【中国/広東省/深セン】名雪の茶と電気街

尖沙咀から歩く

香港島の対岸、尖沙咀にある雑居ビルの一角を占めるホステルをチェックアウトしてから「Share Tea」まで歩いてパッションフルーツグリーンティーを24香港ドルで買った。前日、日本に帰るタピオカ好きの友人を、エアポートエクスプレス発着の九龍駅まで見送るときに、同じ様にして一緒に「Share Tea」に寄ったのだけれど、そのときはまだ開店前だったのだ。そのリベンジだった。香港を去る儀式に相応しいのは、やはりコレを飲む以外にはなかった。こんなにタピオカを飲んだ日々というのは人生ではじめてだったから。

 

福田から歩く

深セン行きの高速鉄道はなぜか予定時刻の三分前に出発した。ものの十五分ほどで広東省深セン経済特区の福田駅に到着した。そこはもう中国だった。道なりにあったカフェで、まず英語が通じず (香港では食堂のおばちゃんでも皆ラフな英語を話した) 、まず現金払いができなかった (お会計は店員さんのWeChatPayでしてもらった) 。住宅街の露店でシュウマイを買ってビニール袋に入れてもらったんだけど、シュウマイがアツアツすぎたのか、歩いているうちにビニール袋が溶けて、まだ口をつけていないシュウマイがアスファルトに転がった。そうやってこの旅三度目の中国の旅が始まった。賽は投げられた、というやつだ。

 

A型肝炎について

香港にきてからA型肝炎の症状は出なくなっていた。しかしまるでバトンタッチするかのように、鼻と喉の風邪に見舞われた。それらが本当に治ってきたのは、深センでの二泊三日を終えて広州に向かう頃だった。そして本当の本当になにもかもが完治したと思えたのはベトナムに入った頃なのだけどその話はまた後でしよう。A型肝炎も含めてざっくばらんに「体調不良」と括れば、一ヶ月にもおよぶ長い体調不良だった。長かった。だけどその話はまた後でしよう。後で、別のテーマで語れそうな内容なのだ、これは。

 

名雪の茶

深センはサイバーシティとして有名だ。「知る人ぞ知る」以上に有名だ。中国のシリコンバレー、アジアのシリコンバレー、あるいはハードウェアのシリコンバレーとも言われ、国内外のIT企業が拠点を構える。全市民が電子マネーで決済し、乗り捨てのシェアサイクルで移動する。イメージ通り、あるいは写真などで見た通り、なかなか中国とは思えない (でもその実非常に中国クサイんだけど) クリーンな歩道と近代的な高層ビルの世界。週末の夜はビル群によるLEDマッピングが人気を集める。オフィス内、あるいは地下鉄や地下道にいるのか、街の中心でも真昼の人通りは思いの外少なかった。すっきりと無機質。アニメ化された西尾維新作品の背景画で使えそうな感じ。お隣さんの香港とはキャラクターが対極にある (こっちは押井守だね) 。
夕方のショッピングセンターでぼくはWiFiをつなごうとしていた。それがうまくいかずに、インフォメーションカウンターに赴いたが、英語が通じない。うしろに人が待っていたので、会話が成立していないぼくは一旦脇にどいて、お先にどうぞとジェスチャーした。待っていた女性二人は前に出て二言三言インフォメーションの人と会話をし、すぐにこっちを向いた。ひとりが英語を話した。May I help you?
WiFiが繋がらないのだ、ただそれだけだった。女性は若く、大学生風だった。眼鏡をかけ、髪をひとつ結びにしている。化粧はしていないだろう。リュックとは別に手提げ袋を持ち、そこには教科書やペンケースでも入っていそうだ。どちらかといえば、流行とか美容とか「大学生活」とかよりも、勉学に打ち込んでいる。正義感が強く弱者に優しい、クラス内では少し劣勢な学級委員長。そんな風に見えた。
ショッピングセンターのWiFiは利用者が多いとすぐに繋がらなくなるらしい。女性はすぐそばのカフェ「名雪の茶」にぼくを連れていき、ここのWiFiにしようと言う。実はさっきまでぼくはそこにいたのだ。「名雪の茶」のカップをぼくはまだ手に持っていた。
名雪の茶」のWiFiもイマイチだとぼくは知っていたが (味は良かった) 、ここまで親切にしてくれたことに感謝し、すべて解決したということにしてしばらくここにボケっとしていようかと思っていると (ボケっとし終えたから歩き出したのだが) 、女性は店員と話をつけ、なんとスタッフ用のWiFiを聞き出した。なんとしてもWiFiを欲しがるWiFi野郎みたいになってしまったが、ありがたい。
別れ際に名前を訊ねて感謝を伝えた。十五分ほどだろうか、ぼくがボケっとしていると、女性が戻ってきた。中国でなにか困ったことがあったらなんでも連絡してくれと言ってくれて、ぼくたちはWeChatを交換した。東京に行ったことがあるらしい。そのときエンジニアの男性に親切にしてもらったらしい。
「ぼくもエンジニアなんだよ。その男性はもしかしたら、ぼくだったのかもしれないね」
なんてことは、言わない。
女性の名はヤンビ。ぼくたちは二度目のお別れをした。
ヤンビが富士山に登ったときの写真が、後で送られてきた。ぼくもまだ登ったことのない富士山の山頂で、眼鏡を外し、髪を下ろし、カジュアルな服装のヤンビがこちらに視線を向けていた。なんだ、美人じゃないか。「なんだ」とはなんだ。その日は珍しくシャワーを浴びずに寝てしまった。

