【中国/広西チワン族自治区/南寧】オヤッサンの混ぜそば

もしその店のオヤッサンが「実は東京進出を考えてる」と言ったらぼくは出資を申し出ていただろう。

「本当ならこの金でヨーロッパまでいくつもりだった。でも今回はインドまでにしとく」
「いいのか?」
「ああ。オレが旅することも大事だが、それと同じくらい大切なことがある」
ここでぼくは一呼吸を置く。
「……オヤッサンの『混ぜそば』が東京に旅することだ」

オヤッサンの混ぜそばは10元だった。160円だ。ぼくは保証できる、これは東京なら750円とれる。610円なら大行列ができる。それほどまでにオヤッサンの混ぜそばは絶品だった。ぼくは三泊四日の南寧滞在で、オヤッサンの混ぜそばを三回食べた。

オヤッサンと出会ったのは偶然という名の必然だった。オヤッサンの店はホステルから市の中心まで歩けば必ず通る場所にあった。オヤッサンの店と言っても、厳密にはオヤッサンの店ではない。注文を取るのも料理するのもお会計もオヤッサンひとりだったが、その店は二十四時間営業なのだ。そしておそらく定休日はない。さすがのオヤッサンもどこかのタイミングで異なるオヤッサンに交代しているはずだった。だからオヤッサンたちの店だ。

古いマンションの一階部分が、ジェンガで抜き取られたように空洞になっている。その中心にフードコートよろしくテーブルと椅子が置かれ、壁際には屋台風の小さな店がいくつも構えているのだが、営業しているのは道路際にあるオヤッサンの店だけだった。奥は暗く、まっくろくろすけでも潜んでいそうだ。
そこを通りがかったのは初日だ。南寧でのぼくの最初の一食だった。ホステルに荷物を置き、ひとまず街の中心を目指して繰り出した直後。陽朔からの電車移動につき、まともな昼食を食べていなかった。昼食には遅く、夕食にはまだ早い時間だった。街の中心を散策がてら、昼夜兼用で何かを食べるつもりだった。
屋台の外壁にメニューの写真。五人程の客がいた。皆おじちゃんかおばちゃんだった。外国人はいない。この街で外国人観光客はほとんど見かけなかった。
客がいて、道路に面しているところも気に入った。店員の男性は手際が良かった。庶民的な価格であることも間違いなさそうだった。ぼくはまだ街を見ていなかったが、ここで食べてしまうことにした。男性の視界に確実に入るところでしばらく立ちつくし、目が合ったときにメニューのひとつを指さした。中国語でなにか言われたが、ぼくはそのメニューを指差し続けた。どうやらオーダーは完了したようだった。

座ってよいのか、お会計は食前なのか食後なのかわからなかったので、ぼくは同じ場所に立ち続けた。複数のオーダーが同時に入っているようだったが店員の男性はくるくると高速で一品一品を仕上げていた。出来上がったひとつの麺料理がとても美味しそうで、ぼくは目が離せなくなった。中太麺でスープはない。縮れてはいないが、完全なストレートでもない。混ぜそば風だ。細かくきった豚肉、キャベツ、玉ねぎ、ねぎががっぷり四つで麺に絡んでいる。唾液が出てきた。アレを食べたい。すでに注文していたがしかし、ぼくはニーハオと言って男性の注意を引き、混ぜそばを受け取りに来た隣の人のお盆を指さした。「アァ?」と言われたが、ぼくは精いっぱい物欲しそうな顔をして何度も指差した。「こいつぁ仕方ねえなあ」という顔でどうやら納得してもらえたようだった。

依然としてぼくは棒のように立ち尽くし、男性のクッキングを見物していた。ついにぼくの混ぜそばに着手した。大きくて底の深いフライパンにぶん投げるように油を注ぎ入れ、ぼわっとキャンプファイヤーのように火が膨れ上がる。本格中華。そこに手早く複数の液体調味料、粉末調味料が足される。早い。圧倒的される。目分量どころの話じゃない。腰を落として、フライパンを一振り。よし、混ざった。マジシャンがカードを切るように麺を湯切りし、荒木が井端にグラブトスするようにそれがフライパンに放り込まれる。六、四、三。ゲッツー。そして男性はぼくの方を向いて中国語で何かを怒鳴った。不意打ちだ。ぼくは首を傾げた。男性は、この世界に英語なんてものは存在しないかのような顔で、より大きな声で再び怒鳴った。ぼくが困惑していると、「こいつぁどうしようもねえやつがきたなあ」という顔で調味料のひとつを指さしながら怒鳴った。わかったぞ。きっと辛い調味料を入れるかどうか訊いているのだ。これまでもいろんな国で「スパイシー?」と訊かれることはあった。本格中華のスパイシーは尋常じゃないだろうと思ったので、ぼくはジェスチャーで「少しね」と表現した。親指と人差指で摘むあのジェスチャーだ。男性は理解したようだった。「こいつぁ根性のねえやつだなあ。仕方ねえなあ」という顔で頷いた。
やがて熱々の混ぜそばがお盆に乗ってぼくの前に置かれた。いつお会計するのか分からなかったので、このときに中国語で値段を訊いた。しかし、中国語の数字までは覚えていなかったので、男性の返事が理解できなかった。すると「○○元って言ったじゃねえか!おめえは言葉がわからねえのか!」という顔で男性は怒鳴った。ぼくは財布を取り出し、いくつかお札を見せた。男性はその中から十元札だけをぽんっと抜きとって、ぷいっとそっぽを向いた。

