【日本/東京/文京区】旅にでるまで (3)恋の話

恋の話

スペインのマドリードでぼくは、二つの恋の話を聞いた。

モンテネグロのホステルで出会い二時間だけ話をして別れた日本人のYくん (そのとき、Yくんはバルカン半島を南下し、ぼくは北上していた) のインスタグラムを見て、彼がスペインに来ていることを知ったぼくは、「一緒に御飯でも食べましょうよ」とメッセージを送った。
ビールを一杯ずつと、シェアするつもりでシーフードパエリアとスパゲティーボロネーゼを注文した。ぼくらは、ぼくらが別れてから再び出会うまでの一ヶ月半のそれぞれの旅の話をし、モンテネグロの二時間では話しきれなかったお互いの過去と未来の話をした。
旅が終わったらどうするのか。Yくんはもうすでに、日本での求人情報を少しだけ見たりしていると言った。一人暮らしをしていたが、家を引き払って旅に出たので、とりあえず九州の実家に帰るらしい。ぼくは家に彼女がいるから東京に帰ると言った。
「彼女…? 聞き捨てならないですねぇ」
とYくんは言った。Yくんは旅に出る前、片想いの女性がいたらしかった。
もう一つ、Yくんの話で印象的だったのは、モロッコの日本人宿で「男四人ホステルのテラスから星空を見上げながら恋バナをした」という話だった。強烈な光景である。面白い話をたくさん聞けたとYくんは言った。
「旅の恋とかあるの?」とぼくは訊いた。どうやらそれは無かったらしい、四人とも。

Yくんがホステルに迎えに来てくれる二時間前。ぼくはコモンエリア (共用スペース) に、貴重品に加え、イヤホンと充電器と二リットルの水を持ち込んだ。(長) 電話をするためだ。
二時間はあっという間だった。電話相手は旅先で出会った日本人女性で、ちょっとした近況報告と恋愛相談だった。Yくんとの約束の時間が迫っていたので、ぼくは恐縮しながら、そろそろ切らざるを得ないと伝えた。すると女性の方も「長々と自分の話ばかりごめんなさい」と謝る。ぼくはほとんど聞き役一方のこの電話を心から楽しんでいたので、謝る必要はないと伝えたくて言った。
「ぼくは好きなんですよ……こういうのが」
女性は聞き返した。
「こういうの?」
「ええと……」
「……恋バナ?」
恋バナときたもんだ。
「うん。でも聞く方ね」
「ああ。聞くだけですね」
「そうです。聞くだけです」


恋愛コンサルタントとハードボイルド

「なんか、『うん。うん。うん』ってなんでも聞いてくれて、恋愛コンサルタントに相談しているみたいです」と女性は笑った。それは的を射ている指摘だった。恋愛コンサルタントとしての たいchillout の最大の特徴は、一切のアドバイスをしないことにあるからである。本当に聞くだけなのである。アドバイスをしない理由は単純。そもそもぼくは自分の恋愛観 (恋愛論 / 恋愛哲学) なんて持っていないからだ。
ぼくはハードボイルドな男なので恋愛については語らない。ハードボイルドな男にとって、恋愛は恥ずかしいものであり、格好悪いものなのである。アメリカにはハードボイルド探偵小説の系譜があるが、ハードボイルドと探偵の掛け算は秀逸な発明である。なぜなら、探偵の仕事もまた、語ることではなく、聞くこと (=調査) だからである。
探偵は、聞くことにより (事件の) 真理に到達する。恋愛コンサルタントの顧客は (恋愛の) 真理を欲している。ここでハードボイルドと恋愛コンサルタントは繋がる。ハードボイルドであることは──つまり恋愛観 (恋愛論 / 恋愛哲学) を語ることに無関心であることは──結果的に、恋バナ (=事件) の聞き手に徹する優秀な探偵役を務めることを意味してしまう。
ばかばかしく、可愛らしい表現をしてしまえば、ぼくたちハードボイルド探偵は、恋を指導するのではなく、恋を推理するのだ。
真実はいつもひとつ!!!
これがやりたかった。


