【タイ/チェンマイ】旅の星廻り

旅の星廻り

意外かもしれないがぼくはタイでは友だちができない。昨年 (2018年) 11月にプーケットバンコクで累計二週間以上滞在したが、そのときも連絡先を交換したのは確かせいぜい三、四人で、特にバンコクでは終始一人で過ごした。
もちろん、それはそれで構わないのだが、タイでは「出会わない」という謎のジンクスがあることだけは確かなようだった。
この旅二度目の訪泰である今回もそのジンクスは有効だった。チェンライとチェンマイを合わせて六泊過ごしその後バンコクに一泊してインドのコルカタに飛んだ。その間「出会った」と思える出会いは一つも無かった。
長い旅は面白い。国境をまたぐだけで、このようにして旅の星廻りのようなものがガラッと明確に変わることがある。そして一度変わったものはどう踏ん張っても元に戻せないことが多い。不思議なことに。
何もかも上手くいく国、空回りになりがちな国。それを決めるのは国と旅人の相性だと簡単に言い切ることはできない (そのようにして国を嫌ってしまう人々をもったいないと思う) 。ましてや経済レベルでも国民性でも国家としての日本との関係性でもない。
星廻りなのだ。
一度変わった星廻りを元に戻すことはできない (戻せてしまったらそれは星廻りではない) 。散々なときは散々だし、地味なときは地味なまま行く以外に方法は無い。そしてごく例外的に、素晴らしさばかりが続く金色の季節が突然やってくる。

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屋上の月

バンコクに次ぐ第二の都市と言われたわりには、チェンマイはなんとものんびりとした街だった。スケールにしてバンコクの十分の一以下であることは確かだ。バックパッカー向けの宿屋街というのが一箇所にまとまっているストリートが旧市街を外れたところにあって、ぼくはその中の一つに泊まっていた。
月の出ている暑い夜だった。飼い猫なのか、住み着いている猫なのか、とにかく猫を二匹かかえている宿だった。その猫たちが夜はどこで休んでいるのかわからなかった。
ぼくがこのようにして屋上のデッキチェアに寝そべり真夜中の月を見上げているのは、このバックパッカー・ストリート全体が停電しているためだった。屋上にはデッキチェアがある。ソファもある。昼も夜もそこで自由にChillできるようになっているのだが、決して清潔なものではない。
停電するとまずWiFiが使えなくなる。そして扇風機が止まる。エアコンのない部屋で寝苦しかったので、ぼくは消灯後のドミトリーで窓際のベッドに横になり、扇風機の羽音に癒されながらiPhoneからインターネットに接続していた。その緩慢な悦楽が停電により断たれたのだ。

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屋上に出ると涼しい風が吹いていて綺麗な月が出ていた。このときはじめてこの宿だけではなく、ストリート全体が停電していることに気がついた。
シャワーを浴び終え、パジャマと部屋着を兼ねている半ズボンと清潔なTシャツに着替えていたが、ぼくは、首を上に向けずとも月が見れるように、太陽の下で見たときは随分と汚れているように見えたデッキチェアにそのまま寝そべった。ささやかな月光の下ではデッキチェアは新品同然だった。
そのまま数十分をそこで過ごしたときの静かな「落ち着き」を、完全ではないけど、今でも覚えている。その「落ち着き」は日常生活では滅多に出会うことのないものであり、旅をしていても短い旅行であれば一つの旅に一回くらいしかやってこないあの特別な時間だ。
誰でもわかる言い方をするとそれは「非日常」というやつだった (もっともぼくにとって旅は日常であり、旅を非日常から日常に「格下げ」することがこの旅の狙いでもあった。例えば毎日寿司を食べていたら寿司を嫌いになるだろうか。寿司を食べながらラーメンのことを考えたりするようになるのだろうか。好きだから食べ続けるのはバカな行為だろうか? ぼくにとって旅は寿司であり好きなものがどれだけ好きなのかを追求する度胸試しがこの旅だった) 。
あるいは風呂上がりの夜風というものは、それだけで非日常の一要素でもあるのだが。

ストリート全体に通電し、近隣のホステルで歓声があがった。
街に明かりが戻ったことで月の魔力は後退し、非日常の時間も終わりを告げた。
ぼくはiPhoneWiFiに繋いで扇風機のある部屋に引き返した。その瞬間、旅という日常が戻っていた。

このチェンマイでぼくは四枚の航空券を同時に買うという大きな決断をした。これは四ヵ国先までの渡航スケジュールが確定したことを意味する。

バンコクからインド (コルカタ) へ。
インド (コチ) からモルディブへ。
モルディブからスリランカへ。
そして、スリランカからオマーンへ。

合計61,120円。最初の一枚目のフライトは三日後だった。

(たいchillout)

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