【カンボジア/シェムリアップ】アンコール遺跡とレッドピアノ

黄緑の平原と泥水の川

マウンテンバイクを5ドルでレンタルし、朝からアンコール遺跡に向かった。徒歩でまわり切るにはアンコール遺跡は広すぎるらしい。予算があるならガイド付きのトゥクトゥクを雇うべきとのこと。それでも2、3日かける旅行者も多いらしい。ホーチミン・シティで会ったイギリス人カップルに聞いた話だ。
また、アンコール遺跡の中にも食事処はあるがどれも割高とのこと。これはカズキから聞いた話だ。だからぼくは昼食用に事前にパンを買って遺跡内に持ちこんだ。
まずは遺跡から離れた場所にあるきれいなチケットセンターに向かった。そこにある機械で顔写真を撮影し、それがチケットに印刷される。クレジットカード決済でワンデイチケットは37ドル。4泊できる値段。去年あたりに10ドル近い値上げがあったようだ。バックパッカーにはデカすぎる出費だが、よくわからないなりに、やはりアンコールワットには行っておきたかった。
正門のようなものはない。林の中をマウンテンバイクで突き進む途中で、係員のような男性にチケットを見せた。どうやらここから敷地らしい。まさに「密林の中に眠る遺跡」というわけだ。
左手の木々を透かして学校のようなものが見える。校庭らしき広場で子どもたちが駆け回る。彼らがチケットを買って入場しているわけではないだろう。世界遺産アンコール遺跡といえど、地元の人たちにとってみれば文字通り日常の生活空間なのだ。
やがて水の溜まっている大きな外堀が現れ、その向こうに城壁のようなものが見えた。堀を左側から迂回していくと開けた場所に出た。そこにはたくさんの人がいた。アンコール遺跡の中でも最も有名な"アレ"、アンコールワットだ。マウンテンバイクに鍵をかけてぼくは歩き出した。
晴れ渡る空に余裕たっぷりの雲が流れる。土産物屋、食事処、フルーツの歩き売りもいる。西洋人、中国人、アラブ人、アフリカ系、ヒスパニック、世界中から人が集まっている。家族連れも多い。
ガイドもいなく、事前知識も少ないぼくなので、観ていて分かることは少なかった。代わりにぼくは、遥か遠い昔 (12世紀?) にこんなところにこんなにどでかく精巧で美的な建築、生活の場を作り上げた強力な王朝が存在し、そしてそれが跡形もなく消え去り、一度は記憶からも記録からも忘れ去られたままこの密林に眠り続けたという、その歴史のロマンそのものに耳をすませ、その鼓動を感じ取ろうとした。
親の側を離れて走り出す子どもたち。熱心にガイドの英語を聞く老年の夫婦。柱に手をつき首を傾げ、友人のシャッターを待つ若い女性。観光地に行って、観光客を見る。ぼくはその行為が好きだ。観光客は輝いている。彼らは自分は今このときに輝くべきだという確信を持って旅行先を訪れている。ぼくは、自分が輝く機会よりも、そんな彼らを見て心を震わせられる機会を探している。
アンコールワットの次に有名なアンコールトムまで移動する。もちろん自転車でだ。トムは、ワットと比べて、より石たちがむっつりと寄り集まっている密度の濃い遺跡だった。不思議なことにここは密林に眠る遺跡にして、虫が一匹もいない。床から壁から天井まで全てが石でできているからだろう。風の抜けもよく、乾いている。しかし、ぼくは石の中からぽっかりと切り取られて見えた空と木々を見て、ここは雨が降ってもきれいだろうなと自分にしては珍しい感想を持った。
中心部の石の中に仏像がある。金の葉っぱと蝋燭の炎が風に揺れる。サンダルを脱いで仏像の前まで行ったが、手を合わせることなく帰ってきたぼくと入れ違いに西洋人の家族連れが入っていく。小さな女の子が言う。No hat daddy, no hat......。帽子をかぶったお父さんに、帽子はとって入るんだよと律儀な注意をしているのだ。
二つの有名な遺跡を見終えて、ぼくはしばらくあてもなく自転車を向かわせてみることにしていた。やがてどうやら西の端の門をくぐり、敷地の外に出てもまだ突き進んだ。雄大な湿地帯。水を浴びる野放しのヤクのような動物たち。高い木々。硬い土。と思ったらサソリでもいそうなサラサラとした砂にマウンテンバイクのタイヤが苦戦する。やがて木々ではなく周囲は背の高い草になる。そして開けた場所に出た。ちなみに、もちろん、観光客なんて一人もいなくなって久しい。
そこは平原だった。ジャングルの中の平原だ。人はいない。呑気なヤギが数匹いた。ヤギの向こうにどこまでも続く黄緑の平原。合わせ鏡のような水色の空。こんな場所があるのだ、と思った。アンコールワットの誰も知らない一等席。途中引き返すことも考えたが、そうせずにここまで来て良かったと思った。観光客でここまで来れる人はなかなかいないだろう。相当に無計画な気分屋でない限り。
平原の中を進むこともできたがいよいよそこには道がなかった。引き返すことに決め立ちションをしているとどこからか人の声が聞こえてくる。チャックを上げて声の方向に引き返すと、通り過ぎた草むらの影に小さなボロボロの橋があった。慎重に橋に踏み込み、半分ほどまでくると、その橋は水路のように細い川の上に架かっていることがわかった。そしてどうやら人の声は川の方から聞こえてきていた。
物音を立てないように川を覗き込むとそこには男たちがいた。半裸で、嬌声を上げて彼らは、泥水の川で水浴びをしていたのだ。一瞬ぼくは彼らがジャングルの奥地に住む未開の部族か何かだろうと思ってしまった。そのくらい川の水はこれ以上ないくらいに茶色で、そこではしゃぐ彼らは文明化された人間にはありえない感覚で野生と一体化しているように見えたのだ。ぼくはどきどきしながらそっと彼らを見て、その泥水の川が真っ直ぐに伸び続ける密林の彼方を見た。水平線で空と川が溶け合っていた。危害を加えられるなんてことはないだろう。だがしかし、彼らは観察されることなんて望んでいないはずだった。彼らは彼らで当たり前のことをしているだけなのだから。

