【インド/コルカタ】商談の失敗

インドと内需

「Sorry, very hungry」と言って泣きそうな顔でぼくに手を差し出す女性。手押しのリキシャの男は呼び鈴がわりに手で鈴を持ってそれを打ち鳴らす。ポットを持ってチャイを売り歩く男。駆け回る子どもたちの中に長い髪がウェーブしているひときわ美しい少年がいて見惚れていると、目があった途端あっという間に標的にされて子どもたちに取り囲まれる。ボウルを差し出して金を入れろとねだるだけでなく、隙あらばリュックやポケットに手を突っ込もうとベタベタ触ってくる。なんとかあしらうとすかさず中年のおじさんが近寄ってきて言う。「あーいうやつらは強引に振り払わなきゃだめだ。ところでハシシいるか?」

昼過ぎから暮れるまでひとりでコルカタの中心部を歩き回って夜にS12番のバスでホステルまで戻ったときには、イェジィは電気のついたドミトリーで爆睡していた。バスの運賃は11ルピーだと言われたが小銭が1ルピー足りず、大きいお金を出そうとすると10ルピーでいいと言われた。ぼくの泊まっていた地域は市街から離れた、いわゆるニュータウンだった。そこに帰れるバスの発着場所を大型ロータリーの近辺で訊ねて歩くのには時間がかかった。なぜだか冷たい人が多かったのだ。とはいえ何人目かでやっと出会えた親切な男性は、ぼくのために正しい行先のバスを一緒に待ってバスを呼び停めてくれるところまで付き合ってくれた。

コルカタの活気に飛び込んで感じたのはインドに内需の力があるということだ。莫大な人口を抱える国は国内だけで多くの産業が成り立つ。つまり内需が存在する。日本の商品開発やサービス開発が戦後から急速に国際競争力を獲得したのも国内に圧倒的な市場が存在したからに他ならない。自国民から吸い上げたマネーで企業は成長し、自国企業と切磋琢磨して自国民の要求に応えて企業は成長する。内需のある国は、母語だけで商売ができるので多言語化の必要がなく、英語が通じないのですぐにわかる。中国や日本がそうだ。そして内需の強い国は、旅先として純粋にぼくの好みだった。自国民だけにセグメントされた商品なりサービスは、多くの場合、外国人にとっては奇妙でユニークな発展を遂げている場合が多い。グローバル化の暴力から無傷であり、国際標準からの逸脱を平気な顔して受け入れている。インドではチャイ文化がまさにその代表だろう。内需の強い国は見応えがあるのだ。

ホステルに着いたときはぼくもあまりに疲れていたので、一度ベッドに横たわると二日もシャワーを浴びていないのにそのまま寝てしまう。電気がついたままだ。消したい。しかし意識が半覚醒状態であっても身体がついていかず起き上がることができなかった。夜中になって、ベランダでタバコを吸いにきたカート・コバーン似の西洋人男性が電気を消してくれたのが霞んだ視界の端に映った(彼は別の部屋だったらしい)。

 

商談の失敗

翌朝、イェジィとペイと部屋で話す。韓国でも中国でも、インドはやっぱりちょっと変わったやつが行くところという位置づけのようだ。日本もそうだよ、みんな同じだねという話をする。やがて三人で連れ立って近くのショッピングモールを徒歩でハシゴし、ぼくの希望でカフェで朝食をとる。サンドイッチとラテで404ルピー。イェジィがケーキを分けてくれる。韓国人のイェジィと中国人のペイと日本人のぼくの三人で歩いていると、やっぱり極東の三民族であるぼくらは仲間だなあと自然に思えてくる。少なくとも、三人は旅という同じ思いを抱いてはるばるインドまで来ている。彼らはぼくにとって、同じ思いを抱いていない大勢の日本人(なんてつまらない問題にあの人たちは日々一生懸命になっているのだろう?)よりも、共通点があり話題にしたい関心事も重なっている身近な存在なのだ。
ホステルに戻り、ペイとは別行動となった。ぼくは洗濯物をスタッフに預け、久しぶりのシャワーを浴びる。すっきりとした気分になり、鼻歌を歌っているイェジィからクラシックギターを貸りてリビングルームでポロポロと爪弾く。スピッツの『ロビンソン』のイントロを弾くとイェジィがぽつりと「ビューティフル」と言った。

二人で外出。金額次第ではタクシーで街中に行ってみようという話になる。大通りを歩いているときに擦り寄ってきた一台とさっそく料金交渉に入るが、City Center(街の中心)に行きたいと言うとまさかの350ルピーだと言われる。バスなら15ルピーにもならないはずなので「じゃあいいや」と窓から首を引っ込めると、ドライバーはおい待てと譲歩の姿勢を見せる。意見を求めようと斜め後ろのイェジィを振り向くと強気に「200ルピー」と言う。ドライバーは呆れかえる。やってられんと言う顔をして今にも車を発進させるアクションをとる。しかし発進しない。実際は呆れたのでも怒ったのでもなく、これも「商談」の一部である。あとはどこを着地点とするか。セオリーではお互いに多少の妥協が望まれるが、ぼくらはダメで元々、半分は相場感を探るつもりで商談の席についていた。そのうえバックパッカーには限りない時間がある(その点、見所を廻り切るために常に時間効率を意識している短期旅行者とぼくらは全く別の生き物なのだ)。イェジィが提示した200ルピーでも高いくらいだったのでぼくは落とし所が「交渉決裂」であっても納得の気構えで、200を主張し続けた。「この度はご縁がなかったということで」というわけだ。だが、それが意外にも可決されてしまった。
ひょっとして適正価格を下回っているのでは? 立場の違いにつけ込んで、不当な値付けをすることまではしたくない。複雑な気分が駆け巡ったが、それでいいと言うのだから今さら断るわけにもいかなかった。気が向いたらチップでも渡そう。そう考えて後部座席に乗り込んだ。イェジィはあらためて「City Center」と言い、ぼくは念のため地図を広げて大雑把に街の中心を指差した。

