【中国/広西チワン族自治区/南寧】Just City ─ただの街─

美しい街

「○○族」と聞くと、日本人の感覚ではどうしても未開の部族のようなものを想像してしまうかもしれない。たとえば「チワン族自治区」だなんて聞けば、それは未だ文明から隔絶した森の奥深くに酋長を中心とした集落があり、そこでは、狩猟を中心とした食生活が営まれ、植物から採取した染料で肌に鮮やかな模様を描き、奇妙な儀式や祭りが季節の節目や成人の折に執り行われ、集落の領土に一歩踏み込めば視力7.0の正確さで目視され木々の切れ間から弓矢を放たれるか、五十メートル5.5秒の脚力で捕獲され土穴に放り込まれるか、あるいは社交的な部族であれば、打楽器を中心とした陽気な音楽隊が出迎えてくれる可能性がある……。中国とはなんと懐の深い国か。そう思われるかもしれない。
しかし実際のところ、広西チワン族自治区省都である南寧 (南宁:なんねい / 中国読みは なんにん) には、いくつもスターバックスが出店し、東京よりも綺麗な地下鉄が走っている。それどころか南寧は他の中国の都市、たとえばぼくが訪れたことのある北京、上海、広州といった最先端のメガロポリスよりも化粧をしている若い女性が多く、前髪をつくっている若い女性が多く、茶髪にしている若い女性が多かった。中国人は日本人ほど前髪を重視せず髪を染めることも少ないので、これはとても興味深いことである。
チワン族は中国最大の少数民族らしい。彼らが南寧市の人口の56%を構成している。広西チワン族自治区警備体制は他の中国各地と同じである。同じ少数民族自治区でも、夏に訪れた新疆ウイグル自治区の物々しさとはかけ離れていた。ウイグル民族漢民族と違う顔をしていたが、チワン族の顔は、ぼくが思う限りでは、漢民族と変わらない。つまりぼくたち大和民族とも変わらない。だから化粧をして前髪をつくって茶髪にするとまるで日本人だった。ブティックやショッピングモール、ティースタンド、そしてスターバックスが並ぶ中心街の活気は「まとまりのよい原宿」のようで、しかし治安と平和的な雰囲気は明らかに原宿より優れている。ぼくはスタバの窓際のソファからそんな南寧の街と人々を高揚した気持ちで見つめていた。広州のセンとスズは南寧をただの街 (just city) だと言った。ぼくはここを「なんて美しい街だ」と思った。もちろんぼくは彼女たちが just city と言った時点で、南寧がぼくにとって魅力的な場所だとわかっていた。ぼくはなによりもただの街が好きなのだ。

 

