【中国/広西チワン族自治区/陽朔】下心と大した話

下心

田舎のゲームセンターにいる中学生がそのまま大人になったような男性と、英語を話す理知的な麗人の二人組はやっぱりカップルではなかった (前回の記事) 。ビジネスパートナーだそうだ。日本語なら取引先といったところだろうか。とはいえここには旅行できているらしい。なにがなんだかわからない。男性は二十八歳でぼくの一個下。女性はもっと上だそうだ。言われてみると「もっと上」な気もする。しかしそういうのはあまり問題にならない美人である。
女性は深センで働いているという。ううむ。日本にも出張で行ったことがあるとか。日本に顧客がいるらしい。いったい何の仕事をしているのかと尋ねると、驚きの答えが返ってきた。少なくともぼくにとっては驚きだ。なんと、エレキギター用のエフェクターを作っている会社らしい。すげえ。餃子を包んでいる場合じゃなかった。ブランドを教えてもらい、その場でぼくはググった。餃子はやめだ。ぼくの知っているブランドではなかったが、日本語でのサイトもあり、日本人によるレビューもたくさんあった。
「This is your company's brand...」
これはあなたの会社のブランドなんですね (感嘆のため息) …。とぼくが呟くと、女性は Yes と言うのだが、少しだけぼくの言葉を訂正するではないか。
「Yes. This is my brand」
はあ。なにがちがうのだろうか。だれだってまずそう思うだろう。ぼくも数秒を要した。その意味するところを悟るまでに。
「Are you president?」
「Yes」
社長だ!
深センエフェクター会社の美人社長!SUGOI!
あまりにSUGOIのでぼくは餃子を包むのはもうこれきりでやめにしてしまい、餃子を食べはじめた。この人にお近づきになれば、エフェクターの一個でもモラエルんではなかろうか。出国前のぼくはルーパーに興味を持っていたが、やはりここはオーバードライブだろう。どんなラーメン屋でもむじるしの「ラーメン (中華そば) 」にそのラーメン屋の哲学が最も具現化するように、エフェクターの世界では「歪 (ひず) み系」にブランドのビジョンが描かれる。その「歪み系」の大本命がオーバードライブだった。英語を制する者が受験を制するのと同じで、歪みを制する者がロックギターを制する。荒くれた魂。「男」とはすなわち「歪み」を意味する。この場でエフェクターをもらうことができなくても、東京に送ってもらえば良いではないか。ぼくは本当にそこまで考えた。さてさて、これからお近づきになることはできるだろうか。これを下心と言わずしてなんと言おうか。
しかし、餃子を食べている間に話題は移り変わってしまい、エフェクターの話に戻ることはなかった。翌朝も一階のカフェテリアで顔を合わせたが自然な会話ができなかった (わざとらしくならず自然にエフェクターの話題にもっていくことができなかった) 。この日はホステル主催の、ボートに乗ったり洞窟巡ったりのツアーに参加するようで、ぼくもこのとき誘われたが、お財布と相談してお断りした。前日に到着して、まだ町を、自然を、十分に堪能していなかったので、この日は歩く日にあてるつもりだった。朝食後も顔を合わせた。そのときは、美人社長ではなく、ビジネスパートナーの方の男性とホステルの女性スタッフがともにチベット出身という話で盛り上がった。チベット人と出会ったのははじめてだ。二人はチベット語で会話をはじめたのだが、美人社長はその会話をまったく理解できないと言った。チベット語と中国語にはそれほど大きな隔たりがあるらしい。エフェクターのエの字もでなかった。翌早朝。ぼくは次の街へと出発した。要するに、エフェクターはもらえずじまいだった。やはり、下心があるとき、物事は思った方向に進まないのだ。

 

