【タイ/チェンライ】伝説のギターリフといくつもの可能性

伝説のギターリフ

ぼくはシャワーを浴びている。もちろん共用のシャワールームだ。一つの部屋の中に電話ボックスのごときシャワーボックスが、三つか四つ隣りあっている。ぼくは自分のいるボックスの中に石鹸と、てぬぐいと、ロッカーキーと、着替えを全て持ち込んでシャワーを浴びている。脱いだTシャツや下着を置く場所などないので、それらは扉の上にひっかけている (トイレの個室を思い浮かべてもらえばいい) 。
ぼくはこの横に長い部屋の中でもっとも入り口に近いシャワーボックスを利用していた。反対側、つまり部屋の奥側にある二つか三つのボックスは、シャワーではなくトイレの個室になっている。それぞれのボックスから出ると目の前は洗面台になっている。
なんてことはない、ホステルやゲストハウスのバス&トイレルームはどこもこれと同じような作りをしていた。暖かいお湯がでるだけここは幾分「ハイクオリティ」だと言えた。

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シャワーを浴びながら音が聴こえる。音楽。バンド演奏だ。ホステル一階のカフェ&レストラン&レセプションで今日はライブイベントが行われている。現地の若者バンドがなかなかいいロックを演奏しているのだ。
Stand by me. All my loving. スタンダードとも言っていいナンバーをぼくは二階の吹き抜けから観ていた。素晴らしい演奏だった。無論、これをタイのチェンライで聴いているという感慨もあっただろう。iPhoneのカメラを起動して動画を撮ってみたが、この感動をインスタグラムのストーリーズで共有したとして、誰一人として伝わらないだろうと思い、やめた。
長いイベントだったのでぼくは途中で観続けるのを終わりにし、シャワーを浴びることにした。洗面用具を取りに薄暗いドミトリーに戻っても演奏は聴こえた。そしてシャワーボックスに入って水が身体を打つ音に包まれても、演奏は聴こえた。

ぼくはシャワーを浴びている。名も知らぬタイの若者が歌う英語のロックナンバーを聴きながら。どの曲もかっこよかったが、ぼくはあるとき、シャワーを浴びながら自分が腰を振っていることに気がついた。
リズムにノッているのだ。ぼくはそれがなんの曲か認識する前にシャワーを浴びながら裸の腰でリズムを取っていた。腰が動いた後にそのことに気がついた。
冷静になって分析すると、ぼくを踊らせたのはその曲のギターリフだった。あまりにキャッチーでクールなギターリフだったのだ。はて、これはなんの曲だっただろう? 絶対に聴いたことのある曲だった。そんなことに頭を悩ませた瞬間、ボーカルパートが始まった。そして隣のシャワーボックスで、同じようにシャワーを浴びていた西洋人男性が歌い出した……。I can't get no…… satisfaction……
!!! サティスファクションだ!
ザ・ローリング・ストーンズ
このときぼくは二重の感動に包まれたのだ。シャワーを浴びるのに集中していた人間を無意識に踊らせた曲、それが『サティスファクション』のギターリフであったこと。ぼくは裸でノッていたのだ。「全てのロックは『サティスファクション』の派生だ」というニュアンスのことを当のキース・リチャーズが言っていたのをどこかで読んだことがある。むべなるかな。まさに本能に働きかけられたかのように、ぼくは腰をクネっていた。極まったギターリフが持つ宇宙的エネルギーを身体で思い知ったその体験に、ぼくは感動していた。
もうひとつの感動は、隣で同じようにシャワーを浴びていた名も知らぬ西洋人男性が、【『サティスファクション』が始まった時だけ】歌い始めたことだ。【『サティスファクション』が始まった時だけ】ぼくが踊りだしたように。彼が口ずさんだのも、無意識だったのではないだろうか。ここはタイで、チェンライの青年が歌う『サティスファクション』を、チェンライの青年が弾くあのリフを、聴いて、日本人のぼくと西洋人の彼がゼロからブチあがるようにして突然最高の気分になった。世界を繋ぐのはロックミュージックであり、世界を最高の気分で串刺しにするのは、キース・リチャーズのギターだった!
その瞬間ぼくは自分が信じていたものの正しさが証明されたことの嬉しさに、叫びだしたいような気持ちだった。

