【シンガポール】A型肝炎

病院

シンガポールについてすぐに病院に行った。松山さんには、マレーシアの方が安いからと、ジョホール・バルで病院を探すことを勧められたが、もう香港行きのフライトまで日数がないのでシンガポールに行ってしまいたかった。それと単純に、シンガポールの病院のほうが信用できる気がした。
日本人の医者がいる日本人向けの病院をネットで見つけ、ホステルにチェックインしてすぐに向かったが、なんとすでにその日の営業を終えていた。ビルの係員に、明日は? と訊くと、日曜日だから休みだと言う。出入国、バス二本 (国境越え + ダウンタウン行き) 、ホステルから/ホステルまでの徒歩移動がかなり堪えていた (これまでの国境越えを思えば楽勝なはずなのに) 。急を要すると判断し、仕方なく「普通の」シンガポールの病院に行った。普段ならこんなことしないけれど、診察の待ち時間に症状や (旅をしているという特殊な) 現状を英訳したメモをまとめた。

診察をしただけではA型肝炎か分からなかった。ただ、最も顕著な症状として、重症化した際に見られる「斑点」がぼくの身体にはなく、また熱もなかった。正確な判定のためには血液検査が必要だった。ぼくはそれをお願いして、一度待合室に戻った。看護師に呼び出され、血液検査の金額を知らされたときは、まさに血の気が引く思いだった。2万円を越えていた。ぼくはそれを見て声に出して笑ってしまい、一旦考えさせてくれと言って、後ろに引っ込んだ。

A型肝炎の感染経路は基本的に糞口感染らしい。要するに衛生的でない食事が原因だった。心当たりは無限にあった。感染から発症まで平均四週間の潜伏期間がある。遡って考えると、おそらく感染場所はクアラ・ルンプールあたりだった。珍しい病気ではなく、東南アジア人のほぼ100%が子どもの頃に感染してしまうらしい。面白いことに子どもには症状が顕れず、そして一度感染すると完全なる抗体ができるようだった。つまり、この辺りの人たちは症状が出ないうちに感染してしまうので、一生を通してその存在を意識する必要すらないのだった。なんとも都合が良くできている。歳をとればとるほど症状は重くなる。そして肝心の治療方法はというと、ないのだった。ただひたすら待つ。安静にして待つ。酒はダメ。待つ。さすれば数週間から数ヶ月で治るという。

要するに血液検査をしたところで、なにもできないのだ。確実にA型肝炎だとわかったところでそれが治るわけじゃない。ぼくは血液検査を断った。看護師は席を立ち、医師に相談に行った。医師はぼくを診察室にもう一度呼び出し、最低限の薬を処方した。痛み止めとか、解熱剤とか、その類だと思う。よく分からない。診察料と合わせて7千円払って病院の入った立派なビルを出た。

移動疲れもあり、病院でもほとほと消耗した。急な変調は起きていない。しかし怠さ、頭痛、関節痛のすべてが、一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と半歩ずつ悪くなってきている。これから熱や斑点がでる可能性もある。ただ、もうできることはなかった。帰って寝よう。病院に行ったことで気持ちだけは整理された。


それから

それから4泊5日でシンガポールを後にした。病状は悪化せず、一進一退の様相を呈していたが、ぼくはこのウイルスとの付き合い方に少しずつ習熟し、負荷がかからないように慎重に観光をした。マーライオン、マリーナベイサンズ、チャイナタウン、リトルインディア、ショッピングモール、フードコート、ビジネス街、繁華街、夜景、スタバ、スタバ、スタバ。コーヒー狂のぼくがスタバではずっと紅茶を飲み続けた。マレーシアよりも華人が多く、みんな身ぎれいにしている。古本市が開かれ、ギター青年がいる。お腹を満腹にしない無形のモノたちに情熱を注げる人々の精神的豊かさ。無論それを支えるのは、この国の物質的豊かさだ。夜でも治安は非常に良い。物価は過去最高レベル (この時点では韓国とツートップ) に高かった。無理のないコストでなるべく栄養を探した。熱は上がらないし、斑点もでない。どうやら歯止めがかかったようだった。この調子でいけば少しずつウイルスたちは静まっていくだろう。安静あるのみ。全開でエンジョイしたとは言い難いシンガポール滞在だったが、ハイコストな土地だったので、これはこれでまあありなのだろうと自分を納得させた。日本からも近いので将来いくらでもリベンジできよう。次くるならナイトサファリに行きたい。リベンジと言えば、マレーシアもまたリベンジしたい。セブンイレブン置き去り事件といい、A型肝炎といい、マレーシアはぼくにとって鬼門のようだった。さらに言えば、この記事で触れた給水塔の影に誘われる事件も、実は五年前のクアラ・ルンプールが舞台だった。

 

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香港

香港に到着したのは夜だった。空港からWiFiつきのバスに乗る。慎重にゆっくり移動した一日だった。ついにこの日は一度も体調が悪化しなかった。香港。ほんこん。HongKong。漢字も良いし、響きも良い。深夜特急の聖地。そして数年前、ぼくがはじめて訪れた異国の地。ここに再びやってくるなんて、旅立ち時点では思いもよらないことだった。ホステルは、九龍半島を南北に貫くネイザンロードを一本脇道に入ったところにある。

 

(たいchillout@アラブ首長国連邦)

シンガポール編終わり。つまりはノロノロとあゆんだマレー半島編が終わった。マレー半島はいちばん地味な旅だった。ここからこの旅三度目の中華圏に突入。季節は12月に差し掛かる。この旅と中国はもう切っても切れない関係にある。
さらにその後は実り豊かなベトナムカンボジアラオス〜タイとつづく。クリスマスはベトナム、年越しはカンボジアで過ごした。1月末にインドに飛ぶまで、テンポよくひたすらにバスを乗り継いだこれらの国々については、これまでよりも明るい記事が書ける気がする。