【インド/コルカタ】二つのアライバルビザ

2時間35分

コルカタ行きのAirAsiaの機内で隣り合ったのは、インド屈指のIT都市として名高い南部のバンガロールからきたタイ旅行帰りのインド人男性だった。奥の座席に通してもらうためにぼくが「Excuse me」と声をかけると、彼は座席の肘掛に乗せた両手の力だけで自分自身の体をひょいと持ち上げて、手の力だけで全身を四分の一回転させた。そうすることで通路側に両足を移動し、ぼくが通り抜けるためのスペースを空けた。機内では『Into the Wild』という英語の本を読んでおり、独特のちかしさがありながらインテリジェンスを感じさせる男だった。もっとも時間帯はすでに深夜零時をまわっており、知られざるインド大陸に向けてせめてもの鋭気を養っておきたかったぼくは、彼に深く関わろうとはせず、機内の消灯を待って早々に目を閉じた。フライト予定時間は2時間35分 (RCサクセションだね) 。定刻を大幅に過ぎて出発し、たしかコルカタ時間の午前二時過ぎに到着した。バンコクコルカタには一時間半の時差があった。日本とコルカタの時差は三時間半。余談だが、この旅はひたすら西へ向かう旅であったため、旅路が進むにつれて段階的に日本との時差が広がっていく体験をした。それはヨーロッパまで行っても終始時差ボケ知らずの旅ができた点でまず健康的で良かったし、時差を貯金のように積み重ねることは、前進している「感覚」を忘れさせずにいてくれて、長旅においては大切なモチベーションになっていた。

 

コルカタ空港のアライバルビザ

コルカタ空港に到着した。眠気というか、身体に無理をさせている感じはあった。だがぼくにはやらなければいけないことがある。それはアライバルビザを取得することだ。
日本人がインドに入国するにはいかに短期間であろうとビザが必要である。これまで滞在した国でビザを買ったのはカンボジアだけだった。それ以外の国は、それぞれ期間は違えど、一定期間内であればビザがなくても滞在できた。
インドの観光ビザは三つの方法で手に入る。一つは事前に日本にあるインド大使館などを通して手に入れること。これは日本にいないぼくには不可能だ。もう一つはeビザというやつで、インターネットで事前予約のようなことができるらしい。だが、ぼくはそれもやらなかった。インド行きを決めてすぐに直近のチケットを買ったためにeビザ発行までの日数が足りなかったのだ。そのために第三の方法、「アライバルビザ」で入国することになった。アライバルビザとはその名称の通りアライバルしたときに空港で購入するビザだ。インドがアライバルビザを許している国はそれほど多くないため、一般的な方法ではない。また、どこの国でもアライバルビザというモノは情勢に左右されやすく、なんなら担当者のさじ加減にすら左右される。早い話がリスキーであり、心配性な人はググればググるほどやめたくなってくるはず (もっとも今の時代なにごともググればググるほどやめたくなるのでググりはじめたら物事は進展しないと考えた方がいい) 。
事実この日のこの便の乗客で、アライバルビザの手続きをしたのはぼくを除けば他にはただ一人しかいなかった。

 

