【タイ/プーケット】didn’t know the world

Monkey Hill, Coffee Chill

日曜の夜、プーケットタウンの日が暮れて、メインストリートが賑わい始めた。これからナイトマーケットがはじまるのだ。

その日の朝、Old Phuket Coffeeで、バンコク行きの国内線の航空券を予約した。シンガポールからますます遠ざかってしまうが、今のうちにバンコクを制覇しておけば、後々ラオスから入国する際、タイの「北部」だけに注力することができ、直線でミャンマーに抜けることができる。そう考えた。
昼食を終えてホステルに戻った。確定した出発日までの宿泊代金をハロに払い、モンキーヒル (猿がいっぱいの山) に出かけた。こいつがちょっとした炎天下のハイキングになってしまったので、ホステルに戻ってまずビールを空け、それからMacchiato House (現地のノマド風Boys&Girlsが多いカフェ) に移動して涼みがてらブラウニーとコーヒーでChillした。カフェの窓から通りが見えた。週末に限りそこは歩行者天国になる。ナイトマーケットの準備がはじまっていた。

 

夏祭り

ナイトマーケットはさながら夏祭りだった。いつもはオシャレな雑貨屋とカフェに挟まれている通りに、屋台がズラッと並んでいる。ホコ天の入り口ではバイオリンの演奏会。屋台は食事系と雑貨系が半々だ。屋台の切れ目で、人形劇や路上パフォーマンスが繰り広げられる。子どもの手を親が引き、カノジョの手をカレシが引く。そんな空間にひとりでいることが好きだ。西の空は赤紫、太陽の余韻が残っていた。日本の屋台はおじちゃんが多いが、プーケットの屋台はおばちゃんが多い。ぼくは手際の良いおばちゃんの一人からパッタイを受け取り、石の椅子を見つけた。
お口直しはココアフラッペ。それを手に歩き続けた。こんなに牧歌的で暖かみのあるナイトマーケット、あるいは夏祭りをぼくは知らない。その理由は思わぬところで判明した。いたるところの看板に「アルコール禁止」と書いてあるのだ。どうりで治安が良いわけだ。
ホコ天から少し外れた場所にある公園では、影絵の劇や、腹話術の一人芝居に人が集まっていた。愛すべき文化的な南国の祭り。観光客も多かったが、何より地元の人々がそれを楽しんでいた。

 

ロシア語

公園の壁にもたれ、遠くからそれらをぼんやりと見ていた。
「あれ、ロシア語だと思わない?」
突然、英語で声をかけられた。右手を向くとそこには、タンクトップ姿の西洋人女性がひとり。ロシア語? 突然話しかけられたことにも、その内容にもぼくは戸惑ったが、腹話術の一人芝居は確かにロシア語だった。ぼくも頭の何処かで、タイ語ではない気がしていたが、そもそも芝居の内容には関心がなく、夜風と雰囲気を楽しんでいたのでその違和感が意識まで浮上していなかった。
「確かに。ロシア語話せるの?」
「話せないわ。でもロシア語な気がする。あなたは?」
「ぼくも話せない」
それきり二人は沈黙した。お互いの姿はほとんどが闇に沈んでいた。話の接ぎ穂を失った状態は、それはそれでどこか心地よいものだったが、向こうから声をかけてきたわけだし、少しは踏み込んでみても良いだろう。お決まりのWhere are you from? から、会話を再開した。

 

ネレイダ

女性の名はネレイダといった。スペイン人だ。偶然にも同い年だった。オーストラリアでワーキングホリデーを終えたらしいが、国に帰る気にはなれないらしく、オーストラリア国内からはじまり、バリ島などのアジア近辺、主に南国の島々を旅していた。一風変わったところと言えば、「空手」好きであることだ。スペインで習っていたらしく、日本旅行の際は本場の道場を巡ったらしい。空手道場のおもしろエピソードを聞いて、道着姿の写真を見せてもらった。

不思議なことに、ロシア語の一人芝居をタイ人たちは楽しんでいるようだった。シュールなその光景に笑いながら、お互いのことを話した。
「どこのホステルに泊まっているの?」と聞くと、ネレイダはなんとぼくと同じホステルの名をあげた。
Really?? と驚いてしまったが、これは失敗だった。ぼくたちは昨夜、顔を合わせていたのだ。ホステル内ですれ違いざまにハローと言っただけだったが、ぼくはネレイダの顔を覚えていなく、ネレイダはぼくの顔を覚えていたのだった。だから声をかけてきたのだ。

 

世界を知らない

ホステルのラウンジに場所を変えて話し続けた。マレーシアに飛んで以降、このようにして文字通り「腰を据えた」コミュニケーションをとったのは初めてだったかもしれない。ネレイダは読書家だった。村上春樹は全て読み、英米文学にもぼくよりも精通していた。
ぼくは今後の話をした。バンコクシンガポール、香港、中国南部、ベトナムカンボジアラオス……。
ネレイダはカンボジアラオス、インドに興味を持っていたが、一人で行くのは心許ないようだった。
「あなたがその国に行くとき、もしも時期が合えば、ジョインして良い?」
とても遠慮深く、そう言われた。
「もちろんだよ」とぼくは答えた。
しかし話はそこで終わらず、ネレイダは続けた。
「でも、あなたは本当はひとり旅が好きなのではないの?」
それは、その通りだった。一緒に東南アジアやインドを周るとなると何週間、何ヶ月にもなる。正直、そこまで実際的には考えずに、軽い気持ちで返事をしてしまっていた。

話は続いた。
「人生は楽しむためにある。それなのに私の周りには、生きるためだけに仕事をして、仕事をするために生きている人がたくさんいる。私はそういう生き方はしたくない。世界は本当はこんなにも広くて美しいのに」
ネレイダはそう言った。
「去年。母が亡くなったの。母もそうだった。生活するために働き続けて、働き続けたから亡くなってしまった。彼女は世界を知らなかった」
She didn't know the world。過去形だった。ネレイダの母はもう、世界を知ることはできない。
「それもあるの。私がこうして世界を見ようと、旅しているのは」
ここにきてぼくは完全に言葉に詰まってしまっていた。
夜だけが耳を澄ませるような、長い沈黙。
ぼくは理解していた。頷きたかった。その感性 (あえてこの言葉をつかおう) の尊さを、このぼくなら十分に知っていることを、分かってほしかった。それを話してくれることが、ぼくへの信頼の証明であることがわかって、嬉しかった。それを伝えたかった。
しかしあまりに生 (なま) の感情は、喉元にくると一瞬にして溶解し、言葉として仕上がることはなく、ぼくはただひたすら間抜けな顔で口をもぐもぐしていた。
「ソーリー。喋りすぎてしまったわ」
ネレイダはぼくが困ってしまっていることに気がつき、沈黙を終わらせた。同時にこの夜のおしゃべり大会も、終わってしまったようだった。緊張と疲労が急速に抜けていった。ネレイダほど悲しい目をして笑う人をぼくは知らない。

結局、カンボジアでもラオスでもインドでも、ぼくたちの「ジョイン」は実現しなかった。

世界を旅するだけで、世界を知れるとは、ぼくは思わない。ずっと同じ場所に居続けても、働き続けても、世界を知っている人はいる。こうして気ままな旅をしているぼくらは、働くことや留まることによって世界を知ろうとした人からこそ、何かを学んだほうが良いと思っている。

翌日、ネレイダは船に乗った。プーケットの近くにある、小さな島に向かったのだ。二日後、ぼくはバンコクに飛んだ。

(たいchillout@アラブ首長国連邦)

プーケット編終わり。

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