【タイ/プーケット】メイビー昼の街と夜の街

Old Phuket Coffee

孤独推進委員会の活動が順調に進んだ。午前中、ほぼ必ず、ぼくはパソコンを持って「Old Phuket Coffee」に出かけた。「Old Phuket Coffee」のアイスアメリカーノは80バーツ (280円弱) と、相場より割高だったが、WiFiが早く、街の中心にあり、ブロックの角に位置して、開放的で、なによりレトロな内観が良かった。毎日ぼくは機織り機のような低い椅子に座り、使い込まれた木のテーブルにMacを置いた。そこで目一杯蚊に刺され、ハエと共に半日を過ごすことを繰り返した。数日を経て、目出度く店員のおにーちゃんはぼくを見て「アイスアメリカーノ?」と言ってくるようになった。

 

試み【A】と試み【B】

パソコンでは、もちろんこの旅ブログを書き、父の会社の仕事も少しあった。しかし、ここで主に取り組んでいたのはそれらとは異なる試みだった。ひとつは、【A】なんとかしてお金を稼げないだろうかという試み。もうひとつは、【B】本来の自分がやりたいことに没頭してみようという試み。【B】は人との出会いに向いていた関心の矛先を、改めて自分に向ける役割を果たしてくれるもので、【A】はクアラ・ルンプールでの事件のせいで、旅を続けるための資金上の不安が頭をもたげてきたことに起因していた。そもそも【B】に関しては、ぼくの場合、最初からたくさんあった。それらは皆、旅のために中断してきていたのだ。そして【B】は【A】に発展しうるものであった。そのためぼくは改めて、両者を繋がったものとして考え、旅の中にあっても、なにかをやってやるぞという気になった。いくつかの本を買ったり、何かのリサーチに夢中になった。
これらの試みの内容それ自体は旅とは別の話なので「あまり重要ではない」と敢えて言い切ろう。ここで書きたかったことは、ぼくは旅の渦中にいながらも、旅とは関係のないことを比較的長く考え、それを楽しんでいた、ということだ。今から振り返って、プーケット (とその次のバンコク) は、そういう季節に該当していた。

 

maybe

ビーチで泳ぐには問題があった。荷物だ。ホステルは海まで遠く、ビーチには貴重品を預ける場所もなく (あったかもしれないが、あってもそこにお金を使ってまで泳ぎたいわけじゃなかった) 、預かってくれる人はどこを見渡してもいなかった。考えた結果、ビーチまで歩けるホステルに拠点を移してみることにした。せっかくならと、まだ訪れていないほうのビーチの近くのホステルをブッキングした。

プーケットタウンで泊まっていたホステルは、スタッフの人柄も素晴らしかった。彼ら彼女たちの上着はシックな黒のポロシャツで統一されていた。その中でも二人の女性スタッフをぼくは特に気に入った。ぼくを気に入ったのもその二人だった。ひとりはハロウィンメイクをしていたスタッフで、名前はわからないのでハロと呼ぼう。ハロは毎朝「グッドモーニング・カー」と挨拶してきた。「カー」はタイ語である。「ー」にアクセントがありイントネーションは上り調子。語尾につけることで丁寧な表現になる。「こんにちは」なら「サワディー・カー」。ちなみに「カー」は女性の言葉で、男性は「クラップ」を使う 。
英語とタイ語をかけ合わせた「グッドモーニング・カー」は、さしずめ日本なら「グッドモーニングです〜」と挨拶しているようなものなのだ。なかなかファニーだし、かわいいでしょう?

もうひとりの名はグォアンと言う。グォアンはチェックインのときに街やビーチについて教えてくれたスタッフだ。それ以降もぼくを見かけると、イタズラをした子どもやペットを、親や飼い主が「見ていたぞ〜」と訴えかけるときのような上目遣いでぼくを睨みつけて、訳もなくぼくの名前を呼んだのだった。

チェックアウトのとき、ぼくの行き先を聞いてグォアンは嫌そうな顔をした。3つあるビーチのうち、最もグォアンがおすすめしなかったビーチに、今回行こうとしていた。そこが一番大きく、ホステルの選択肢も多かったからだ。パトンビーチという。グォアンはぼくが行ってしまうのを残念がるだけでなく、その行き先もあまり好まないようだった。パトンビーチでは二泊だけ予約していた。そこから先は未定だが、まだプーケットにはいるつもりだった。グォアンには「もしかしたらここに帰ってくるかもしれない」と伝えた。ぼくは「メイビー」と断りを入れた。グォアンは「ノーメイビー」と首を振った。

 

即決

ちょっとした山を越えた先のパトンビーチに到着してすぐに、グォアンの言わんとしていたことをぼくは完全に理解した。ビーチも大きかったが街もかなり開発されていた。それも"品の無い"方向に。バーもレストランも、けばけばしく、そして高い。デカい。林立する巨大ホテルの間にマッサージ屋が並び、同じ衣装を来た暇そうな女性たちが通行人に声をかける。メイドカフェのようなものまであった。たくさんの交通、たくさんの旅行会社。人の多いビーチに出れば日本語で、ジェットスキーをやらないかと、何人にも声をかけられた。その男たちからは饐えたような匂いがした。
プーケットタウンとはなにもかもが雲泥の差だった。ここ、パトンビーチはプーケットで最も知名度が高い。中には空港からここに直行し、ここだけで滞在を終える人もいるだろう。それはなんとも気の毒なことだった。

