【カンボジア/プノンペン】王国麦酒醸造所と日本人橋

YOUR ADVENTURE BIGINS HERE

午前のうちにカズキたちはシェムリアップに移動した。シェムリアップにはあのアンコールワットがある。当然ぼくもそこに行く予定だが、ぼくはプノンペンでもう一日すごすつもりだ。二人とはシェムリアップで連絡をとりあう約束をして別れた。

この日は午前中から自転車をレンタルして、それを乗り回しているだけで夜になった。
晦日なのでぱーっといい酒を飲みたいとぼくは考えていた。GoogleMap アプリを起動し、幾度となく繰り返してきたおなじみのキーワードをひとつひとつ検索にかける。

 

beer
craft beer
brewery
tap room
bar

 

同じ検索を Maps.Me アプリでもやってみる。地図アプリによって登録されている店がちがうのだ。行く先々でのこうした「ビール探し」は、観光名所の事前リサーチをしないぼくにとって数少ない土地の情報源だった。検索をかけると、該当する店のいくつかが地図上にマッピングされる。すると店が密集している地域が可視化される。つまり、街のどのあたりが栄えているのかがわかるのだ。
この日ぼくが目をつけたのが Kingdom Breweries。GoogleMap に投稿された英語の口コミを読むと、どうやら十ドル定額でカンボジアのローカルクラフトビールが飲み放題らしい。 Kingdom Breweries、いわば王国麦酒醸造所。ここで言う王国はアンコール王朝のことだろう。素晴らしい名前だ。中心地から北に外れたトンレサップ川沿いに位置している。うまくいけば川を肴に飲めるかもしれない。

夕方にすらなっていない頃に、はやくも王国麦酒醸造所の前に自転車を停めている自分がいた。三時間前行動。いささか気合を入れすぎてしまったかもしれない。
トンレサップ川の真正面だ。駐車場には車が一台もない。営業しているのかすら不明だったが、ガラス張りの受付のような場所から中を覗くと、女性がこちらを見返してきた。ぼくは門をくぐった。
受付カウンターに座る女性は食事中だった。女性はぼくに言った。
「ツアー? それとも飲むだけ?」
ビール作りを見学できるツアーもあるらしい。ぼくは「飲むだけ」と答えると、女性に二階のバーまで通された。
バーカウンターは部屋の中心に、島のようにしてあった。その中にバーテンである別の女性がひとりだけ。客はなんとぼくだけだった。本当に来てよかったのだろうか。もしかしてここはツアー目的の客が大多数なのだろうか。
恐る恐るだったが、ぼくはカウンターに座り飲みはじめた。

 

Kingdom Pilsner - 王国ピルスナー
Indochine Belgian Style White Beer - ベルギースタイルインドシナホワイトビール
Kingdom Mango IPA - 王国マンゴーIPA
Indochine IPA - インドシナIPA

 

四杯をじっくり飲んだ。ダーク系を切らしていたのは残念だったがビールはすべて美味かった。客がいないにも関わらずビアサーバーは十分に手入れされていることがわかる。バーは客を受け入れる準備ができていた。
ぼくは基本的に毎日ビールを飲むが一度にそれほどたくさん飲むわけではない。通常はせいぜい瓶で一、二本だ。外で飲んで気分が良いときはパイント四杯まで美味しくいただけるが、それ以上になるとお店を変えてくれ、ウイスキーをくれと身体が要求しはじめる。
「飲まなきゃやってられねえ」と酒を飲む人は多いが、ぼくはポジティブな理由で酒を飲んでいる。いい酒をいい体調で飲んでいると頭が冴えてくるのがわかる。なにかこの世の果てにある人生の真実にいまなら手を触れることができるような気がしてくる。近すぎたり遠すぎたり、不必要な箇所にフォーカスしていた望遠レンズのピントが、人生にとって最適な位置に合わさっていく感覚がある。大切なことの大切さを再確認し、素晴らしいものの素晴らしさを再認識し、自分の無力さを素直に受け入れられたりする。

バーは南北に長い長方形をしている。その東側と南側は大きな窓になっており、東側からは濁ったトンレサップ川が一望できた。南側はテラス。ぼくの座るカウンターの周囲にはどれも座り心地の良さそうな異なる形のソファーが置かれていた。
カウンターは重厚な木の作りで天井には風車タイプのファン。壁には絵や写真、地図、ビールのラインナップやその度数が英語で書かれた黒板などが控えめに配置されている。メインターゲットはやはり外国人観光客なのかもしれない。クラフトビールが十ドルで飲み放題というのは破格のようにも思えるが、大手のラガービールなら一ドルで飲めるのがこの国だった。
カウンターの真上、ぼくの背より高い位置に天井からぶら下がるようにして取り付けられている奥行きのない棚の上に色とりどりの空のビール瓶が整列していた。メニューは本のように閉じられているタイプではなく、プラスチックのケースに入れられてカウンターの上に立てられている。それをなんの気なしに見ていると、そこに書かれているひとつの言葉が目に入ってきた。