オヤッサンの混ぜそばを忘れられず一日を過ごしたぼくは、翌日の夕方にまたオヤッサンの店に何食わぬ顔でやってきた。
同じオヤッサンがいた。この日は他の客がいなかった。オヤッサンはぼくを見て、ぼくがぼくであることを認識したようだった。ぼくはぼくで何食わぬ顔をしていたが、オヤッサンもオヤッサンで何食わぬ顔をしていた。ぼくは混ぜそばの商品名を知らなかった。それに、混ぜそばの写真は壁に張られていなかった。だから、前日にケータイで撮影した混ぜそばの写真を無言でオヤッサンに見せた。オヤッサンはそっけなく頷いて早速調理に取り掛かった。
ぼくが混ぜそばの味に惚れ込んでまた来てしまったことをオヤッサンはわかっているはずだったが、そんなことはおくびにも出さなかった。愛想笑いのひとつもしなかった。ぼくはぼくで笑ったりはしなかった。ぼくは「別にお前の混ぜそばがまた食べたくてきたわけじゃない。たまたま通りがかっただけだ」という顔をしていた。
ぼくは味だけでなく、オヤッサンの手際にも惚れていたので、また調理を見物した。相も変わらず素晴らしかった。荒々しいにも関わらず精密な動きだった。しかし、どこかが昨日と違っていた。なんだろう? 腰を落とし、フライパンを一振り。湯切り。近くから調味料A。豚肉。一振り。ファイヤー。遠くから調味料B──松井稼頭央のスナップスローが弾丸でカブレラのグラブに突き刺さる──。キャベツ。玉ねぎ。一振り……。ぼくは気がついた。昨日よりも若干動きが大きめなのだ。昨日よりも大きく腰を落として、大きくフライパンを振っている。昨日は一切に無駄がない回転速度だったが、今日は動きが少しだけ激しい分、少しだけ無駄が生じている。ぼくのその見極めは間違ってはいなさそうだった。クオリティは依然として一流なのだが、松井秀喜のスイングではなく、長嶋茂雄のスイングをしている。見られることを意識しているスイング……。なにかとオーバーなのだ。
そう、オヤッサンはぼくが目を輝かせて見ていることを多分に意識しており、「得意になっている」のだ。そう思えば思うほど、いかにもわざとらしい動きがたくさんあるように見えてきた。さすがにそこまで手を高く上げなくても調味料は振れるし、さすがにそこまで軸足で回転しなくてもキャベツは直ぐそこに置いてあった。平静な顔をとり繕っているけど、この人、かっこつけてるのだ。

オヤッサンがかっこつけてることにぼくは気づいていないという体裁を守り続けた。ぼくは「別にオヤッサンのプロフェッショナルな手際に関心して見ているのではなく、ただなんとなく見ているだけだ」という顔をしつつも、それでも関心している様子を隠しきれない雰囲気を醸し出すようにした。それから「別にたいして旨いわけじゃあない」という顔をしつつも、本当は美味しすぎてたまらない様子を隠しきれない感じを出しながら、混ぜそばをほふほふと平らげた。そして「まあまあだったな」という表情に本当は隠しきれない大満足の雰囲気が滲み出るようにして、オヤッサンに十元札を渡して、敢えてそっけなくしていることが分かるように「謝謝」と言った。オヤッサンの方も「別にまた来てくれたこととか嬉しくねえし」という顔でぼくの十元札を受け取ったが、ひとりの男としてのプライドが今完全に満たされていることがぼくには分かった。

ときとして男と男は、表情をびた一文変えず、このようしてのお互いへの信頼を確かめ合う。ぼくはウインドブレーカーのポケットに両手を入れて、背中を丸めていそいそとオヤッサンの店を後にした。角を曲がるまで一度も振り返らなかった。ぼくは背中で語ったのだ。「オヤッサンの混ぜそば、最高だったぜ」と。角を曲がって十二月の曇天の空に、ぼくはその言葉を仕舞い込んだ。

 

(たいchillout@イタリア)

南寧編おわり。南寧は美しい街だった。露店で買えた肉まんや味付き卵も美味しかった。夜は街の中心の広場で社交ダンスが行われ、朝はおばちゃんたちが同じ場所で体操をしていた。ジャンパーを着込んだおじちゃんたちは新聞片手に公園に集まってはトランプや囲碁 (?) に興じていた。民歌湖 (Folk Song Lake) という湖の周りは観光地として開発されつつあり、バーが立ち並んでいた。ぼくが行ったときはそれほど賑わってはいなかったが、ひとの少なさがむしろ幻想的で、哀惜が帳のようにおりていた。やがて夜がくれば鏡のような湖面にイルミネーションが映り込んだ。夕陽が落ちはじめてから湖の鏡面がマーブル色に輝くまでぼくを湖を何周もした。南湖というもうひとつの湖には、それに沿って整備された遊歩道があり、散歩やジョギングをする人々で暖かみのある夜がつくられていた。そこからは西の対岸の向こうにある市街の夜景が素晴らしかったし、湖に架かった橋はライトセーバーのように未来的に点滅していた。

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