【インド/バラナシ】ラブリー

旅と言語化

ぼくがバラナシにいたのは2019年2月の第一週だったが、その三ヶ月以上後にモンテネグロで出会った日本人バックパッカーのYくんも同じ時期にバラナシにいたことが判明した。もちろんバラナシにいたときに我々は出会っていない。だが、二人とも呆けたように川沿いをフラフラと往復していたに違いないので、へたすると何度もすれ違っていた可能性もある。
どの街が良かった? お互いが長旅だから自然とそんな話になると、Yくんはバラナシが最高だったと言った。バラナシは良かったね、ぼくも調子を合わせたがぼくの中でバラナシは決してフェイバリットではない。もっとも、ひねくれ者なので、多くの日本人バックパッカーがバラナシをいかにもディープであるかのように語り、バラナシを旅することをマニアックでチャレンジングな体験であるかのように語ることへの反感がぼくの中にくすぶっていたことは確かだった。敢えて明言するが、バラナシはツーリスティックな街だった。
旅の醍醐味は、自分が言語化できていないし誰も言語化していないものに素のままに出会っていくことにある。その点バラナシは、すでに誰かによって言語化されたものを確かめに行って安心する場所のように感じた。それをぼくはツーリスティックと呼ぶ。むろん土地に罪はない。土地をそんな風にして消費してきた日本人の色彩がこびりついているのだ。
ぼくが、バラナシにこびりついた日本人の自意識のようなものとぴったり波長を合わせて感応できる人間であれば良かったが(つまりシンプルに仲間意識を抱ければ良かったが)、そうするにはぼく自身の自意識が強すぎた。良く言えば何事にも流されないが、悪く言えばしなやかさが足りない。そんな自分を自己分析するとそういうことになる。あるいは、お前は旅の期間が長すぎたんだよ、と言われればそれまでだ。「なにをもってディープとするか」というぼくなりの基準がずいぶんと複雑化し、玄人(くろうと)じみて、こんがらがっていたのは確かだったから。

 

