【インド/コルカタ】Obey The Traffic Blues

交通ブルースに従え!

アジアなら大体どこの国でも日本の感覚で歩行者をしていたら数日以内に轢かれる。ずいぶん先のことになるけど、モンテネグロにたどり着いた頃、まだアジアを旅していたときの感覚で車が通り過ぎるのを待っていたら、ピタッとぼくの前で車が停車して(ぼくもピタッと止まっていたのに)運転席のジェントルマンが有無を言わさずに道を譲ってくれたことに「ああ、ヨーロッパにきたんだなあ」と感じたものだ。
そんなこの旅で特に運転がひどかった印象のある街が、エジプトのカイロとインドのコルカタである。運転の荒い国民が構成する大都会のくせに信号が少なくて、無駄に西洋風のロータリーで街が作られていたりするからたちが悪い。渡りどきが見つからなくてひどいときは十五分だか二十分くらい車が途切れるのを茫然と(同時に気を張って)待っていたような覚えがある。
車に興味がないぼくでも、そうすると必然的に車のことをよく見るようになる。コルカタの車を見て目を疑ったのが、半数以上の車体にデカデカと標語のようなものが書かれていることだ。なんと書かれているか。それが、

 

Safe Drive Safe Life

 

である。どの口が言えたことかとぼくは呆れを通り越して気味の悪い薄笑いを浮かべていたはずだ。安全運転(Safe Drive)の対極とはまさにこのこと、という運転をしている車のバンパーに「Safe Drive Safe Life」である。そのフォントがまたポップでカラーリングも原色だったりするわけだ。ファニーである。ファニーを通り越してそれがクールだと感じるかどうかは、受け取る側のユーモアの度量によってくるだろう。
それでだ。
車の前部には「Safe Drive Safe Life」があるわけだが、また異なる標語が後部にもついていることにもぼくは気がついた。それが、

 

Obey The Traffic Blues

 

え?
Obeyは「従う」、trafficは「トラフィック」つまり「交通」なので、つなげると「交通ブルースに従え」という意味になる。意味が不明だがしかし、なんかかっこいい…。

この話にはオチがある。コルカタを去る最終日。ぼくは混雑した街バスで、バラナシ行きの夜行列車に乗るためにハウラ・ジャンクション駅へ向かっていた。バックパックという荷物を抱えて頼りなげによろめいていたからか、運転席の真横である助手席の位置にある、恐らく女性が優先のはずの席に案内され、横並びになったサリー姿の肝っ玉おばちゃんたちに圧迫されていた。その優先席の中でも最前列だったのでフロントガラスから前の景色がよく見渡せた。そのとき前を走る車の背面に書かれた「Obey The Traffic Blues」が目に入った。あ、まただ、とぼく思った。しかし初めてのこの機会に間近でそれを見ると、それは「Obey The Traffic Blues」ではなかった。「Obey The Traffic Rules」だった……。

その標語はどの車においてもなぜかペンキ風のイタリック体で荒っぽく書かれているのが多く、ぼくはRulesをBluesに空目した(見間違えた)のだ。「Obey The Traffic Rules」ということはつまり「交通ルールに従え」である。おかしいところなどなにもない。なんだ、そういうことなのか。コルカタを去る前に奇妙な標語の謎を解くチャンスに恵まれ、ぼくはおおいにすっきりとした気持ちになったが、しかし心のどこかでそれを残念がっている自分がいることに気がついた。「交通ルールに従え」なんて、普通すぎる。第一、誰も従ってない。

翻って「Obey The Traffic Blues」のなんと粋なことか。まさにこの街のトラフィックはブルースなのだ。
こんな運転していて事故を起こさないのかなあとぼくは訝しんでいたが、実際に事故は起きていた。あるとき信号のない車道を渡ろうと待っているとどこからか「バギ」という生々しい破壊音と「バーン」という衝突音が同時に鳴った。目を向けてわかったのが、それが、とある車がとある車のサイドミラーをぶっ飛ばした音だということだった。「なるほどインドではこういうこともよくあるのだな。きっとお互いそんなに気にしちゃいないのだろう」と思っているとなんのこっちゃない怒鳴り合いが始まった。おいおい、こんな運転してたらサイドミラーの一つや二つ日常茶飯事だろうに。カッカする以前にやることがあるだろう? ぼくはそう思うが、当人たちにとってはやはりこれはお互いの不注意と怠慢と不誠実だけが悪の源かつ全てであり、決してあってはならないことであるようだった。

ぼくは、永遠に途切れなそうな車通りを見極め、瞬間にダッシュをして対岸に辿り着いて「なんとか生きて渡れた…」と息をつくたびに、この街の「ブルース」を空気として吸い込んでいた。まさにそれはトラフィック・ブルースとしか言いようがない、不思議と生きた心地のするものだった。「Obey The Traffic Blues」とは、なんと甘美な響きを持つ、美しい言葉だろう。
その誤解が正されても、ぼくにとってのコルカタは今でも「Obey The Traffic Blues」の街、猛々しい車たちが生きたブルースを歌う街なのだ。

(たいchillout)

コルカタ編おわり

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