【ラオス/ルアンパバーン】関西男と九州男

二つの結婚式

シーパンドン2泊。タケク2泊。ヴィエンチャン3泊。ヴァンヴィエン2泊。ルアンパバーン2泊。ここまで合計11泊。
ラオスは駆け足で旅をした国だった。ウランバートルに21泊、アルマトイに15泊、一つの国ではなく一つの街にそれだけ滞在してきたことを思うと、旅のスタイルが随分変わってきたことを認めざるを得ない。ぼくは少なからず焦っていたのだろうか。このままではお金が尽きる。時間も尽きる。気力だって尽きるかもしれない、と。

ちょうど一月前の2018年12月半ば、中国の広西チワン族自治区南寧市にいた頃。社会人新卒同期の友人から2019年の9月に挙式をするという連絡を受けた。新郎新婦が付き合い始めてすぐの頃に下北沢の魚介系の飲み屋で新郎がぼくら同期に「嫁にしたい」と断言していたことをよく覚えているから、ぼくは有言実行した彼の幸せを心から嬉しく思った。ぼくの長所は人の幸せを喜べることだ。彼を祝福するために必ず行くと返事をしていた。
だが、旅立ちから半年が経過しても未だ東南アジアを行ったり来たりしていることを考えると、9月までにヨーロッパツアーを終えて帰国するのはなかなかのハードスケジュールになる。実のところ不安はあった。
とはいえ、だ。自由気ままを決め込んでいた旅のタイムリミットがこの時ついに決まったという事実が、心の奥底に何らかの意味を持つ楔を打ち込んだことも確かだった。

それともう一つ。ルアンパバーン滞在中には、小学校の頃から付き合いのある古い友人から結婚の報告を受けた。こちらの挙式は5月。参加するのは諦める必要があった。旅立ちの前日にホテルニューオータニのバーで飲んでいたとき、LINEで彼に旅立つことを伝えたら、すぐに電話がかかってきた。腐れ縁の友なので仰々しくならずに努めて軽薄に (旅の期間もぼかして短めに) メッセージしたつもりだったが、ぼくの表向きの気楽さは真実でなく、これが大きな旅で大きな決心なのだと彼には言わずとも分かったのだろう。そんな友人の式に参加することをぼくは諦める必要があった。

 

関西男と九州男

ルアンパバーン世界遺産に登録されているだけあって、ラオスでは最も観光地化が進んでいる印象があった。ぼくはここに二泊した後、ボートに乗ってメコン川を北上し、タイまで突き抜ける計画を立てていた。ボートで国境を越える。ただそのモチーフにロマンを感じて、そうすることを決めたのだ。
到着初日に出会った九州男のO山さん (前回の記事「【ラオス/ルアンパバーン】久しぶりのまともな人」参照) は、ぼくにとってこの街そのものだったと言っていい。出会ったその夜に食事に誘われ、快諾した。夕方に待ち合わせ場所に出向くと、そこにはO山さん以外に別の日本人男性 (若く見えるが中年) と若いラオス人男性もいた。この日はこの四人でメコン川沿いの露店でBBQをする段取りをO山さんの宿泊しているゲストハウスのオーナーが組んでくれていた。そのオーナーこそ、O山さんと会う前に道端ですれ違ったゲストハウス経営の日本人女性だった (前回の記事参照) 。
若く見える中年男性はI上さん。眼鏡をかけている。実年齢は40代半ばだ。ラオス人男性は20歳のサイくんと言う。サイくんは純朴でハニカミ気質、褐色の肌に黒くまっすぐな髪、細身で美形の青年だった。I上さんは大阪で銀行に勤めている。既婚者だが奥さんとは離婚調停中とのこと。離婚調停中にラオスに一人旅をするなんていい根性している。ぼくもそんなおじさんになりたい。サイくんはO山さんの宿泊しているゲストハウスのスタッフだった。英語を勉強したい意思があるらしく、この「飲み会」の案内役と通訳を買って出てくれた。勉強したいと言う通り、英語力はまだまだこれからという感じがある。加えて日本人が三人集ったこともあって、会話のほとんどが日本語で進行してしまったのは申し訳なかった。とはいえ、こちらとしても久しぶりにまともな日本人の──話上手で座持ちの良い年上の男性たちの ──お相手ができたこともあって、サイくんへの気遣いがなかなか回らなかったというのっぴきならない事情があった。関西弁全開のI上さんと九州弁全開のO山さんの掛け合いは終始愉快で、ぼくは腹を抱えて笑って、珍しく気が大きくなっていた。I上さんはさすがにリッチな旅をしていて、一泊四千円する個室に泊まっていた。明日は少数民族のいる村へ行くツアーを組んでいるらしい。ぼくはこの夜、いったいいくつの Beer Lao を飲んだのか分からなかった。

やがてBBQが締まるとお会計を全額持ってくれたI上さんが「女の子のいる店」に行きたいという。付き合い上手のO山さんは「I上さんが行くならとことん付き合う」態度を見せたが、一方でぼくが何か言う前から「たいchilloutくんはそんなでもって感じだよね?」とぼくへの気遣いも欠かさなかった。
ぼくは「二人が行くなら店まで付いていきますよ。酒飲んで待ってますけど」と言った。I上さんはO山さんに奢ると言った。O山さんはそれをはっきりと断ったが、ぼくサイドに同行する意思があるので、ぼくがこの場で取り残される形にだけはならなそうだということが分かったのか、「では店までは付き合います」と宣言した。

