【インド/コルカタ】シールダ駅とハウラ駅

シールダ駅まで・パーソナルスペース

街中まで六キロを歩く過程でぼくはマフィンを、イェジィは餅のようなものを買い食いして、それを昼食とした。ぼくはマフィンを食べ切ってしまったが、イェジィは餅を分けてくれた。この人はなんでも分けてくれる。世の中には食べ物を手に入れたときにどんなものでも必ず分けてくれる人がときどきいるけど、イェジィはそういう人だ(食いしん坊ほどそういう傾向にある気がするけど、なんでだろう? やっぱり食べ物への愛かな?)。
二人はぺちゃくちゃ喋りながら歩いているわけではない。初めての道だし、なにぶん景色がカオスなのでどちらかと言えば見る方に忙しい。見たものに反応してどちらかがボソッと声をかけることが多い。
例えば小学校低学年くらいの女の子がハイヒールを履いているのを見たイェジィが「ねえあれ」と言った感じでぼくにそちらを見るように促す。ぼくは「ほう。ハイヒールやんけ」といった顔をする。するとイェジィは「いいねー」と目で追ってから最後にボソッと「I like India.」と言う。ぼくは一言「うん」と言う。そしてまた歩き出す。

曇り空が暗くなる頃にシールダという鉄道駅に到着した。大都市を繋ぎ、田舎へと葉脈を広げる、いわゆるターミナル駅。どこかからきてどこかへ向かう人がこれほどいることにインドという国のスケールを体感する。駅舎へのいくつかある出入口はどれも迷路のような露店街へと繋がっているようであるため商人が多い。長距離を移動するのであろう大荷物を引きずったインド人家族も頻繁に見かけるが、彼らは構内のあらゆる壁際で夜行にそなえて寝ている。だが、ぼくらのように切符を買いに来たはいいが不案内なため手当たり次第に窓口をあたって彷徨っている人がいちばん多そうだ。しかしそんな彼らも皆インド人。バックパッカーはほとんど見ない。
総じてカオスっぷりは新宿駅以上だとぼくは思った。その原因は、日本の通勤ラッシュと違って、コルカタでは駅にいる人々の駅にいる目的や忙しさがみんなバラバラで往来に秩序がないことにある。あと全体的に視界が茶色い。
しかもインド人は他人と接触することに抵抗がないのでどんどんぶつかるし、どんどん押しのける。気が立ったときの日本人みたいにいかにも身体を緊張させてドカンと押しのけるのではなく、ヨイショという感じて牛を誘導するみたいに人間をどかす。なぜだか知らないけどぴったり横とか後ろに立っていたりすることもよくある。もちろんスリとかではない(ぼくはこの旅で一度もスリにあわなかった)。言うまでもなく、「ソーシャルディスタンス」なんてギャグにしかならない。ぼくはいっぱしの東京都民であり、その中でも特にパーソナルスペースに過敏な人間だったと思うけど、こういう場に身を置くとやはり考え方もときとして柔軟になる。「パーソナルスペースに過敏である自分を守り抜いて、それがいったい何になるんだろう」と冷静になれたり、さらに一皮向けて「パーソナルスペース云々とか言ってるのってなんてダセえんだろう」とひとまわり器が大きくなっていく場合だってないことはない。同じように新宿駅で揉まれてもこうはならないだろうから、やっぱり旅は人を成長させるってのは本当なんじゃないかな。ぼくが思うに、こうした「考え直す」っていう行為を日常的なルーティンの中で推し進めていくにはやっぱり限度がある。

