレーシア人、名前はエヴァンと言った。明るいやつだったが、積極的すぎて少し困った。
エヴァンから逃げるように街に出て、本屋をみつけた。英語の本が多く、ジムノペディがかかっていた。

 

透き通った孤独と素敵な人間

朝食はついていなかったので、翌朝早く出かけた。通りに面したはじめての店に入った。トースト。半熟卵。アイスコーヒーのセットで5リンギット(135円)。暑い。そして、孤独だなあ。と、ぼくはあまり普段は思わないことを思った。

ぼくはパリピホステルを嫌悪した。しかしながら、ぼくもまた人と出会いたがっていることも事実だった。朝食を終え、通りに歩き出し、信号が変わるのを待った。しかしそこに信号なんてなかった。

自分探しの旅。ぼくは昔から自分があった。探す必要はなかった。なにが好きか。なにがしたいか。なにをしないか。なにを選ぶか。昔からはっきりしていた。しかし、ここにきてぼくは、自分が、どこかに行ってしまった気がしていた。ぼくはなにがしたいのだろう。それは良く分かっていたはずなのに。探すどころか、自分を手放してしまったようだった。

ぼくが人と出会いたがっているのはなぜか。それを考えた。よく分析する必要があった。なぜなら、旅立ちの初期段階では、人と出会うことへの、ここまでの渇望感は無かったからだ。寂しいとも人恋しいとも種類が違うこの渇望の正体は? ぼくは原点である深夜特急の冒頭シーンを思い浮かべることで、ここペナンで、そのカラクリを探り当てた。カザフスタン以降綿々と続く、ぼく自身の、「パッとしなさ」の原因はどうやらここにありそうだ。最初はそうではなかったのに、いつのまにかぼくは人と出会うことを、まさに渇望していた。

深夜特急の物語は、沢木耕太郎がデリーの安宿で目覚めることにより幕を開ける。そこからの数ページで、早くもぼくはその本の虜になった。そこにはキレイな孤独があったからだ。沢木青年は誰とも交わらず、怠惰な調子のまま、一日の半分をチャイを飲むだけで終える。それを毎日繰り返す。いつ次の街へと出発するのかもわからない。長い長い旅の真っ只中の、退廃的かつ綺羅びやかな、透き通った孤独と退屈。それは想像のつかない世界だった。なによりぼくは、旅というやつの、そんな一面に憧れたのだ。

透き通った孤独と出会うために旅に出たが、ぼくが旅でまずはじめに出会ったのは、素敵な人間たちと、彼ら彼女たちと繰り広げられるちょっとした物語のような時間だった。そんな日々の中でぼくはいつしか変わったのだ。透き通った孤独のことは忘れ去り、次の街ではまた素敵な人間に出会えるのだ、と。

分析終了。ぼくを変えた、そのA級戦犯ウランバートルだった。B級戦犯ウルムチだろうか。いよいよ本当にそれらに折り合いをつけられるときがきたのかもしれない。自分が変わってしまったことに、こうして気がついたことによって。気がついたからには、それができる気がした。ぼくはもう、渇望しなくて良い。自分が変わってしまったことの尊さをこそ噛み締めながら、もう一度深夜特急のはじまりのシーンに戻ろう。これからは、人ではなく、あの孤独を探しに行けば良い。

こうしてこのペナンの地でひっそりと、心理面でのギアチェンジが行われるべくして行われた。

 

ハッピーアワー

ハッピーアワーなので昼過ぎからビールを飲んだ。GUINNESSだ。15リンギット。日本円なら400円。しかしぼくはこれを飲まなければいけない。人間は金を使わなきゃ生きられない。人間は金を使わなきゃビールも飲めない生き物なのだ。

夜の海辺を歩いた。豪華客船が停泊している。どこへ行くのだろうか。広場に屋台が並び、中心はフードコートになっている。チャーハンを食べた。客船の方から花火があがった。

翌日、タイのプーケット行きのバスのチケットを買った後、人気観光地であるペナンヒルという丘の麓までバスで40分かけて出向いた。てっきり上までバスで登れるのかと思ったら、それはぼくの根拠なき思い込みだった。山頂行きのケーブルカーは30リンギットもしたので、回れ右して帰りのバスに乗った。

ドミトリーには新米がいた。長い髪をオールバックで纏めた、上海出身の美青年だ。明日にはアフリカへ飛ぶらしい。年越しは大阪を予定しているとか。エヴァンとのコミュニケーションはダルかったが、美青年を交えて話すなら、現金にもぼくはそれを受け入れた。エヴァンは語学オタクだった。マレー語、英語、中国語、スペイン語、韓国語。日本語の知識もあった。ぼくたちは言語を交換した。ぼくは日本語を教え、二人はぼくに中国語を教えた。

 

さよならアミーゴ

翌朝はもうプーケット行きだった。ぼくは屋上に立って、紅茶を飲みながらジョージタウンの夜明けを見て、りんごをかじった。プーケットまで2000円。安いでしょう? あのプーケットまでたったの2000円。
本当は、この段階でタイを訪れるつもりでは無かった。なにせシンガポール発香港行きのチケットをぼくは持っている。タイにいけばなお遠ざかってしまう。当初、タイには、ラオスカンボジアから入国しようと考えていた。マレーシアという国への未練もあった。ランカウィ島に東海岸、そしてボルネオ島など、行くべき場所はまだあったし、それになにより、これまでの国のような「ハイライト」となるストーリーにこの国ではついぞ恵まれなかった。
でもよいのだ。沢木耕太郎の次の言葉をこのときのぼくは意識していた。

 

旅は素晴らしく、同時に無残なものである。長い旅をしていると、旅人の背中にその無残さが貼りついてくる。それを避けるためには、はりついてこようとする無残さより速く移動することしかない。『沢木耕太郎/天涯 第一』

 

移動するしかない。ぼくにもいよいよ無残さの足音が忍び寄っていた。どうやら今は、気ままな滞在は許されない時期であるようだった。それができたときもあった。だけど今は、無残さというやつから、最優先で逃げる必要がある。それになんてったって、あのプーケットまで、たったの2000円で行ける場所まで、ぼくは来ているんだよ?

上海の美青年のベッドはすでに空だった。ぼくはバックパックを背負い、洗面所に顔を出した。ムースで髪を固めているエヴァンに言った。
「さよならアミーゴ!」
さよならは日本語。アミーゴはスペイン語で「友だち」を意味する。昨夜エヴァンに教えてもらった。

(たいchillout@スリランカ)

マレーシア編完。次はタイ。

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