【インド/コルカタ】アポールさんへのビデオレター

帰りたいと言える季節

ペイは前日にバラナシへ旅立っていた。SIMを手に入れたと連絡したセンから朝起きると返事が届いていて、バラナシの環境は「not good」だから覚悟しとけというメッセージが添えられていた。「bad」じゃなくて「not good」とオブラートに包むところがあの人らしい。カート・コバーンに似た西洋人男性は、ベルギー人で名をミカエルというようだ。金髪を肩まで伸ばし、自然な無精髭にもなんとも言えない色気がある。背丈も肩幅もぼくよりもひとまわり大きいが、動作も語り口も森の湖のように落ち着いている。その中に旅への静かな情熱と、人への静かな誠実さを燃やしている。まさにミカエル(天使)という名に恥じない、果てしなくいい男だった。イェジィはこの日、当日券でゴア行きの鉄道に乗るつもりでいる。ぼくは宿をここから市の中心に移すつもりでいた。Booking.comで探す限り、中心部には衛生やサービスの質が見込める好条件の安宿がなかったが、「好条件」を捨てても中心部に滞在してみたいと思った。
昨日の疲労もあるのでごろっとした午前を過ごしていると、荷物支度のイェジィが思わぬことを言った。
「タイに帰ろうかな……」
あまりにぼくが耳を疑った反応をしたので、イェジィは困ったように笑い「バカなことだと思う…?」と聞いてきた。よくよく話を聞くと、この人混みのコルカタ・混沌のインドであらゆる物事がスムーズに進行せず(空港のぼったくりタクシー値引き失敗City Centerチケット買えずじまいのたらい回し…)、意外にも参っているらしい。ストレスを表に出さない人なのだろう、ぼくはイェジィのそんな精神状態を全く関知できていなかった。「インドこわい」と言った。
三ヶ月過ごしたタイの離島でのボランティア生活が素晴らしかったということは以前から話の節々でうかがえた。海に自然。子どもと動物。伸び伸びとしている素朴なものが好きで、それらに取り囲まれて自分も素朴に伸び伸びとなりたい、この数日でぼくなりに把握したイェジィの「性(さが)」はそうしたものへあくなき追求心だった。産業社会に背を向け、野と一体になる。同じ志を持った仲間と共に。まさに古き良きヒッピードリームの求道者がこの人だった。
そしてタイにはそれがあったのだろう。肝が座っているように見えてもイェジィの旅はまだ二カ国目だ。そのギャップに苦しんでいてもおかしくない。いや苦しむ方が自然だ。ぼくだって身に覚えの一つや二つある。それでも、帰りたいと言える季節があることは素晴らしいことではないだろうか。今よりも過去が輝いて見えるというのは、とても柔らかな感情の在り方だとぼくは思う。「今の自分」の正しさを肩肘張って自分に信じ込ませようとしていては、そうは思えないだろうから。

それは一種の弱音だったのだろう。ぼくが楽器を両手に持って見送りに行ったバス乗り場でのお別れのときは、イェジィは「ゴアに行く」と言っていた。ぼくは宿を変えることを伝え「チケット買えなかったらこっちに来なよ」と言ってその宿の名を口頭で教えた。イェジィを乗せて去ったバスのナンバーがいつまでもはっきり見えるので、自分が出国前にレーシック手術で裸眼の視力を完全に回復させていたことをぼくはとても久しぶりに意識した。あれから遠くへ来たものだ、と。

 

アポールさんへのビデオレター

実はイェジィを送る前にちょっとしたイベントがあった。ホステルの宿泊客の一人が、遠方で誕生日を迎えた友人(アポールさん)にビデオレターを送りたいとその場にいるぼくたちに参加を呼びかけ、みんなで『Happy birthday to you』を歌ったのだ。イェジィが真ん中、ぼくがギターで伴奏をつけたそのアポールさんへのビデオレターは、後でデータを送ってもらってぼくの手元に残っている。

 

ALL WE BEST

イェジィはゴア行きの切符を買えずに、新しく移った宿のぼく以外誰もいなかったドミトリーでその日の晩に再会した。こうなることが分かっていたような気もするし、分かっていなかったような気もする。
今朝までのドミトリーも六人部屋にイェジィと二人だったが、場所を変えてまたそうなるかと成り行きというものの不思議を感じながら眠りについたところ、真夜中遅くに荒々しいノックと共に一人の得体の知れない男性が入ってきたのでこの日は三人となった。シャワーが冷たすぎたせいかぼくは布団の中で頭痛に耐えていた。