 

YOUR ADVENTURE BIGINS HERE

 

あなたの冒険はここからはじまる。メニューの上部には大きく Kingdom Breweries のロゴが描かれ、その背後には夕暮れに沈むアンコールワットの写真がある。この言葉はロゴの真下に、メニューよりも目立つフォント・サイズで印字されていた。
ブランドのキャッチコピーのようなものなのかもしれない。YOUR ADVENTURE BIGINS HERE。しかしそれにしても、ぼくにはまるで、この言葉がこの日この場所にきた自分のために用意されていたように感じた。

この旅もすでに六ヶ月近くが経過しており、ぼくはその時間の悠久さを十分に享受しきっていたと言って良い。「まだまだこれからだ」とモンゴルにいた頃は思っていたし、「まだこんなもんじゃない」と中央アジアにいた頃は思おうとしていた。「これでいいのだろうか、あるいは、これでいいのかもしれない」とマレー半島にいた頃は迷い、病気のシンガポールと再会の華南を経てベトナムに入ったあたりでやっとなにかが「一周」しきったようなすっきりとした気分になっていた。それはプロ野球にたとえれば、はじめてシーズン規定打席に到達したペナントレースを三割一分二厘で終えた秋のような気分だ。春先は絶好調で首位打者争いに食い込み月間MVPも獲得したが、夏の長いスランプで打率は目減り、それでもなんとか試合には出続け試行錯誤の中でシーズンを終えてみれば、春に比べれば大きく落としているものの、客観的に見れば及第点どころか一流の証である三割を守り抜いた。苦しかったし、反省もたくさんあるが、おれはこのシーズンの闘いを誇っていいのではないか……。
かつてない大きな満足感と苦闘の記憶を胸に選手は、その年の大晦日に、酒を飲みながら来シーズンへの思いを馳せ、きっと思うのではないだろうか。
YOUR ADVENTURE BIGINS HERE。勝負はこれからだ、と。
2018年の大晦日。ぼくも今シーズンを想うのだ。すべてがヒットになった日々。途端に打てなくなった日々。体勢を崩されながらもなんとかこなした進塁打。チャンスでの凡退。大振りまぐれの一発。それでも終わってみればいいシーズンだった。やっぱりタイトルなんて取れなかった。それでも夢のようなシーズンだった。素晴らしさを知った。同時に甘くないことも知った。その一連が一度終わった。
そして手にした来シーズンの出場権利がここにある。南アジア、中東、そしてヨーロッパ。そこではより優れた投手がより厳しいコースに投げ込んでくるが、今の自分なら打てないわけではないだろう。
YOUR ADVENTURE BIGINS HERE。気持ちを新たに。

 

日本人橋

プノンペンのトンレサップ川には、通称「日本人橋」と呼ばれている橋が架かっている。カンボジア語では、プノンペンと対岸のチュルイ・チョンバーを結んでいる橋であるために、「チュルイ・チョンバー橋」ともいうらしい。
その名の通り日本人がつくった橋だそうだ。調べたところによるとそれは1963年、川の向こうとこちらを結ぶ交通手段が船のみだった時代。カンボジア政府が橋の建設を国際入札した際に手を上げたのが日本であり、日本からの技術提案という形で協力が決まったという。技術提案というのがどこまでの範囲を指すのかわからないが、完成後はそれが「日本の橋」であることは広く市民に認知されたという (参考:カンボジア生活情報サイト "NyoNyum")。
その後72年の内戦で爆破されてしまい、94年に日本の無償資金協力で再び建て直されたという経緯があるこの橋をぼくが知っているのは、父の子ども時代の愛読本だったらしいとある児童書のためだ。

『日本人の橋 (スピエン・ジッポン) 』という本が、岩崎京子という96歳の存命の著者によるものであり、偕成社という児童文学系の出版社から1971年に出版されたということは今 (これを書きながら) ネットで調べた。どうやらすでに絶版のようである。
この本がむかし家にあった。赤っぽい表紙で硬いカバーだった。形は正方形に近かった記憶がある。当時から読書が好きだった子どもの頃のぼくは、あるとき父にその本を手渡されたはずだが、それが何歳のときかは覚えていない。
子ども心ながらに、父のその児童書にたいする少なからぬ思い入れのあるところをぼくは感じ取っていた。当時「積ん読」だったいくつかを読了した後に、『スピエン・ジッポン』を手にとったが、これが父にとってなぜ大切な本なのか、読み終えた後もぼくにはわからなかった気がする。
その後、一度か二度再読をしたはずだが、内容は記憶に残っていない。装丁が醸し出す本の佇まいのせいか、どこか物さみしげな印象だけが残っていた。
今 (これを書きながら) ネットで調べてもほとんど情報が出てこない。書影すら見つからない。唯一見つかった記述が次に引用するものだ。

