【日本/東京/文京区】旅にでるまで (4)いちょう並木のセレナーデ

バーベキュー

一年前、偶然居合わせた女子大生グループと交流できたことを忘れられなかったのだろう。社長は今年 (2017年) の夏もバーベキューをやろうと言い出した。
暑い日だった。場所は豊洲だ。ぼくはボストンで買った真っ赤なTシャツ (Beerと大きく書かれている) を着ていた。
「たいchillout が半袖なんて珍しいね」。銀座線のホームで、バーベキューの幹事を務める先輩社員は言った。寒さの苦手なぼくは社内では必ずカーディガンを羽織っていた。そこらの女性より冷房に弱い自信がぼくにはある。しかしその日は暑かった。いや、一歩外に出れば、その夏はとても暑い夏だった。
社員は各々のペースで仕事を切り上げ、各々のタイミングでバーベキュー場に向かった。バーベキュー場に到着しても太陽の位置は高かった。
去年も豊洲だったが、別のバーベキュー場だった。足元は砂浜みたいだが、海は見えない。テント風の屋根、ウッドデッキ調の足元とテーブルは一箇所にまとめられ、コンロは三箇所くらいあった。参加者は三十人くらいだろうか。ここ数ヶ月で増えた派遣社員、業務委託の方々にも声をかけているようだった。
隣の団体とは距離がある。社長から「◯◯ロケット」と名付けられナンパをけしかけられている男性社員たちもいたが、この距離なら女子大生との交流は無理だろう。
最近流行りの、いわゆるグランピングというやつだ。参加者の準備は不要で、すべての食材をバーベキュー場が用意している。酒はバーベキュー場の中心にあるバーに、ドリンクバーよろしく取りに行く方式。
派遣社員、業務委託の社員たちとは部署がちがい、ビルもちがった (ぼくが入社したときはひとつのビルのワンフロアだったのが、この頃には近所に別のビルまで「買って」いた) 。これまでのぼくなら、接点の少ない彼らと交流できる良い機会だと捉え、積極的に彼らの輪に入っていったかもしれない。しかし、この頃は、それまで心がけていたバランスの良い公平な交流を放棄し始めていた。
入社一ヶ月頃の ひかrewrite は、当初は欠席の予定だった。意外だなと思った。どうして不参加なのか、ぼくは特に尋ねなかった。しかし当日は気が変わったのか予定が変わったのか、黒いポロシャツを着て、バーベキュー場に来ていた。Cさんは、金曜日は隔週で午後半休をとっていた。この日はその半休の金曜日に該当したが、バーベキューには参加すると言っていた。
ぼくは、ひかrewrite と同期入社の、ぼくと同じ部署の新入社員や、幹事を務める先輩社員などの何人かで一緒に会社を出発し、早めに到着していた。
午後半休のCさんは一度帰宅したのか、服を着替えてきていた。業務中よりもおしゃれな、夏のバーベキューにぴったりな、確か、青みのあるワンピース風だった。それを遠くから見て、幹事の先輩 (Yさん) は含みのある言い方でぼくたちに言った。
「Cさんって、そういうところあるよね」
Cさんはインスタ映えのしそうな「羽」のオブジェの前でポーズをとっていた。カメラマン役は ひかrewrite だろうか。ぼくたちは遠くからそれを見ていた。椅子に座りうちわで自分を扇ぎながらぼくはYさんに言った。
「ぼくは好きですよ。Cさんのそういうところ」
風が吹くのはときどきだった。含みのある言い方はYさんの真骨頂だ。非難しているわけではなく、彼なりの、愛のあるユーモアだ。
「好きですよ」と言ってしまえるのは、ぼくの真骨頂であり、ぼくなりの、愛のあるユーモアだった。


