【インド/コルカタ】コルカタからカルカッタへ

インドの噂

とりあえず街の真ん中まで出ようと決めて、ひたすら歩き続けた。ぼくの見立てでは四から五キロの距離だと言うと、実質的に徹夜明けのイェジィはそのくらい歩くのは全く問題がない、「行こう行こう」と言った。
バックパッカーにとってインドはやはりどこか特別で、ぼくも大いなる期待と同時に不安も抱えていた。カンボジアで会ったカズキは、デリーで親しくなった日本人に連れていかれた飲食店で大量のマリファナ入りのラッシーを飲まされ(もちろんマリファナ入りだなんて知らずに)一週間ホステルでダウンし生死の境を彷徨ったらしい。カズキは他にも、数百円のはずの鉄道のチケットを一万円以上の価格でインド人に騙されて買ってしまうなどといった、幾多の笑い話もとい武勇伝を語ってくれた(当時彼は十八歳だった、よくやったと思う)。新疆ウイグル自治区で出会った東大の博士を修めたSくんはインド北西部の街で野良犬に噛まれた。偶然近くにあった日本人宿のオーナーに病院を紹介してもらえたからことなきを得たものの、それが数時間だけ遅くなれば致死率百パーセントの狂犬病が発症していた可能性が十分にある状況だった。カザフスタンで会ったロシア人のマークはインドを「他のすべての国と違う」と言った。ウランバートルで会った二年の旅を続けているアメリカ人のトムに、トムの考えるBest Countryを訊いたら迷うことなく「India. Everything is cheap...」と言った。誰しもの発言・助言も深夜特急で描かれた旅の山場としてのインドのキャラクターイメージを支えた。とにかくインドは刺激的で危険で、常識が通じず、汚くてヤバイ(でもそこがいい)。だから冒険心を暖めながらも、ぼくにしては珍しくネットで最低限のリサーチを行うようなことまでしていた。
だが、ホステルから出て地図アプリを参考にゆらりと歩きはじめると、その景観には考えていたほどおそろしげな印象を持たなかった。詐欺師も見かけないし、汚らしさも旅の基準では平凡なレベルで、言うなれば「普通にきたない」くらいだ。それはここが郊外住宅地だからだろうか。多くの集合住宅が広めの区画に適度な間隔で立ち並び、謎感が漂うショッピングセンターも近くにあった。ともあれそれはショッピングセンターだ。イェジィとぼくはやはり同じ感想を持ったようで「なんだインドって綺麗じゃん?」と話していた。

 

ココナッツジュース

歩きはじめて早々に、リヤカーを押したココナッツ売りからイェジィはココナッツを買った。
ココナッツ売りの男性は、オノともナタともつかない大きな刃を右手に持ち、左手に掴んだココナッツにおもいっきり振り下ろした。それが左手そのものにヒットして鮮血の飛沫、なんてことはもちろんなく、三、四回カットすることで綺麗な多角形がココナッツの実にくり抜かれる。ストローをさした実を丸ごとイェジィが受け取った。
草むらにはウィスキーのショットサイズのいくつものチャイのコップが粉々になって捨てられていた。粉々のバリバリだ。「なんでコップをこんなふうにしちゃうの…」とイェジィは悲しそうに言ったが、ぼくは深夜特急で読んだエピソードが目の前で再現されていることに感動を覚えていた。本当にインド人はチャイを飲んだコップを地面に投げつけるんだ…。物に溢れた国でないはずなのに平気で粗末にするのは不思議だが、あのコップの原価は実質的にゼロに近いと考えられる。素材はどうやら土らしいので、土に還すという風にとらえると考え方としては間違っていない。考え方としては。

 

早合点

ついに街の中心にやってきたと思ったのだが、どうも活気が足りないような気がする。事前知識がなければこういうものかと納得したかもしれないが、深夜特急コルカタは特に熱狂的でカオスな、常に何かが起き続ける場所として描かれていたのでどこか釈然としなかった。五キロはゆうに越していた。
その原因は判明した。ぼくが街の中心の場所をすっかり誤解していたのだ。地図アプリ上では、現在ぼくらがいる地点には旧宗主国イギリスによる都市計画の痕跡を思わせるデザイン性の高い大広場が位置しているように描画されており、その類の広場は常に街の中心にあるものだとぼくはこれまでの経験から決め付けていた。しかしそれは早合点だった。どうやらここにあるのはただの運動場と駐車場を合体させたらしき砂地であり、確かにこの地点から円環状かつ放射状に計画的な街路が敷かれているが、街の中心はもっと西側にあった。ここからさらに五キロありそうだった。
失態をイェジィに打ち明けると気を悪くした様子はなかったが、とりあえずこの辺りで昼食を食べようという話になった。食べ終わったところで、イェジィはリキシャでホステルに戻ることを選び、ぼくは意地でも街の中心まで行くことに決めた。

 

バスで寝てそして

地図アプリでアタリをつけたのか、イェジィと入った食堂に勤めるスタッフの男やリキシャのドライバーから聞き出したのか、あるいは両者の情報を組み合わせたのか正確なところは忘れてしまいメモにも残っていないのだが、ともかくぼくは市内を走る路線バスの詳細を確認できたので、イェジィのリキシャを見送ってから、それを掴まえて乗ってみることにした。532番のバス。運転手とは別に客の呼び込みや集金を受け持つ青年が乗っており、ぼくが彼に徴収されたのは10ルピー(16円)。ドアは常に開け放たれており、青年はバスが走り続けている間もそこからずっと顔を出して街行く人々に気前のいい声かけをしていた。一月末のコルカタは乾季で、ちょうどいい小春日和だった。ぼくはあろうことか路線バスの中で寝てしまった。初めての国の初めての街でこんなことは初めてだ。目が覚めたときにはバスは市の中心部に差し掛かっており、喧騒の高まりが感じられた。人と商売の集まる気配。それを感じとったとき、この日一番の高揚感がみなぎることを自覚した。
紛れもないそこに、あのカルカッタがあった。

(たいchillout) f:id:taichillout:20200505233549j:plain