 

ハードウェアのシリコンバレー

翌日に行った電気街は面白かった。深セン秋葉原だ。ハードウェアのシリコンバレーの名は伊達ではなく、完全に秋葉原を凌駕している。アキバにはソフマップの入ったビルがたくさんあるが、その十倍くらいのサイズのビルがソフマップのごとく林立し、ソフマップよりもコアなものを売っていた。まず、音がすごい。永遠とフロア中でガムテープを破る音が聞こえるのだ。ハードウェア各種をダンボールに梱包しているのである。ずーっと。永遠と。ひとつのフロアには数百の出店があるのではないだろうか。一応フロアやエリアごとにジャンルが区切られているようだ。ひとつの店のスペースは狭く、仕切りはない。「隣の席」くらいの距離感だ。その店員たち全員が、どこでだれが必要とするのか皆目わからない謎の鉛色の部品を「自分の席」に山積みにしつつ、手狭になったカウンターの上に必ずラップトップコンピュータを開いていた。通路ではダンボールが梱包され、発注書が飛び交う。意外なことに、日本のこの類の場所では考えられないくらいに女性が多かった。セールスではない。なぜなら彼女たちは店番をしながらパソコンを組み立て、精密機器を顕微鏡で覗いては、「ハンダ付け」までしているのだ。ある店の前にはベビーカーが置かれ、そこで幼い子が眠っていた。

その夜ぼくは青島ビールプリングルスを買ってホステルで飲んだ。明日にはもう、鉄道で広州に行くことに決めていた。そこは広東省省都であり、上海、北京に次ぐ中国ナンバースリーの広州大都市圏だ。

ぼくは切り替えの早い人間じゃない。実を言えば深センではまだ、なにをしていても身体のどこかに低気圧がいて、ぴゅーぴゅーとナイーヴな風を吹かせていた。なにせ友人とすごした香港は楽しかったからだ。仕方ない。ぼくは──見切りは早いが──切り替えの早い人間じゃない。だけど、それもやがて晴れていくだろうという予感はあった。ここまできたらあとは時間の問題だという、前向きで、健全で、しっかりとした予感が。

(たいchillout@エジプト)

深セン編おわり

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