「日本人の橋(スピエン・ジッポン)」(岩崎京子さん著。1971年出版)を当事務所の林企画調査員に借りて読みました。1960年代にチュルイ・チョンバー橋が建設されたときの様子が描かれた児童書です。工事の受注から建設の経緯にいたるドラマも大変面白いのですが、当時の日本人の生活の様子(すでにカンボジア米にもち米を混ぜて食べていたり!)や、朱印船貿易の時代の日本・カンボジアの交流(日本人町がウドンの他プノンペンにもあったのですね!)についても書かれており…… (JICAカンボジア事務所 カンボジアだより No.40)

なるほど、「工事の受注」から「建設の経緯」にいたる話だったのだ。『ズッコケ三人組』や『エルマーの冒険』に夢中になり、読書にドキドキ・ワクワクを求めていた当時のぼくからしてみたら、ひょっとしたらその話は地味すぎたのかもしれない。

今の自分なら「工事の受注」や「建設の経緯」についてのドラマをドキドキ・ワクワク読むことができるだろう。だがそれよりもこうしてキーワードを並べてみて気がついたのは、それらは今現在の父とも一貫して繋がるキーワードであるということだった。
ぼくにはぼく特有のロマンチシズムがある。それはどんな出来事に相対しても無自覚にいつも同じような角度からのロマンチシズムを探してしまう性癖のようなものである。これは男ならきっと誰にでもある。沢木耕太郎にはとても顕著で、どの本を読んでも必ずどこかで「あまりに沢木的な」としか言いようのないそれが顔を出す。沢木節のロマンチシズム、センチメンタリズム、ヒロイズム。ぼくはそれがたまらなく好きで沢木氏の本を読むのかもしれない。これまで考えたこともなかったが、同じように父にだって父特有のロマンチシズムがあるはずだった。それは「スピエン・ジッポン的な」ものなのではないか。今 (これを書きながら) はじめてぼくはそれに思い至った。

この「日本人橋」を訪れることは、父に言われるまでもなく、プノンペンでのひとつのミッションだった。ぼくは王国麦酒醸造所の帰り、日が沈んでいく中でそこを訪れた。
しかしここでひとつ驚きの事実が発覚する。日本人橋はたしかにそこにあったのだが、閉鎖されていたのだ。理由はわからなかった。そしてその隣にまるで兄弟のように「中国人橋」がかかっていた。こちらが多くの車が行き交う現役の橋だった。
なにもこんなに隣に造らなくたっていいじゃないか。閉鎖された日本人橋と現役の中国人橋の並ぶ様は、長らく経済成長が停滞し相対的に国際的存在感が低下している日本と、アメリカに並ぶ第二の超大国を目指して邁進するところとどまらない中国の力関係が今本当に逆転しつつあることを、日本に、中国に、カンボジアに、そして世界に見せつけられているようで、いくら中国が好きなぼくでも「チキショウ」という気持ちを抱かずにはいられなかった。

ぼくの自転車が橋の真ん中に差し掛かる頃は完全な夜だった。中国人橋を渡ってみることにしたのだ。中国人橋の上からは隣の日本人橋が見えた。こちらは車のヘッドライトで常に明るいが、ところどころシートがかかり鉄骨もむき出しな日本人橋は真っ暗だった。
中国人橋の上は常時多くの車がハイスピードで行き交っていたが、一度だけ、こちらの車線からも反対車線からもすべての車がいなくなった瞬間があった。そのときは中国人橋の上にも世界が止まったような静寂が訪れた。大きな橋の上には自転車を押して歩くぼくだけがいた。

 

(たいchillout)

ぼくが行ったときの日本人橋は老朽化につき建て直しの最中でした。しかしそれも晴れて三月に再開通し今は中国人橋と並んで利用されています。それぞれの橋が二車線を持ちますが、どちらかの橋がチュルイ・チョンバー方面へ、どちらかの橋がプノンペン方面へ、と進行方向で使い分けられているようです。つまりチュルイ・チョンバーに住んでプノンペンに通勤するカンボジア人は、たとえば毎朝中国人橋を通って出勤し、毎夕方日本人橋を通って帰宅していることになります。

プノンペン編おわり

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