ビールを飲んで日が暮れて、お腹いっぱいになって、焼きマシュマロを食べて満足した新入社員を見送った。すでに場は混沌とし、大小様々なグループが輪になり会話を楽しんでいた。夜風が気持ち良い頃合いだった。肉の匂いと混ざり合った汗が時間をかけて乾かされた。
どこのグループに近づくか、それともどこにも近づかないか。もうどっちでも良いやと思っていると、Cさんと目があった。少し集団から離れて、木の柵にもたれて暗闇の方を見ながらしばらくCさんと話をした。
「ひかrewrite のことどう思う?」
Cさんの恋愛話が一段落して、そう訊かれた。入社一ヶ月してどう思う? という意味だろう。
ひかrewrite はすぐ近くで男性社員と二人で、同じように暗闇の方を向いて話していた。
ぼくは一瞬そちらに目を向けてからCさんの目を見て答えた。
「大好きですね」
それ以上の御託を並べずに、ぼくはただそれだけを言い切った。Cさんはにんまりとぼくを見て「良かった」。そして「伝えとくね」と言った。


ひかrewrite とCさんに東公園まで連れ出され、ひかrewrite の秘密の恋を打ち明けられたのは、この翌週だ。そしてこのバーベキューの日、一枚の写真が撮られた。その写真が恋のきっかけだったのだと、ぼくは後に知らされる。そのとき着ていた黒いポロシャツは、あんまり好きな服じゃなかった、と知らされたのはそのさらに後になる。


この一連のエピソードがただの恋バナとはひと味違った重みを持っていた理由のひとつは、ひかrewrite はすでにかなり長い間別の男性と一緒に暮らしていたことにある。つまり、恋をすることは基本的に許されない状況であり、その恋に走ることは、これまで築き上げた過去を否定し、ある程度の経済的安定が約束された生活を捨てることを意味した。しかし、ぼくが話を聞いた時点で、どうやら心は決まっていたようだった。またたく間に家を借り、引っ越しをした。はじめての一人暮らしだと言った。終わらせた生活が抱えていた問題や新しい恋への情熱以上に、フルタイムで働き、人との社会的な関わりの中で充実感を持って生きて行けることの手応えや面白さをこの会社で知ったことも決断を後押ししたのではないかと、ぼくは思う。
ひかrewrite が生活を清算したとき、新しい恋が成就する保証は無かった。成就するかどうか、相手男性を知っていたぼくにも全く予想がつかなかった。しかし、それはそれほど間を置かずして成就した。さすがだな…と思った。
一人暮らしをはじめたことはやがて社員たちに知られることとなったが、恋の成就の報告を受けたのはぼくひとりだった。Cさんにさえ話されなかった。このときからぼくは、Cさんを差し置いて、個人的に話をする関係になった。


同時期、システム部門の仕事では、マイペースにひとつのアプリを開発していた。社長のアイデアだが、長らく手つかずで眠っていた案件であり、会社の描く新たな方向性とぼくの個人的関心がその案件で結べそうだったので、自ら挙手した仕事だった。
平行して、三度目のアメリカ出張に向けての動きもあった。外国人社員は現地アポや下準備を中心に動き、ぼくは外部コンサルタントの所属組織 (お役所系) 向けの堅い資料作成の仕事があった。
自由奔放なレジャーは影を潜めていたが、社内、社外ともに何かにつけて飲み会は定期的に開催された。社外においては先述の幹事Yさん、社内においては二、三人の定番メンバーと共に、ぼくも中心になって企画することが多かった。
そういう場で話を聞く限り、ひかrewrite の新しい恋は順調だった。一人暮らしも板についてきているようだった。ぼくは相手の男性も好きだった。この二人なら良いと思った。それでも ひかrewrite にはときどき不安はあったようで、ぼくはそれを聞く役回りだったが、ぼくはいつも「大丈夫だよ」と言い続けた。気休めのつもりではない。実際に大丈夫だと思っていた。彼が ひかrewrite のことを好きであるのは間違いない。ぼくの男心がそれを保証できた。ちなみに、仮に大丈夫だと思っていなかったとしても、女性の恋愛相談にのって相手の男性のことを悪く言うようなことはぼくはしない。それはあまりにもダサい。理想を言えばぼくは、相手の男性と ひかrewrite 、そしてCさんも含めて、それぞれと同じくらいの距離感でいるのが本当のフェアだと思っていたが、それを徹底することだけはついにできなかったと認めなければならない。

 