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いくつもの可能性

ラオスのファイサーイから入国したタイ。その北部の街、チェンライのひとけの少ないバスターミナルを囲む屋台の一つでガパオ50バーツ (170〜180円。スープ付き) を食べたとき、あまりの美味しさに泣けてきた。
2018年の7月に始まったこの旅で二度目のタイ。この時点で2019年の1月後半。一度目の入国は2018年の10月末から11月前半にかけてだった。そのときはマレーシアから陸路で入国しプーケットからバンコクまでを渡り歩いた。バンコクからはまたマレーシア方面に引き返し、鉄道を乗り継いでシンガポールまで突き抜けたのだった。
シンガポールから香港に飛ぶことが決まっていたあの時とは随分と気分が違っている今回のタイ入国。やはり色々とやり遂げてきた気分、駒を進めてきた気分があった。モンゴルで出会った友だちと再会できたこともそうだし、ベトナムカンボジアラオスという、どうあっても外せない国々をしっかりと見納めてきた満足感があった。

そしてタイは、極めて旅の難易度の低い国であった。英語が通じて、人が穏やかで、食事は美味しく、気候が良い。交通や通信のインフラも安定している。その上物価が十分に安いときている。大まかなところ以外はこの先のルートもスケジュールも決まっていなかった。まさに解き放たれた気分だ。
ぼくは確かにいくつかの峠を越えてきていた。この先インドや中東という別種の峠が控えていたが、それについてはまだ考える必要がなかった。だからこのときは長い旅の中でも最もリラックスしていた時期の一つとして考えて良いかもしれなかった。タイは穏やかで平和で光に包まれていた。

バスターミナルから街中まで五キロ歩いてクレジットカードでホステルにチェックインした。ホステルの一階はレストランになっておりライブスペースに楽器がセッティングされている。どうやら今夜ここでライブイベントが行われるらしい。
街中に出てセブンイレブンの自動端末で、SIMカードにバーツをチャージする。以前の滞在でSIMカードを買っていたものがそのまま使えた。そしてその夜、ぼくは『サティスファクション』を聴いて裸で腰をクネらせることになる。

そのホステルに二泊して、チェンマイに向かった。チェンライからチェンマイに向かった。チェンマイバンコクに次ぐ、タイ第二の都市だ。そのバスの中でぼくはこの先の旅のプランについて思いを馳せていた。
東南アジアはそれなりに制覇した。バンコクはもちろん、マレーシア、シンガポールベトナムカンボジアラオス。やがてインドに行くつもりだったが、ミャンマーバングラデシュを経由するかどうかが不確定だった。その2カ国間の国境を陸路で越境することが難しそうなのだ。少数民族の問題で対立があるようだった。
ミャンマーからインドに抜けることもできそうだった。インドからバングラに入り、もう一度インドに抜ける手もあったが、一連のプロセスで多くの時間と予算を費やすことが避けられない。
それであればいっそ、タイからインドに飛んだらどうだろうか。バンコクからコルカタへ、格安の航空便があるという。コルカタ。『深夜特急』の読者にはカルカッタという植民地時代の旧名で馴染み深い、あの香港と並ぶ『深夜特急』の聖地だ。
ミャンマーバングラデシュには未練があるが、これまでだって多くの土地に未練を残してきた。モンゴルから行くことを諦めたロシアのウラン・ウデイルクーツクアルマトイから北上するか南下するか迷い、結局行かなかったカザフスタン北方の首都アスタナ。カスピ海ウズベキスタンからの周遊を断念したトルクメニスタンタジキスタン。あるいはマレーシアのボルネオ島西安成都重慶など中国内陸の古都たち。いくつもの可能性を手放し心を残してきた。
それは必然だった。可能性を手放し心を残してくることで、選んだ方の可能性に賭ける気持ちが強まった。旅とはそういうものなのだ。出会わなかった無限の人々とのストーリーをぼくは思い浮かべることができる。それは逆に、あの日あの場所でしか出会えなかった、そしてそれが永遠となった、そんな出会いをいくつも思い浮かべることができるからだ。
いいかもしれない。コルカタカルカッタ。インド。そこに行けばまた、別の旅がはじまるかもしれない。

(たいchillout)

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