【ラオス/ルアンパバーン】久しぶりのまともな人

雨と道路

この旅で学んだ具体的な知識の一つに「道路は雨によって破壊される」ということがある。それを学んだ訳は単純だ。国の経済レベルが同程度であるとき (つまり道路の補修に回せる予算が同程度であるとき) 、雨の多い国であるほど、道路の状態が悪かったのである。
例えばモンゴルの道路はすごく状態が良かった。中央アジアや、中東の砂漠の国々も、どこまでも凛と清潔に伸びたまま青空と溶け合い、パキンと地平線に突き刺さる美しい道路があった。アラブ首長国連邦オマーンを除けば、それらの国々は決して経済に秀でた国というわけでもない。それなのに美しい道路を持っているのは、一度作った道路がひび割れたりしないまま長く維持されているからなのである。
その意味において熱帯の国々である東南アジアは分が悪かった。特に酷かったのがラオスであり、ラオスでもひときわ最低☆最悪だったのがヴァンヴィエンからルアンパバーンまでの道のりだ。あまりにひどいアップダウンで頭痛に襲われるだけでなく、ただ乗っていただけなのにシートにバウンドし続けた尻のあたりが翌日には筋肉痛になっている有様だった。

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こんにちは その1

満身創痍でたどり着いたルアンパバーンのホステルだったが (トイレも我慢していた) 、ドミトリーは清潔で、オーナーは親切で、しかも滞在した二泊ともぼく一人きりだった。ドミトリーに一人で泊まるのは個室に一人で泊まるよりもハイパー気分がいい。こればかりはやってみなきゃわかんないだろう。
荷物を片付けて街を歩きだすと家屋の佇まいにどことなく中国の香りがする (ぼくは中国の香りに敏感なのだ) 。そういえばこの街からダイレクトに雲南省へ抜けるバスがあると聞いたことがある。さすればここはもう文化のすれ違う場所であり、文化のすれ違う場所特有の文化が育まれた街なのである。
市街地に出ると、さすがに地域ごとすっぽり世界文化遺産に認定されているだけはあって、観光客向けのカフェやレストラン、土産物屋が多い。それらの建築物にはそれなりの風情はある一方で、意外と築年数が浅い、若干チープな印象が目に付く。どこかドラクエの世界を探検しているような雰囲気だなあなどと思いながらそろそろと歩いていると、不意に正面から「こんにちは」と日本人の中年女性に声をかけられた。ぼくが日本人であることに確信を持っているところからして相当なやり手であることが感じられる。軽い世間話の後、名刺を渡される。女性はどうやらこの街でゲストハウスを運営しているらしい。物怖じしないところや明朗な話ぶりにはタフな図々しさと人好きのする愛嬌が 6:4 くらいのバランスで同居している。それはいかにも異国で生き抜いていく女性の適正であるように感じた。女性の元に泊まれば何か面白いことも起きるかもしれないと感じたが、すでに泊まるところのあったぼくは、気が向いたら遊びに行くとだけ言って別れた。

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こんにちは その2

やがて市街地のブロックの北端であるメコン川まで辿り着き、川沿いを冷やかしていると、この日二度目の「こんにちは」がやってきた。いやいや、いまぼくは「やってきた」と書いたが、それは正確を期した表現ではない。実を言えば先方と全く同じタイミングでぼく自身の口からも「こんにちは」という純日本語が口をついて出ていたのである。つまりそれは数分前のように一方的にやってきた「こんにちは」ではなく、お互いがお互いを認識し確かめ合った上での安心安全な「こんにちは」だったことになる。川沿いを歩くぼくと、ゲストハウスのような建物の前の椅子に腰掛けてタバコを燻らせるO山さんは目があった瞬間に、いや、より正確にはその目をなぜだか逸らすことのなかった2〜3秒の間に、お互いが日本人であるという十分な確信を手にし、そのとき日本人らしく目を逸らしてしまうこともなく、 真正面から「こんにちは」とぶつかってゆくことを選んだのだった。

O山と名乗ったその男性は、ぼくより若干年上。東南アジア旅、特に一年住んだこともあるタイには相当に熟練している様子である方言全開の九州男児だった。
O山さんはとても気さくで話しやすかった。話しやすいとはこういうことかという新鮮な驚きがあった。ぼくと気が合ったというのではなく、誰が相手であっても、きっとこの人は話しやすいと感じさせる普遍的な親密さを、「寛 (くつろ) ぎ」を持っている人だった。O山さんと話すことでぼくは、旅する日本人にはやはりどこかに何かしらのクセを持っている人が多いのだということに逆に気付かされてしまうことになった。O山さんにはこれまで会ってきた日本人の多くが持ち合わせていなかった、安心して言葉を紡げる社会性のようなものが感じられたのだ。この人はきっとまともな社会でまともな社会人をやってきた男だ。ぼくはそう感じた。旅やらなんやらにうつつを抜かしている人種にはないその安定感にぼくは、社会というものが持つ空気を懐かしいものとして思い出す経験をすることとなった。
ぼくはiPhoneのアプリに次のようにメモを記した。
──久しぶりにまともな人にあった──と。

(たいchillout)

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