いちょう並木のセレナーデ

季節はめぐり秋になれば
ネルのシャツだけ
お互いが一番大事な人なのに

サザン・オールスターズのキーボーディスト、原由子が歌う『いちょう並木のセレナーデ』という曲の歌詞だ。作詞作曲はもちろん桑田佳祐。歌われるいちょう並木は青山学院だろう。もはや伝説である「ベター・デイズ」時代を彷彿とさせるノスタルジックかつ軽快なアコースティックナンバーだ。秋が来る度にぼくはこの曲を口ずさみ、なぜか毎年、神楽坂に出かけたくなった。

そう。文京区にも秋がやってきた。青山学院に負けないいちょうの吹雪が東公園に舞った。ぼくがニューヨークにいる間、ひかrewrite の恋は一度目の危機を迎えていた。いや、恋だけでなく、社内の空気もいささかおかしくなっていた。あのひととあのひと、このひととそのひと、仕事面あるいは感情面での不和が表面化する事件が起きていた。Cさんの欠勤が数日間続き、ぼくのニューヨーク土産は机に置かれたままだった。ひかrewrite は矢面に立たされていた。このときぼくらははじめて二人で酒を飲んだ。
時を置かずして、ぼくにも問題が発生した。海外進出プロジェクトだ。アメリカ出張での仕事に関してだった。これはこれで同じく、長らくやり過ごしていた問題が表面化した帰結だった。
かいつまんで書こう。まず第一に、社内における海外進出プロジェクトの優先順位は、スケールのデカさの割には低かった。あくまで将来への仕込みとして動いているというつもりで社長はこのプロジェクトに臨んでいたのだ。ぼくの立場としては、それでも問題は無かった。なぜならぼくの本業はシステム開発だったから。しかし外国人社員はそうではなかった。具体的には、彼は案件を進めることができずに困っていた。彼はこのために採用されていた。彼の提案に従えば、プロジェクトを前進させるためにはコンテンツ制作のための新たな投資が必要だったが、社長はその投資を渋った。一方で、現地出張にだけは社長は寛大だった。出張は累計三度行われており、社長が同席したのは最初だけ、二度目以降は外国人社員とぼくと社外コンサルタントの三人で行われた。
もうひとつの問題は、その社外コンサルタントだ。ぼくらからは想像もつかない実績のあるベテランコンサルタントだったが、実はコンサルタントへの報酬は払っていなかった。なぜなら、コンサルタントの派遣は政府のプログラムの一貫だったからだ (コンサルタントの報酬は国の予算から出ている) 。海外進出を目指す中小企業を政府が支援していくプログラムだった。社長がこの話に乗ったのは、要するに、タダだったからだ。ちなみに当の外国人社員の採用も、転職エージェントの積極的なアプローチに押され、本来想定していたスケジュールよりも大きく前倒しされて行われるという、一種の誤算だった。
コンサルタントも外国人社員も、海外進出プロジェクトを進めることが唯一の存在理由 = アイデンティティだった。
社長が、現地視察にだけは寛大であり、むしろ現地視察をこそ推奨するのは、外国人社員とコンサルタントからの具体的で現実的すぎる (金のかかる) 提案への、社長なりの「待った」の姿勢の表れだとぼくは解釈していた。
社長は次第に、(多忙ということもあったが) コンサルタントが来社するときもスケジュールを優先して空けないようになった。あの人はタダだから、という意識は少なからずあったのだと、ぼくは思う。しかしコンサルタントにもプライドがあった。本来、三十にも満たないぼくが対応して良い相手ではなかった。社長からは、プロジェクトを進めたいのに進めたくないという、一見すると矛盾した言動が見て取れた。それが社長の中では矛盾していないのだと分かるのは、社歴があり、そして日本人であるぼくだけだった。外国人社員もコンサルタントも混乱し、少しずつフラストレーションをためていた。しかしフラストレーションは社長に対して向けられなかった。社長に向けることは彼らの無意識が拒んでいた。だから、外国人社員はこの会社と日本という国に対して、コンサルタントは主に外国人社員と少しはぼくに対して、そのフラストレーションが向けられた。ぼくだけが三者の心情を正しく把握していた。そしてそれをただ静観していた。いちプロジェクトメンバーとしてのぼくの落ち度はこの「静観」にあると言えるだろう。しかしここから先は情熱の問題だった。ぼくにはぼくの情熱があったが、それをこのプロジェクトの軌道修正には向けなかった。ただそれだけのことだった。
三度目のアメリカ出張は無理やりの決行だった。アポが十分に取れておらず、抜け穴だらけだった。ぼくはそれをチェックしていなかった。いや、知っていながら見逃した。「お前がそれでいいならそれでいい」。ぼくはある種お目付け役だったが、主導権を握るつもりはなく、一貫してそのスタンスだった。外国人社員はマンハッタンを歩きながらぼくに夢物語を語った。
「ワタシがニューヨーク支店のCEOになったらあのマンションに住みたいんだ。家賃は〇〇で……云々」。
お前がそれでいいならそれでいい。ぼくはそう思った。
コンサルタントの鬱憤は帰国後、社長へ直接届けられた。ぼくは外国人社員を弁護した。これは悲劇だった。CEOの夢を見るのと裏腹に、成果が上がらないことが目に見えているニューヨーク出張を強行したのは、彼の「日本の企業」での日毎のストレスが原因のひとつでもあることはぼくにはありありと感じ取れた。彼はオフィスでときおりやることがなく、大きい身体を丸めて、じっと定時がくるのを待っていた。彼はニューヨークで生き生きと英語を話していた。エレベーターで居合わせただけの人に冗談を言い、タクシーに乗った瞬間から降りる瞬間まで、運転手とハイテンションに話し続けた。日本文化が好きで来日したはずの彼はアメリカで水を得た魚のようにはしゃいでいた。一方で彼はほぼ新卒の年齢で来日していたためアメリカでの職歴が無かった。そこには彼のキャリアの課題も見え隠れしていた。CEOとして日本を脱出して憧れのニューヨーカーとして返り咲くことを、八方塞がりな現状への正しい突破口であるといつしか彼は捉えていた。それは極めて非現実的な突破口だが、そう思い込まざるを得ない切実さの中に彼は生きていた。