パトンビーチでのホステルは中国人宿だった。それを知っていたわけではない。安かったから選んだだけだ。オーナーらしき若い女性は広州の出身だった。その母親らしき年配の女性は全く英語を話さなかった。それでも問題がないようだった。なぜならぼくのドミトリーメイトは、中国人と台湾人だけだったからだ。彼らには、中国人宿を見つけるための独自のネットワークがあるのかもしれない。もちろんぼくは中国が好きだったので、それは気にしなかったが、やはり清潔感においては、特にレジェンド級だったプーケットタウンのホステルに比べると、その落差が少し堪えた。

大いに迷い、ぼくは勇気を出してオーナーの女性に本来は二泊だったうちの、一泊分のキャンセルを申し出た。女性は快く応じてくれた。そしてすぐさまBooking.comを起動し、ついさっきチェックアウトしたホステルの予約を済ませた。ぼくはパトンビーチに着いて数時間で、プーケットタウンに帰ることを即決したのだった。

 

そういう世界

美しくないパトンビーチでは泳がなかった。しかしせめてこの一日はちゃんと見て回ろうと、夜まで、賑やかなビーチと街を歩き続けた。ビーチ上の特設ステージでは何かのイベントが開催されていた。どこかで花火が上がった。露店の連なりを何度もくぐり抜けた。

そろそろホステルに帰ろうと、ビーチ沿いから一本適当に右折した。
そこに広がった光景に、ぼくは、パトンビーチについたとき以上に気圧されてしまった。

歓楽街だった。それも本格的な。青、紫、赤、黄のネオンが四方八方リズミカルに点滅し、両サイドには開けた西洋風の豪奢な内装のクラブだかバーだかが並び、すべての店からけたたましい音楽が鳴り響き、通りの真ん中を歩いてもそれらが混じり合って聴こえた。人でごった返している。西洋人もアジア人も多い。両サイドのクラブだかバーには水着のような格好の女性 (あるいはニューハーフも?) がたくさんいた。立って客引きするのもいれば、捕まえた客と飲んでいるのもいる。そうだった。そうなのだ。わかっていたことだったが、タイと言えばナイトライフであり、東南アジアは広範囲において、いわば"そういう世界"だった。

 

社員旅行

一年と数ヶ月前、ぼくは社員旅行で三泊四日のバンコク旅行に行った。行き先がバンコクになった理由は、幹事役の社員がタイ好きだったというただそれだけだった。
初日は移動日で夜遅くに到着した。二日目は全体行動でアユタヤ遺跡など、超メジャー級観光地をバスで回った。三日目は自由行動だったが「バンコクひとり旅は将来にとっておく」という理由でぼくは、他の社員が企画した小さなツアーに混ぜてもらった。
行き先がバンコクに決まってからの、一部の男性社員たちの張り切り様は見ものだった。会社のパソコンで日夜その手のお店を調べ上げ、独自の「旅のしおり」を作り上げる人までいた。奥さんに内緒でバンコクのための貯金を積み立て始めた社員もいた。半ば冗談だと思いきや、夢を見てしまった男たちは本気だった。
いざ決戦の夜。脇目も振らず単独飛行でバンコクの漆黒に果敢に挑んでいく勇敢な戦士もいたが、ぼくは親しかった先輩方とグループになり、ひとまずは最も有名な歓楽街までついて行った。各々の思惑がサーチライトの如く交差し、グループは分裂したり、再度合流したりを繰り返した。街を歩いているだけで、すべてが真新しい経験だった。夜の世界は広大で、興味深かった。男と女と酒と金がダイナミックに蠢いていた。紛れもない人類の、底知れぬ可能性と文化の煙が、そこに悠々と立ち昇っていた。
ぼくは飲むだけ飲んで、見物するだけ見物して、一同が「ではこれから」という空気になったら、その空気を読まずタクシーを拾ってサッと帰った。良い夜だった。

 

何もないプーケットタウン

その夜を思い出していた。穏やかなビーチリゾートを漠然とイメージしてプーケットにやってきたが、タイらしさに溢れたナイトライフはこの地にも息づいているようだった。部屋に戻った時間は遅かったが、ルームメイトの中国人、台湾人はまだ誰も帰っていなかった。
翌朝、台湾人男性がぼくに言った。

「いまからプーケットタウンに行くのか?」
「そうだよ」
「あそこには何もないだろ。一日か二日で十分だよ」

何もないというプーケットタウンにぼくは帰りたくて仕方がなかった。

「クラブには行かなかったのか?」
「行かなかった」
「おれたちは行ったぜ」
「そうか」

残念ながら、ぼくはオンナに使う金は持ち合わせていなかった。格好つけているわけでも真面目なわけでもない。主義もこだわりもない。ぼくは、車に使う金や、時計に使う金、洋服やアクセサリーに使う金も持ち合わせていなかった。それと同じだった。アイスアメリカーノに使う金なら持っていた。

ふと気がついた。グォアンが、なにも知らないぼくにはじめてプーケットの知識を授けたとき、一番人気のパトンビーチを全くおすすめしなかったのはなぜか。ぼくがそこに泊まると言ったとき、嫌そうな顔を隠さなかったのはなぜか。その理由にはこの一件もあったのではないか。
「何もないプーケットタウンとは違って、パトンビーチには夜がある」
そう考える大多数の外国人の男たちのひとりに、ぼくがなってしまうことを、あの人は望まなかったのではないだろうか。

(たいchillout@アラブ首長国連邦)

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