大した話

下心の話だけで出発の朝になってしまったので、少し時間を巻き戻し、陽朔 (阳朔:ようさく) 二泊三日の中日 (なかび) の町歩きの話をする。まずは朝食がてら栗を買った。それをホステルに持ち帰り、ホステルのカフェテリアでオーダーしたはちみつレモンティーと一緒に食べた。そして向かったのが、「二十人民元紙幣」のモデルになった風景だ。これは標識がでていて、なおかつ近くにいくと「写真とるべ? (有料) 」と言ってくるおじちゃんやおばちゃんがいるのでわかりやすかった。と、思ったのだが、いくつかの箇所で標識が出ていていくつかの箇所で「写真とるべ? (有料) 」があったので完璧で本物の角度がなかなか見つからなかった。おまけにちょうどぼくは二十人民元札を切らしていた。だけど、そんなことは本当は問題じゃなかった。どこから見たって陽朔の風景は水墨画のように美しく、べつに本物の二十人民元札ぴったりじゃなくたってほとんど二十人民元札なのだ。十九人民元札とか二十一人民元札くらいの景色がたくさんあった。
昼食は土産物屋街の定食屋で、蛋炒飯というチャーハンと姜茶をオーダーした。寒いのにドア全開なのにはパンチだが、姜茶は文字通り生姜のお茶でとても暖まった。ホステルに戻り猫を膝に乗せてアコースティックギターを弾き、もう一度外出し、「陽朔西街」まで市バスで行った。陽朔西街は町だ。ぼくの宿泊エリアよりも大きく近代的な土産物屋街、カフェ、レストラン、ホテルなどがあるが、依然としてマリモのような山に囲まれている。
それは夕方だった。到着したバスターミナルで商店のおじさんに一応最終バスの時間を聞いた。六時だと言う。やけにはやい。ぼくは早足で市街まで歩き、石畳の中心でツーリストインフォメーションの女性に尋ねた。「帰りの終バスは何時?」と。するとまさかのまさか。もう無いという。んなばかな。しかし、商店のおじさんよりもツーリストインフォメーションの方が情報の確度が高い。ぼくの泊まっていた興坪 (兴坪:しんぴん) まで帰るなら、高額のタクシーしかないと言われた。だからぼくは陽朔西街ではほとんどトイレにしか行っていない。観光エリアの奥の公共トイレまで歩いて、そして引き返し、ダメ元でしかし急いでバスターミナルまで戻った。バスターミナルは意外と遠いのだ。そして雨。
バスターミナルにつくと、バスはまだあった。そう、バスは普通にあった。やれやれ。ぼくはそれに乗って帰った。陽朔の山々は闇に溶けて益々その存在を主張していた。興坪に到着して、寒かったが、しばらくの間ぼくは湖の畔に立ち止まっていた。輪郭のある大きな影たち。墨のような霧。もう夕飯の時間だった。ぼくは歩きだした。明日は早朝の鉄道で広西の省都、南寧 (南宁:なんねい) まで行く予定だったので、車内で食べる朝食のパンを買っておくためにベーカリーを探した。三つのパンを買って、夕飯処を探し歩いた。真っ暗で寒い。人通りはない。気になった食堂の前に佇んでいると、メニュー表を持った子どもが走って飛んできた。女の子だ。ぼくはその店に入った。ぼく以外に客はいない。しかし猫がいた。奥さんも親父さんも笑顔だ。そこには家庭があった。桂林酸辣米粉という辛いヌードルを長い時間かけて食べた。帰り際、バイバイと女の子に言われた。もちろんぼくもバイバイと言った。
寒い一日を踏ん張りぬいたのでシャワーを浴びた勢いで布団に閉じこもるつもりだった。しかし、ホステル一階のカフェテリアを通りがかったときに、先述のチベット人スタッフのキャリー (英語名) に呼び止められた。「十時にシフトが終わるの。その後お話しない?」と。身体は布団を望んでいたがぼくはいいよと言った。シャワーを浴びて降りてくると何人かいて、お菓子もあって、お話タイムがはじまった。相変わらず暖房が弱々しかったが、なんとか湯冷めはしないですんだようだ。キャップにメガネのおにいさんと、ボーイフレンドが小樽に行ったというショートカットのおねえさんは中国人だ。西洋人男性もひとりいた。大した話はしなかった。少しメモが残っているが一行を除いて書く必要はないだろう。大した話をしなかったわりに、その一行はとても象徴的な気がするから書くことにする。あるいはそれは、ぼくたちにとって大した話なんてのは、それこそ大して必要ないんじゃないかということを教えてくれる一行なのかもしれない。一字一句修正せずそれを書く。

 

不思議だなあと思った この人たちとテーブルを囲んでいることが この時間が

 

(たいchillout@クロアチア)

短い滞在だったが印象に残っている陽朔編おわり。

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