彼を弁護した途端、矛先はぼくに向いた。
「なんのためにお前がいるんだ。お前も本当なら……」
社長はそう言った。ぼくは社長室から出た。目の前に ひかrewrite の席があり、会議室に置き忘れて預かってもらっていたジャケットを受け取った。ただならぬ雰囲気は伝わっているようだった。ぼくは「あとで話すね」とだけ言った。
その週末、ぼくは『深夜特急』を読み始めた。何度目か分からなかった。ぼくは会社をやめることになるかもしれない。このときはじめて真剣にそう思った。人生の大事な局面になるとすがるように手にとってしまう、正真正銘のバイブル。ぼくの、情熱。会社をやめたら、旅に出る。すでにそれは心に決めていたことだった。しかし、ぼくはそのとき、覚悟も決めたのだった。
数日後、ひかrewrite と相手の男性、三人で飲んだ。男性の行きつけのバーで、ひかrewrite もすでに何度か「彼女」としてお邪魔している店だった。そこでぼくは二人の間に挟まれたカウンター席で、この一連の顛末を話した。
二人はいい感じだった。酒も料理も良かった。終電が迫っていた。「逃したら戻ってきな」と彼氏はぼくに言った。戻ってくるわけにはいかねーな。とぼくは思った。別れ際の二人を見て、ぼくはとても安心した。ぼくが疎外感を感じるくらい、二人は信頼関係を育んでいるように見えた。大丈夫。もうぼくは、必要ない。二人の秘密を知っているのは依然としてぼくだけだったが、そのぼくも今日限りでこのドラマから退場する。一抹の寂しさを抱えて二人に手を振って、駅まで夜の銀座を走った。


振られちゃった。というラインが来たのはそれから一ヶ月も経過していなかった。外国人社員は退社した。ぼくは退社しなかった。東公園のいちょう並木が一番綺麗な時期だった。そう、冬が来る直前が、一番綺麗なのだ。幹事のYさんは転職した。東京ドームホテルでの盛大な忘年会の準備が進んでいた。晩秋、文京区でいくつかの情熱が散っていた。そのほとんどは人に知られることのないままに。

(たいchillout@ベルギー)

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