【ラオス/パクベン・ファイサーイ】川沿いの村、国境の町

戦後復興期の日本

一泊二日メコン川ツアーの夜に立ち寄ったパクベンという村は、ぼくが個人的にイメージする戦後復興期の日本に似ていた。密集している粗末な家々の扉はどこも開け放たれ、夕暮れの炊事がはじまる気配とともに駆け回る子どもたちの声が路地に響く。父は子を原付バイクの背に乗せ、老婆がかまどの火に息を吹きかける。濡れた髪の少女がパジャマ姿で玄関の扇風機で髪を乾かしている。一キロも歩けばもうそこは村の外れだった。村はメコン川沿いにありながら同時に山肌にある。陽が落ちて星が輝き虫が鳴く。ぼくはレストランを選び、そこでバッファローの肉を使ったという Fried Noodle を食べてビアラオを飲んだ。会計した後、店員が小声で何事かをささやいた。「○○ジャ?」
うまく聞き取れなかったので、聞き返すと店員は表現を変えた。
マリファナ?」
なるほど、そういうことか。
「haha, ......no」
最初はガンジャと言ったのだろう。一人者のバックパッカーにはドラッグを売るのがならわしになっているのかもしれない。買う奴がいるから売るのだろう。
いいと思う。多少デンジャラスでもぼくだって未知の物事にチャレンジしたい気持ちはある。危険を犯して、ギリギリを見てみたいと心のどこかでは望んでいる。だってそのために旅をしているのだから。
ぼくがドラッグに手を染めるのを押しとどめているのは理性ではない。倫理でもない。モラルでもない。ただの節約だった。
すでにチェックインしていたホステルに帰り、ひさしぶりの個室でシャワーを浴びて眠った。窓に立てばメコン川が見下ろせたその部屋で、目を閉じても川の流れる音が聞こえたかどうかは、もう覚えていない。

 

文明、非文明

バゲット、目玉焼き、ベーコン、オレンジジュース、コーヒーの朝食を食べ、昼食用にサンドイッチを包んでもらい、再びボートに乗った。この宿に一人旅はぼくだけだった。ぼく以外はペアやグループで旅している西洋人ばかり。西洋人は自然を好む。彼らの口からこれまでどれだけ「nature」とか「countryside」という単語が発せられるのを聞いてきたことか。
日本人はどちらかと言えば都会に憧れを抱く人が多い。韓国人や中国人も比較的そういう傾向にあるし、なんならこの先訪れた各地で出会ってきたアラブ人やアフリカ人もそうだった。
だが西洋人だけは自然に飢えている。そしてそれこそが逆説的に、彼らが根っからの文明人であり、ぼくらがそうではないことの証なのかもしれない、と思った。高いビルや豊かな消費、物質的な暮らしへの憧れを追求している限り、日本はいつまでも「非文明」の側にいる。

 

国境の町

ボートに乗り込んで昨日顔馴染みになった韓国人のカップルと「グモニ〜」と挨拶する。極東アジア人のカップルがいたらほとんどは韓国人だ。一人旅は日本人が多く、女性二人組は中国人が多い。ぼくは韓国人カップルが好きだ。たいてい女性の方が英語が上手でスレンダーで「お見事!」と言いたくなる美人。男性は身体つきはがっしりとしていていざというときは頼りになりそうだが、物腰は柔らかく素朴に話す。彼女はスマイル上手で、彼氏はハニカミ屋。違う種類の笑顔。この二人もそういう典型的な韓国人カップルだった。

昨日に引き続きボブ・ディランを聴いて、その流れで友部正人仲井戸麗市を聴く。ディランの自伝をkindleで再読し、昼食のサンドイッチを取り出す。するとはみ出したレタスがコーヒーの中に落下した。サンドイッチで空腹が満たされず、しばらくデイパックに入れていた食パンを取り出したところ見事にカビが生えていたので、カビが生えていない部分をちぎって食べた。
川の景色は見飽きない。村も何もなさそうなところで袈裟を着た少年たちが川で水浴びをし、川の水で洗髪、そして歯磨きまでしていた。
そして国境の町ファイサーイに到着した。川の対岸にはタイのボートがつなぎ止められ、船首にはタイの国旗が掲げられている。こちら側にはラオスのボートたちが停泊し、ラオスの国旗が掲げられていた。

ファイサーイに何泊するか決めていなかったが、チェックインしたホステルで翌日以降のブッキングが埋まっていたので一泊でタイへと国境を越えた。
国境越えの朝、タイのチェンライへと向かうバスが発車するバスターミナルまでトゥクトゥクで向かっているとき、朝日に照らされたメコン川が煌めいた。そう。思えばラオス旅は、カンボジアからシーパンドンへと越境したその日から今この瞬間まで、最初から最後までメコン川と共にあった。誰でもなくメコン川にぼくは愛着と寂しさを感じてこの国を離れようとしている。トゥクトゥクに途中から乗り込んで、別のバスターミナルで降りて行った半ズボンのドイツ人バックパッカーとはろくに話す時間もなかったが、先に降りて行った彼が囁くように言い残した言葉をぼくはちゃんとメモに残していた。その言葉はぼくだけでなく、その朝どこかの国から別のどこかの国へと国境を跨ごうとしている全ての旅人に向けて囁かれたみたいに、どこか啓示的な響きを持っていた。
"Safe Travel"

(たいchillout)

ラオス編終わり

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