善は急げ。ぼくらはトゥクトゥクを捉まえて夜を駆けた。I上さんが事前にお目当てをつけていたお店は少し街外れにあり、周囲は闇の中だった。ぼくとO山さんが座り踏ん反り返ってI上さんを待っていた紫の照明に照らされたロビーの隣のテーブルには、ドレス衣装の「女の子たち」が退屈そうに指名を待って座っていた。明らかに買う気のないことが分かったぼくらのことを完璧に無視している彼女たちは、ラオス人ではなくベトナム人らしい。ベトナム人ラオスで出稼ぎするというのは意外だった。あるいはそれもこの業界ならではのことなのかもしれない。
ぼくは自己申告どおりハイネケンを飲んで待っていた。O山さんはひょっとするとI上さんと一緒に二階に行きたい気持ちもありそうだったが、ぼくに付き合ってくれた。途中、見るからにハイエンドなスーツを着たでっぷりとした中国人の中年男性が来店し複数人の女の子をスムーズにピックアップして二階に消えた。やがて事を終えたはずのI上さんが降りてきて照れ交じりに言った。
「だめだったわ…」
おじさん、頑張ったね。

外灯が自身の影をアスファルトにパラパラ漫画のように映写する様をトゥクトゥクの夜風を浴びながら眺めて、やがて街中に戻った頃には、I上さんは明日同じ女の子でリベンジすることを誓っていた。トゥクトゥクを降りたところで、ぼくだけが宿の方角が違ったので、二人とは別れた。振り返ると千鳥足の二人が肩を組んでヨタヨタとメコン川へと続く一本道を歩き去る後ろ姿があった。ぼくは無意識にiPhoneのカメラを起動し、それを十分にズームして、画質の荒くなった関西男と九州男の後ろ姿をこっそり写真に収めた。それは最高の夜の最高の記憶を記録する大切な旅の写真の一つになった。

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一生敵わない

翌午前、街中で再び偶然にO山さんと会い、朝食 (オムレツ、トースト、ラオコーヒー) を御馳走してもらった。その後頂上に仏教寺院がデンと鎮座する「プーシーの丘」に一緒に登った際もO山さんはぼくの分の入場チケットを極めて自然に払ってくれた。
旅をしていると年齢差のある友人ができて行動を共にすることも多い (旅の至高の醍醐味だと思う) 。そんなときはぼくも年下の友人には気前よくサービスしてやりたいと思うが、思うわりにそれがあまり上手ではない。
バックパッカーは等しく貧乏なのだから変に格好つけるのは不自然ではないか?とか、多く出すことはせっかくの年齢を越えた対等な友人関係を無下にして上下関係を強いることになってしまうのではないか?とか、女性であればせっかくの性別を越えた対等な友人関係を無下にして異性同士であることを意識させることになってしまうのではないか?とか、余計な懸案をしてしまうのだ。偉ぶったところのないままに一瞬にして後輩にサービスし、次の瞬間にはその恩を無かったことにできるO山さんの手慣れた振る舞いはぼくには真似できないと思った。

朝食時に話を聞くことになったO山さんの経歴はなかなかに波乱に飛んでいた。三十五年の半生で日本各地 (+バンコク) への居住経験があり、あまりここには書けないこともしていた。ヤンチャしてきたのだ。留置所、拘置所、刑務所、独房の定義と差異をここまで明朗に人から説明してもらったのは初めての経験だった。
ぼくは内心、ヤンチャしてきた人とは反りが合わないと思っている。ぼくの少年時代の美学は、表向きの「成績優秀で穏やかな優等生」と裏向きの「唯我独尊」を両立するところにあった。表で「唯我独尊」するヤンチャ者は、内実とことん小心者で、仲間がいなけりゃ何もできない、所属欲求の奴隷だと思っていた。真のアウトローたる資格は、でかい自由の荷の重さとその代償となる責任や孤独を今から予感することのできるこちらの側にある。ぼくはそう考えていた。尖った優等生よりも優しいヤンキーの方が美談になる安直なこの世の中、だからこそぼくは尖った優等生の方こそ──「ロックな生き方」に近いと思っていた。

だがしかし、だ。 O山さんの半生を聞いてぼくは一つ得心がいった。彼の極めてスマートな後輩の扱いは一朝一夕で身につくものではない。ヤンチャの世界独特の人情のようなものがその背中から漂っているのだ。ぼくがシステムエンジニアだった話をすると「自分には学歴がないからITとかあんまりわかんないけど…」と律儀な前置きをして、ぼくの仕事や旅に出るまでのいきさつ、これから先の考えを親身に丁寧に聞いてくれた。
彼はこれからパクセーに向かいラオス原産のコーヒーを仕入れるという。商売をしているのだ。
この人には自分が一生かかっても敵わないものがある。だけどぼくがそう思っていることをこの人は知らないだろう。

(たいchillout)

次回はいよいよボートに乗ってタイの国境を目指すメコン川クルーズです。

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