イェジィはあらゆる窓口に明日のゴア行きの切符を尋ねてまわったが、ものの見事にたらい回しにされ、最後には駅舎という名のダンジョンのずいぶんと奥の方の事務室で船乗りのような体躯の駅員に「この駅では買えない。向こうのハウラ・ジャンクション駅に行ってくれ」と言われる。シールダが新宿駅ならハウラは東京駅だろうか。コルカタは大都市なので巨大ターミナル駅がいくつかあるのだ。
船乗りはぼくらに出身を訊く。「コリア」「ジャパン」とそれぞれ答えると船乗りは「コリアとジャパンか。ふむ。グッドウェディング」とひどく満足そうに言ってぼくらを見送った。時によってはぼくらも笑って「いいかい、船長。うちらはカップルじゃないんだ」と訂正しただろうし、元気が余ってれば二人の間に気まずい空気が漂ったかもしれないが、幸か不幸か我々にそんな余裕はなかった。この人なんか言ったような気がする。くらいの曖昧なテンションでぼくらは踵を返して駅を後にした。もちろん、イェジィはぼくが東京に彼女を置いてきていること知っている。

 

ハウラ駅まで・SIMとカレー

もう日が暮れていたが、ハウラ・ジャンクション駅に行くことにする。イェジィはなるべく早く切符を確保したいし、ぼくはそれに付き合う。それとSIMカードも欲しいので、ハウラまで歩きがてらSIMを探し夕食をとることに方針を定める。イェジィはまたココナッツを買って異国風のメロディを鼻歌でハミングしながら、ぼくの前を歩く。この街では横並びで歩くことは不可能だ。
夕飯はカレー屋に行った。ここにきてぼくはインド初のカレーを食べたことになる。チキンカレーとベジタブルカレーの二つのルーを選び、日本では「ナン」と呼ばれている「チャパティ」をいくつもおかわりする。それで二人で150ルピーだった。250円に満たない。チップで30ルピーを追加し、店を出た。
実はそのすぐ側でぼくらはSIMカードの購入に成功していた。インドのSIMカード事情には諸説あって、最も有力だったのが購入してから本人確認をし実際に使用可能になるまでに(いわゆるアクティベート完了までに)一週間かそこらかかってしまうという説だった。ドミトリーメイトのペイもそう言っており、ほとんどぼくと入れ違いにデリーでインド旅を終えようとしていた広州のセンからの事前情報もそれを裏付けた(だからセンはデリーのゲストハウスに使い終わったSIMを預けて引き渡そうかと提案してくれた)。
だがぼくとイェジィはその瞬間から使えるSIMカードをあっさりと買うことができた。推測だが、法的にはインドでアクティベート無しの(あるいはアクティベート済の)SIMを販売することはNGなのだと思う。センはガッツリと一ヶ月くらいの旅をする人だが、考えなしにその国に行ってしまうぼくやイェジィと違ってとても上手に勉強していくタイプだ。ペイもおそらくそうだろう。だから彼らはSIMの買い方を「知っていた」。知っていたからこそ手筈の違いなくSIMを手に入れることができたが、ぼくらは知らなかったからこそ(ある種の)手筈をスキップすることができた。
ぼくらの買ったSIMに値段はあってないようなもので、価格交渉は「完勝」とは言えない形で決着したが、それでも今回のように通説を突き破って「なんとかなってしまう」ダイナミックな躍動が現地でのアドリブにはあるから、ぼくたちはぼくたちの旅のスタイルを変えないのだろう。

時間は押しに押していたので結局ハウラまでタクシーに乗った。イェジィが懲りずに値引きをした今回のタクシーは正しくハウラに到着したが、規模感ではシールダを上回るその駅でも明日のゴア行きのチケットは買えなかった。明日になれば買えるかもしれないと駅員は言った。要するに当日券だ。
イェジィはやむ終えずそうすることに腹を括り、疲労困憊の我々は駅前にプリペイドタクシーの乗り場を見つけて、棒のような足でその行列に並んだ。タクシーの待ち時間にぼくはこの日のことを簡単にメモにとった。

タクシーがホステルのあるニュータウンに差し掛かって、イェジィにゆすり起こされたとき、ぼくは自分がどこで何をしているのか一瞬わからなかった。寝てしまったのだ。ぼくは慌てて地図アプリを起動し、「二つ目のブロックを右折して…」とドライバーに語りかけた。一日の記憶と、旅の最中であるという記憶が、自動で組み上がるパズルみたいに脳内で蘇った。

(たいchillout)

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