聖地バラナシ

凧をあげる少年たち。ハローエクスキューズミーベリーナイスと言って写真を売る少女。階段に広げられた洗濯物。クリケットをする少年たち。ぼくは洗った靴を梯子で登った屋上に干す。牛を触ってその手を自分のおでこにあてる男性。近寄ってきた牛をバシバシ叩いて遠くに追いやる男性。ぼくが入室しても、ベッドに横になり向こうを向いたまま見向きもしない人。わかるよその気持ち。ぼくが風呂から出るとやっと一眠りしたのか、彼は顔をこちらに向けた。彼がトイレに入るとき電気を探した。ぼくがそれをつけてあげた。SNSを見ると中国人の友人たちが春節を祝っていた。ホステルの屋上での談笑に片足を突っ込んでいるとレモネードをまわされた。少しハシシが入っているらしい。一弦無しのギターを爪弾く男性は体調悪そうな友人に向けて「大丈夫か?」と声をかけた。住宅街のチャイ屋で老婆は小さい紙コップをぼくに出す。ぼくは10ルピーを出す。老婆は5ルピーだとジェスチャーする。「あ、5?」とぼくは思わず日本語で言う。しかしそれは通じずに、老婆は大きい紙コップを出す、これなら10ルピーだからと。汚れが付いていたのか、老婆は紙コップの内側を人差し指で払った。しかし、その老婆の手のほうがきっと汚れているように思えた。通りがかった写真屋でネパールのビザ用の写真を50ルピーで頼む。二回写真を撮る。ぼくは名前を訊かれスペルを言う。 新市街に小規模ながらショッピングモールを見つける。テナントにMINISOが入っている。ぼくは思わず「メイソウじゃーん」と口走る(MINISOと書いてメイソウと発音する)。MINISOはユニクロダイソー無印良品を合体させて、雰囲気や商品展開を真似た純粋な中国系企業だ。世界各地に点在し、ユニクロよりもダイソーよりも無印よりもグローバルに展開し、驚くことに「made in Japan」を売りにしている。そんなMINISOにはこの旅で何度もお世話になり、ある意味でもはやぼくのホームグラウンドとも言えるくらいだったので、このときも本能的習性のように入店すると男性店員に声をかけられ、日本から来たことを伝えた。Oh my god!! I must welcome! 男性はそう言った。日本人(外人)に出会っちゃったぜ!というテンションがそう言わせたのかとそのときぼくは思ったが(なぜならこのモールのあたりには観光客はなかなかこなそうだから)、もしかしたら男性はMINISOが日本のブランドだと信じ込んでいるのかもしれなかった。川沿いには物乞いの老婆がいるが、モールには小綺麗にしている若い女性も多い。それを見比べてぼくは、その国のリアルとはどこにあるのだろうかと考える。インドのリアルがあの物乞いの老婆だと記憶してしまっては、多くの大切なことを取り違えてしまう気がする。街はずれの住宅街を歩いていると学校帰りの少年たちがハローとからかってくる。ぼくは無視する。眉間にシワを寄せて険しい顔をした小学二年生くらいの少女が一人で歩いており、なんでそんな目でぼくを見るのだろうと思っていたが、何故だが視線をはずせずにいた。すると少女は突然満面の笑顔になった。ハーイ!と言って手を振ってくれた。顔立ちが立派なので怒った顔はコワイが、笑うと本当にラブリーだ。少年たちのことを無視すべきではなかったかもしれない。人に対して、このように接すれば良いという定型なんてないのだろう。ぼくは街はずれを歩くのが楽しくなった。歩きながらぼくはあらためて思う。自分は特別なことをやっている、という日本人バックパッカーたちの自意識には関わりたくないなあと。旅に出る前に特別でなかった奴が、旅に出て特別になれるわけがない。旅は人を成長させるけど、人を特別にはしないのだ。夜になる。ガンジス川を背にギターを弾く青年と、それに合わせて歌う四人の青年。彼らの多くは細身のジーンズを履きシャツやセーターやパーカーを着て靴を履いている。ギターを弾く青年は襟足を伸ばしてキャップをかぶっている。彼らの奏でる音楽は、インドの伝統音楽ではなく、インドの若者のための、青春のフォークソングだ。そこにはヒンドゥー教も物乞いもぼったくりもドラッグもない。つやつやした髪の女性三人が給水塔の前でセルフィーをとっている。翌朝、宿で朝食をとり洗濯をして出歩く。道端の牛と犬の前に餌を置いて走っていく少年。下半身丸出しで小便をしている老人。井戸から水をくむ男たち。力を合わせて、曲がった鉄の棒を真っ直ぐにしようとする男たち。サンダルを脱いで手を合わせ目を瞑り小さな祠に祈る若い男性。小学校低学年に見えるムスリムの少女が大きめのバッグを片方の肩に力強く背負い、車よ止まれ、というように一丁前に手をかざし歩く。繋がれたままのヤギがチャイのコップの上に小便をしている。最終日の昼食、日本人経営の「メグカフェ」に行ってみた。毎日のように外国の初めての店に入店し続けてきたのに、日本人経営の店に入るときになぜこんなに緊張するのだろう。店内には韓国人の若者たち、西洋人の子連れ夫婦、ひとりの西洋人女性の三グループがいた。オーナーらしき女性(メグさん?)はぼくが日本人だということに最初から疑いを持っていなかった。 唐揚げ定食とアイスカフェラテをいただく。350ルピーは大きな出費だが泣けるほど美味しかった。雨が降る。ガンジスを見ながら軒下で雨宿り。ぼくと同じ軒下には若いインド人のカップルとひとりのインド人紳士。雨で滑って転ぶオレンジの袈裟をきた男性を見て紳士が鼻で笑った。雨によって人はどこかにはけていくが、牛は同じ場所に悠然と座り続けている。やはりここは牛の街、聖地バラナシなのだ。午後八時にトゥクトゥクがホステルに迎えにくることになっている。カトマンズ行きの夜行バスが出る長距離バスステーションまで送ってくれるように頼んでおいたのだ。

(たいchillout)

バラナシ編終わり

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