朝起きると頭痛は無くなっており我々は街に出た。試行錯誤の末に、インドの鉄道事情についていろいろと分かってきた。長距離の寝台列車にはいくつかの等級があるが大別してエアコンつきとエアコンなしがある。エアコンつきのチケットは「AC○○」と頭にAC(Air Conditioner)がつく。ACの中にも一等・二等・三等がある。ACなしはSleeperクラスと呼ばれる。ほとんどどこに行く列車でも予約チケットはかなり前からはけてしまっている。需要に対する供給が追いついていない上に、キャンセルができるのでインド人は思いついたそばからバンバン予約していくらしい。その対策のためか、多くの鉄道で若干の当日券が用意されているが、当てにするのはハイリスクだ。さらにぼくたち外国人旅行者専用の切符が意外にも一定枚数用意されておりこちらは予約が可能だが、専門の窓口に行かなければ手に入らない。我々は二日前にシールダ駅とハウラ・ジャンクション駅に行ってあらゆる窓口を尋ね廻っていたが、コルカタの外国人旅行者専門窓口はなんと両駅の中に存在しておらず、街中の別の建物に入っているらしい。分かりにくさを限界まで押し広げたようなインドの鉄道事情だった。我々はその窓口に一緒に行くことにした。ぼくは数日後にバラナシへ向かうことを決めたのでそのチケットも予約してしまう心算だ。
ちなみにチケットはインターネットやアプリでも予約できることになっていたが煩雑だったので諦めた。アプリ予約にトライしてぼくは、前日とこの日かなりの時間を無駄にしていた。実のところぼくは三回クレカ決済したが三回ともチケットが確保できず、その理由もわからなかった。後で返金があればいいが無かったらなんとかしなければいけなかった(ムンバイ編に書くと思うが返金は無かったのでなんとかした)。
そういうわけで我々は再び連れ立って、今度は徒歩で City Centerまで繰り出し、十分に街歩きを堪能し外国人旅行者専門窓口でついに切符を手に入れた。ぼくは二日後の夜発のバラナシ行きAC三等、イェジィは今日の夜のゴア行きSleeperクラスだ。ぼくがAC3を選んだのはセンの「インドの鉄道は最低でもAC3以上にしといた方がいい」というアドバイスに従ったからだ。イェジィがSleeperにしたのには距離の問題もある。AC3とSleeperの価格差は大きいので遠方のゴアだとかなり高くついてしまうのだ。イェジィは窓口の担当者に「Sleeperは女でも安全か?」ということを念入りに訊ねており、担当のおじさんも「ああ、そりゃもちろんさ」みたいな感じで頷くので、ぼくはセンの話をイェジィに伝えずに本人の判断に任せた。
この日、我々はコルカタ唯一?のスタバにも行ったが、チャイ屋には五、六回立ち止まってその度にどっちかが奢って一服した。比較的モダンなエリアにある英国風の本屋でぼくはマリーゴールドが香るオーガニック石鹸を買い、露店で三足セットの靴下を買った。イェジィはこの日も甘いお菓子を買っては分けてくれ、道では噛みタバコをつくっているのを立ち止まって見物した。帰りははじめての地下鉄にトライした。

その夜、本当のサヨナラをして、ぼくはイェジィから、破ったメモ用紙に書かれた簡単なメッセージをもらった。すべて大文字のアルファベットが使われたその文章はシンプルな英語で書かれていたが、いかにも達者な人が書いた風格のようなものがあった。最後の一文に粋があった。SEE YOU AND TAKE CARE ! HAVE LOTS OF FUN AND ALL WE BEST !!!!!!
All you best ではなく、All we best。このyouとweの違いにぼくは、離れ離れになってもそれぞれがそれぞれの旅を続けていくことへのポジティブで誇り高いイメージを読み取った。
もうひとつ印象的だったのは、諸々に付き合ってくれたことのぼくへの感謝とともに「もうインドは怖くない」と言い添えてあったことだ。実際にそれから先、イェジィはぼくよりもはるかに長い間インド各地を旅することになった。イェジィのインド旅はぼくがヨーロッパに入っても続いていた。それだけインドが好きになったのだ。ある人にとってのある国が、怖い国から特別な国になるその転換点にぼくは立ち会うことができ、その転換に少しでも貢献できていたのだとすると、それは誇り以外のなにものでもない。
「この国にこの人あり」そういう旅をできた国というのは本当に思い出深い。キルギスのソンジェ、カンボジアのカズキたち。モンゴル、新疆、カザフスタンウズベキスタン。異国の景色とその人の影が二枚重ねになってクリップで留めらた状態だから、それらにはすべからく重みがある。イェジィのいたコルカタはその中でも一等特別なものであるのは旅を終えた今でも変わらない。

(たいchillout)

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