命の回

ここ南寧からベトナム北部の首都ハノイ寝台列車で行く。そのチケットは広州にいた頃、ぼくの目の前でセンがオンラインで買ってくれていた。南寧についてからぼくはひとりで、チケットを発券するためにマンションの一室である旅行会社まで行った。わかりにくいその場所までの地図に、センは英語でコメントや目印を書き込んでぼくに送ってくれた。
それはまったくの偶然なのだが、その発券の夜、センが珍しく WeChat モーメンツに写真と言葉を投稿した。これはとても珍しいことだった。ウランバートルで別れてから広州で再会するまでの間、センはただの一度もモーメンツに投稿をしなかったと記憶している。ぼくの投稿に「いいね!」がついたこともなかった。そもそもモーメンツ機能を使わない (連絡手段としてだけ WeChat を使う) 主義なのかもしれず、センの SNS に対するそんなドライな姿勢にぼくは非常に好感を持っていた (ちなみにスズはときどきばっちりきまったセルフィーをエイヤッと投稿するものだから、こちらはこちらでぼくはとても好感を持ち、大満足でいいね!した) 。そのセンが投稿したのだ。
写真が六枚。どれもどこの写真かわからなかった。遠くのビルを背景に手前の手すりを掴んでいる手 (おそらくセン自身の手である。友だちに描いてもらったと言っていたインド風のペイントが小さな手の甲に施してある) 、湖か入江に浮かぶいくつかの船、サッカーグラウンドにうずくまる子ども、そのズーム、なんてことのない街角の道路標識などが被写体だった。そのうち三枚はモノクロだ。どの写真も素晴らしかった。撮り方も被写体の選定も、とても二十歳のセンスとは思えなかった。そして中国語で一言が添えられていた。ぼくは翻訳ボタンを押した。WeChat による日本語訳はこうだ。
「命に回はありますか?」
二回目、という意味だろうか。ぼくはわざわざその中国語の原文をコピーしてGoogle翻訳に貼り付け、今度は英訳してみた。
「life is tossing?」
人生は投げている?
少なくとも「命」「生命」「人生」が主語であり、何かを問いかけている (疑問系) ことはわかった。toss とはどんなイメージなのだろうか。人生 (命) そのものが宙に放り投げられてしまっている心許なさをイメージすることができるが、あるいはサイコロを toss するようなイメージもできる。人生の決定はダイスを振るようなものなのだと…。命に回はない。命は一回きりだ。しかしそう単純な話ではないだろう。一度きりなんていやだ (どうして人生はこんなにも素晴らしいのに一回きりなのでしょう) 、という反語的用法かもしれない。ポジティブな気持ちなのか、悲しいことがあったのか、そのどちらでもないもっと複雑なものなのか。それもぼくの推察力では掴みきることはできなかった。難解だった。
いつもはこういったことがまったくないセンだ。言い換えればこの人は、芸術分野への幅広い教養と豊かな感受性を持ち合わせ、高度な言語世界に生き、繊細に物事を感じ取っているはずだったが、その複雑系複雑系のまま外に出してしまうことのない、理性的でキチンとした人だった。その複雑系が珍しくポロッと出てきてしまったのだ。きっと、なにかにたいして、なにか思うところが、あったのだろう。ぼくも、少しでもその真意と感じたことを知りたかった。理性的でキチンとしたセンの、情熱的、あるいは感傷的な部分。命に回はありますか? 命に回はありますか? その言葉をぼくは何度も舌の上で転がした。

 

猫になりたい

南寧ではとても小規模なホステルを選んでいた。バストイレひとつの3LDK。うち二部屋がドミトリーだ。中国らしい古くて大きなマンションの高層階。一階部分は大きな眼鏡屋だ。重い扉をいちいちインターホンを押して開けてもらって入室すると、まず玄関で靴を脱ぐ必要があった。ほとんど「ひとんち」だ。犬と猫まで住んでいる。小さなベランダへと続く引き戸は開け放たれ、洗濯機が置かれ、洗濯物が顔の位置と腰の位置にそれぞれ干されている。曇天続きで乾かないのだろう。そこからの眺めは南寧の街を天空から見下ろすかのようだった。オーナーである非常に若い女性はまだ二十代の前半だと思う。あまり英語を話さないが、日本のポップスが好きなようだった。小さなスピーカーにスマートフォンを繋いでは毎日Jポップをかけていた。九十年代からゼロ年代前半の曲が多い。ぼくの青春時代。Jポップ黄金期。ある夜、女性はリビングの壁にたくさんの鉄道切符を貼っている最中だった。南寧発成都行、北京発広州行、上海発西安行、ウルムチ昆明行、杭州深セン行、天津発ハルビン行、桂林発南京行……。ときどき写真もある。ユースホステル (中国語で「青年旅舎」) らしさに溢れた、お洒落で可愛い壁が出来上がった。すべて自分で実際に旅した切符なのだろうか。素敵な発想だ。ぼくはシャワーを浴び終えていて、カーペットの上を猫が歩いていた。ぼくはそれを追いかけて写真に撮ろうとしていた。するとスピーカーから、スピッツの楽曲をつじあやのがカバーした『猫になりたい』が流れはじめ、偉大なる音楽のちからで、部屋は一瞬にして暖かくなった。ピンク色と金色のセロハンを透かして世界を見ているかのように、やがてぼくにはなにもかもが優しくいとおしく見えてくるのだった。

(たいchillout@スロベニア)

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写真は Kiroro『未来へ』の中国語版を演奏していたストリートミュージシャン。白い女性がボーカル。ちなみにホステルでは日本語の原曲が流れていた。