しかしこれが失敗だった。ドライバーは見るからに機嫌を損ねており、運転も荒く、接近してはギリギリのところでお互いをかわしていく他の車への罵詈雑言が途絶えない。
悪い予感は的中した。「到着したぞ」と言って下された場所は、コルカタの中心からは程遠いCity Centerという名の駅の前だった。
「CityのCenterじゃない場所でなんでこんな駅名つけるの? やる気あるの?」と行政だか鉄道会社へ怒りを向けるべき選択もあるが、まずはぼくらは「ここじゃないんだ。こっちに行ってくれないか」と穏便に間違いを指摘した。しかしドライバーはつっぱねた。
「は? City Centerって言ったじゃねえか。見ろ。あれがCity Centerだ」
そう言って駅を指差す。「ほれ、200ルピーだしな」
やはり、強引な値引き交渉が良くなかったんだ……。ぼくはまずそう思った。おそらくドライバーはぼくらの真意を本当は理解していたはずだ。だが、一度は受け入れたものの百戦錬磨のドライバーである自分が、奇妙な平べったい顔をしている極東の若く軟弱そうな観光客に完璧なディスカウントを決められたことへの腹の虫は治らなかった。それで敢えてはじめから誤解していたフリをしてこっちのCity Centerにハンドルを向けたに違いない。
ぼくには後ろめたさがあり、彼の心理をそのように分析した。厄介な問題になったと思ったが、イェジィの気持ちをまず優先したい。イェジィがあっさり諦めるならぼくは闘わないし、イェジィが折れないならぼくは参戦しよう。
イェジィはキレた。
ドライバーは、近くにいたがっしりしているが穏やかそうなインテリ風のインド人男性を引っ張ってきて彼にヒンドゥー語で状況を説明し加勢してもらおうとするが、イェジィもその彼とドライバーに自分たちに非がないことを英語でまくし立てる。この凄さは実際に目の当たりにしないとわからないかもしれないが、「英語でキレる」ってのは相当すごいことだ。マシンガンのように言葉を放ち言葉の物量で(※論理を保ったまま)相手を圧倒するというのは母語であってもなかなかできることではない。それを異国の地で異国人を相手に第二言語でやってのけるイェジィを見てぼくは、部活の先輩が圧倒的なテクニックを披露するのを見ているような気分になった。尊敬、ってやつだ。
インテリ風男性はあくまで中立の立場から仲裁を試みようとしていたが、やはり次第にドライバーのペースにのまれつつあった。論点は「満額の200ルピー払うべきか」というところに絞り込まれ、ぼくはインテリ風男性に値引き交渉の経緯とドライバーがわざと間違えたらしいことを伝えた。イェジィのスピーチはその点には触れずに「間違った場所に連れてこられた」ことをあくまで主眼としていたからだ。インテリ風男性はドライバーの言い分を否定しないが、ぼくらが悪意を持って安く街中まで行こうとしているわけではないことも痛いほど理解している。優しい性格が災いしてほとほと困り果てている彼がしまいには一番気の毒だった。ドライバーの激昂もおさまらない。ついにはイェジィが幾ばくかの紙幣をドライバーに渡すのをぼくは見届けた。

まだ怒鳴っているドライバーを背にぼくらは「こんなのは屁でもないぜ」という顔をしてその場を離れた。十分に距離をとってからぼくは財布を取り出しイェジィにタクシー代の半額の100ルピー札を渡す。イェジィは言った。
「え? なんで?」
「だって200ルピーだろ?」
「違うよ。わたしあいつに100しか渡してない」
「Really!?」
ドライバーがまだ怒り続けていたのはそういうことだったのか。
それにしても肝のすわったレディである。そして大人だなあと思う。ぼくが見ている前であれだけキレたのに(その間ぼくはほとんどボケっとしていたのに)、その直後でもぎこちないところは何もない。自然でフレンドリーでマイペースだ。日本人だとなかなかこうはいかないのではなかろうか。
その100ルピーをぼくに返そうとするので、ぼくは「いらんいらん」と受け取らなかった。するとイェジィは「じゃあこれは夕飯の分ね」と言って自分の財布に仕舞い込んだ。
地図アプリを開くと街中まで六キロと出ている。このくらいの距離ならイェジィは歩くと言うだろう。ぼくらはそうやってすでにお互いのことを理解しはじめていた。このインドという大国の入り口に居て、お互いが唯一の同士であることに、もう疑いはなかった。

この後、我々は街中で二つのミッションにかけずることになる。一つ目はインドのSIMカードを買うこと。これが諸々の事情によりなかなかの難関であるとの噂だ。
もう一つはイェジィのためのゴア行きの鉄道チケットを手に入れること。イェジィは次の目的地として、当初のバラナシを取りやめ、コルカタからはほとんどインドの裏側にあると言っていい南西のアラビア海沿いにあるゴアを選んだ。海洋国家としてのポルトガルが世界を股にかけた時代、東洋覇権の拠点として栄えたあのゴアだ。今はインド有数のビーチリゾートになっているらしい。
そこまでは車中で二泊以上、三十数時間に及ぶ鉄道の旅になるという。

(たいchillout)

f:id:taichillout:20200530164406j:plain