公私混同

ハードボイルド探偵学派の恋愛コンサルタントとして、ぼくがデビューしたきっかけこそが、ひかrewrite だった。話はここに繋がる。ひかrewrite の恋の話。ぼくはそれに巻き込まれた。ぼくだけがそれに巻き込まれた。そう。それは秘密の恋だったのである。まだ、ひかrewrite が入社して一ヶ月の頃。お昼休み。八月の始めの東公園、スターバックスが見えるベンチ (というよりコンクリートのでっぱりだった記憶がある。木陰のベンチは全て埋まっていた) でぼくはそれを打ち明けられた。そのときまだ秘密の恋は始まってもいなかった。恋が成就する前にぼくはそれを知らされたのである。散歩に行こうと誘い出されてこれである。なんてこった。

散歩に行こうとぼくを誘い出したのは、ひかrewrite だけではなかった。もうひとり同年代の女性社員がいた。その人をCさんと呼ぼう。Cさんの紹介で ひかrewrite は入社していた。Cさんは実験的に採用されたこの会社唯一のフルタイムのアルバイトであり、実験的に採用されたがとても立派に仕事をこなし、半年で完全に定着していた。元々女性社員が少なかったこともあり、Cさんは、同じ立場 (フルタイムのアルバイト) でしかも友人である ひかrewrite が入社して嬉しそうだった。

ぼくは比較的、新入社員を気にかける (ちょっかいだす) 方だったが、新入社員としての ひかrewrite にはCさんがいたので、その必要はなかった。性格の方も ひかrewrite は明らかに「陽性」であり、ぼくの出る幕ではなかった。ぼくは自分の中で、この人に関しては出しゃばらないようにしようと、政治的判断を下した。

ひかrewrite とCさんには華やかな雰囲気があった。アルバイトという立場もあるだろう。やはり社員と比べて「人生の比重を仕事に置いていない」自由さがあった。その上、二人はそもそもが友人だった。だからこその、ペアになったときの華やかさがあった。ぼくは、二人のそんな「公私混同」がこの会社に持ち込まれることを内心歓迎した。前回の記事で書いたように、ぼくは自由な社風がずっと続いてほしいと願っていたからだ。

二人がぼくを選んで、ひかrewrite の秘密の恋 (公私混同!) を打ち明けた理由は分からない。口が堅いのはあるだろう。部署がちがうのも良かったかもしれない。入社から日が浅い ひかrewrite はともかく、Cさんとは確かに信頼関係と呼べるものはあった。だが、ぼくはもっと突き詰めて考えてみた。すると、ぼくと二人との間にだけ存在する共通項があることに気がついた。
それは、何よりぼくこそが「人生の比重を仕事に置いていない」「公私混同」な人間であったという単純な事実である (前回の記事では、当時の自分の仕事への心構えについて回りくどい論理展開で書いたが、その内容を身も蓋もない形で解釈すると、そういうことになる) 。

つまり、正社員にしてぼくは、二人と同類だったのだ。二人はきっと感覚的なレベルでぼくの「公私混同」を察知していたのだと思う。ぼくは巻き込まれるべくして巻き込まれたのだ。

 

(たいchillout@スペイン)

一連の【文京区編】は、あの会社へのラブレターであり、釈明である。ひかrewrite が入社した日から丁度一年後の七月三日にぼくは旅立つ。つまり、ひかrewrite が入社して一年を待たずしてぼくはこの会社を退職したことになる。実は ひかrewrite も同じ日に退職している。ひかrewrite とCさんに、真夏の東公園に呼び出されたあのときは、こんなことになるとは思いもよらなかった。その日から次の春に退職するまでの間に随分といろんなことがあった。「秘密の恋」はどうなったか? それをどこまで書くかは分からない。このブログは、構想を練らないで書き進めている。関係者のひとりひとりがぼくのことをどう思っているのかは知らないが、ぼくはあの会社とそこにいた人々のことが今でも好きである。ぼくがこれほど好きだと知っている人はいないだろう。ぼくはそれを語る機会を持てなかった。だからここに書いている。だからこれはラブレターである。
ぼくは ひかrewrite のことをどう思っているのか。ぼくたちは一体なんなのか。お前たちはなぜ仲が良いのか。それを語る機会も持てなかった。誰も正面切ってそれを訊いてくれなかった。ぼくはずっとそれを語る準備ができていた。筋道を立てて、ぼくの行動のワケを語る準備ができていた。だからこれは釈明である。

f:id:taichillout:20190625062528j:image