民族判定

イミグレから少し離れた場所に、それぞれ「e-Visa」「Visa on Arrival」と銘打ったカウンターがある。乗客のほとんどは直接イミグレ方面に出向くインド人だ。一部に「e-Visa」のカウンターに歩み寄りスムーズにパスしていく外国人がいる。ぼくは誰も寄り付かない「Visa on Arrival」のカウンターで待機しているインド人 (当たり前だ) に「アライバルビザはここか!?」と形式的な質問をした。想定通りにインド人はとある方向を指差し、「あそこでカードに記入してもってこい」と言った。
こういうことはわかっていても人に訊くことがコツだった。ダブルチェックのためではなく、いったん自分に注意を向けさせることが大事なのである。こうしておくことで、イレギュラーな事態が発生したときにどうしてだか気にかけてもらえるようになる。「なんだか知らんがあいつは必死になっている」。こういう漠然とした感覚を認識してもらうのだ。これがいざというときに効いてくる。
離れ小島のようにカウンターの前にカードの記入スペースがあった。ぼくは機内に丸ごと持ち込んでいたバックパックをベンチに置いたまま小島に歩み寄り、カードの記入をはじめた。
気がついていたのは、ぼくの後に同じように「Visa on Arrival」のカウンターに一声かけたアジア系の女性がいたということだった。女性はやはり同じように指示を受けたようで、ぼくの正面にやってきて、同じように記入例を見ながらカードの項目を埋めはじめた。
顔立ちは日中韓のどれかに見えるが、民族判定の経験をそれなりに積んだぼくでもそのどれなのかが判別がつかなかった。
その風采は独特でインパクトがあり、それがなおぼくを混乱させた。
まず第一に日焼けなのか本来の肌の色なのかわからなかったが、日本、中国、韓国の女性にしては肌が小麦色というか褐色すぎた。そのためにぼくは女性がタイ人である可能性についても一度は考えた。
服装は、旅慣れた──それどころか旅疲れすらしている様子のある見事なバックパッカースタイルだった。この人は旅を抜けだせず何年も旅を続けてしまっている種類の人かもしれない。肩ベルトを伸ばしてリュックを低い位置で背負い、ショールのようなものをまとっている。全体的にベージュからブラウンのトーンで統一されており、上下ともにゆったり袖口の広がった締め付けのない服を着ている。ほっそりしていて黒髪の頭は雑なお団子。姿勢が良いところも含めて少し浅田真央なんかに似ているかもしれない。そしてまったく化粧をしていない様子だった (もっともインド行きの深夜便だし、これでいいのかもしれない)。
中国人の若い女性はもっと観光客らしいレディーな身なりをしていることが多いし、韓国人女性はなんといっても美白への意識が高いイメージがある。アジア人女性のソロトラベラーは日本人に多い。日本人にしては肝が座りすぎている印象があったが、それでも日本人の可能性がギリ高いと踏んだぼくは、なかなかその女性が気になって、タイミング良くその手元にパスポートを広げたところを目の端で捉えることができた。それは韓国のパスポートだった。

 

答えを知っている

「はぁ〜〜ぁ」
女性は声を出して大きなあくびをした。ぼくがパスポートを覗き見たことは気づかれなかったようだが、そのあくびはまるで自分以外誰もいない自分の部屋でしたあくびみたいにボリュームのある立派なあくびだったために逆にぼくという存在を正しく認識しているようにも感じた。
声をかけようか迷ったがやめた。このときは。
ビザ申請書を記入し終えたのはぼくが先だったが、担当官に提出し、代金をクレカで決済したあともしばらくベンチで待たされた。なぜ待たされるのかわからなかった。離れたベンチに空港のスタッフらしきインド人女性が二人座っており、そのうちの若いひとりが泣いていた。その理由もわからなかった。もうひとりは年配の女性で、泣いている女性の肩を抱いていた。なにかトラブルがあったのかもしれない。それ以外は静かだった。やがてコリアンガールは記入し終え、ぼくの目の前で担当官に提出し、いくつかのQ&Aをこなした。一連はぼくとまったく同じ手続きだった。
さて、ぼくの番がもう一度まわってくるはずだ。そして女性は長らく待たされるのだろう。と思いきや、コリアンガールの手続きを終えた担当官はそのままぼくの方を向いて手招きし、「ついてこい」と言った。ぼくたちは一緒にカウンターを通された。
どうやら別室に移動し次なる手続きが行われるようだった。二人を個別に案内するよりも、待たせといてまとめて片付けてしまおうという魂胆らしい。
担当官はがらんとした通路を足早に進み、置いていかれまいとしているぼくたちがいる。午前三時。空港は静寂で周りには誰もいない。他の乗客はとっくに入国しているのだ。さんざん疲労が溜まっており、この人にあえて積極的になる気もなかろうと一度は決めたことだが、このシチュエーションでむっつり黙りこんでいるのはさすがに旅人として、あるいは男としてもいけ好かないように思えた。逆に言えば、レディーに気やすく声をかけることの許されるお膳立てなり大義名分なりがいま完璧に整っていた。
ぼくは勇気をだして質問した。
Where are you from? その答えを知っていることは秘密だった。

(たいchillout)

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