 

レッドピアノ

アンコール遺跡を去る頃には夕暮れに追いかけられるようにマウンテンバイクを飛ばしていた。入場したときに通りがかった外堀沿いには、現地の若者たちがピクニックシートやスピーカー、ビールを並べている。「河川敷で飲もうぜ」みたいな、彼らの日常の風景がそこに存在する。アンコールワットに沈む夕日という宇宙一贅沢な日常。
前日に続き、夜は二人のカズキと街中のバーガーキングで合流した。中華料理店で麻婆豆腐をシェアし、パッタイも食べる。二軒目は繁華な「パブストリート」に出て、昨日と同じ「レッドピアノ」で飲む。ベルギービールの飲めるこの店をインド・カズキが気に入ったのだ。
クルマ・カズキは慣れない異国で昨日から少し体調を崩していた。ビールグラスを持ったぼくがあまりに生き生きしていたからか、酒を控えることにしたクルマ・カズキは「ご一緒できなくてすみません」と謝った。社会人二年目で、それもわりかし男社会で揉まれているようである彼には「先輩のお酒には付き合わなくては」という認識があるのかもしれなかった。
三軒目は店ではない。市場でカエルの串焼きを買って三人で公平に分けて食べたのだ。鶏肉のような味だった。喧騒とオレンジ色に光る通りから少し離れ、暗闇の中で串に刺さったそのままの形のカエルに目を凝らして、同じように暗闇に沈む二人の顔を見る。明日、バンコクに行ってしまう二人との別れの時間だった。日本人とこうやってべらべらと日本語を話せる機会は、果たして次はいつやってくるだろうか。
前日の夜は、ぼくがほとんどの二人のお会計を払った。そのときインド・カズキがおちゃらけて言った。「先輩カッコつけないでくださいよ」。
この日、細かいお金がなかったぼくは逆にクルマ・カズキに多めに払ってもらうことになった。明日お金をつくって会う時間はない。そのときぼくはおどけて言った。
「じゃあ……これは借りということでいいかな?」
するとクルマ・カズキは全てを心得て言った。
「また会ってくれるんですね」
24歳の頃のぼくは、彼らのような人間味があっただろうか。礼儀や茶目っけや社交力や勇気があっただろうか。こんなこと言うと随分歳をとったようだが、旅に出てぼくは、若い人から非常に多くのことを学べると知った。

 

(たいchillout)

カンボジア編終わり

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