【日本/東京/文京区】旅にでるまで (6)社会人としての青春

『HUB』東京ドームシティラクーア

時は遡って2015年の年末。忘年会の二次会で一部の社員で連れ立って後楽園にあるアイリッシュパブ『HUB』の東京ドームシティラクーア店に行った。時期が時期なので満席。テラス席に並べられたテーブルのそばには屋外用のパラソルヒーターがいくつか立てられていたが、それでも寒さを凌げているとは言い難い。ここは明るい東京のまさに中心。ノリの良さが全ての接客、ネオン、ビール、テキーラ、年末年始の高揚感。新卒採用を行わないこの会社で当時二十六歳だったぼくは最年少で専門はITエンジニアだった。太っちょで誰よりも酒好きで優しくひょうきんな先輩のひとりは一リットルサイズのグラス (ビーカーのようなデザイン) に注がれたビールをオーダーし、ぼくは確かギネスだった。HUBは総じて割高なので、HUBに行くときのぼくは店によって安くなるなんてことがまずないギネスビールを選ぶことが多かった。

夏に入社して四ヶ月。すでにこの会社はぼくにとって特別だった。誰がなんと言おうと特別なものだった。善良で小心な社員たちは、場所が場所なら徹底的に殻にこもっていたか、徹底的に刺々しくなっていたか、そのどちらかのはずだったけど、この会社はそんな彼らの優しさの一面だけを引き出した。社長は会社のことを「動物園」だと言っていたし、ぼくはときどき「社会復帰リハビリ施設」とこっそりと呼んでいた。あまりに心と身体の健康に良い会社だったから。
ぼくも含めた社員の多くは、馴れ合いというものを苦手とし、もしくは反動で馴れ合いを軽蔑すらしてきた種類の人間だった。だからこそこの会社らしくない会社が、誤解を恐れずに言えば、学校生活のマネごとのようなものをさせようとしていることに最初は戸惑い、やがて馴染んでいった。みんな、この会社をやめても付き合っていけると思っていた。売り上げが傾いたらみんなで辞めて一緒に起業すりゃいい、そんな話すら何度かでた。それでも業績が伸びていた奇跡的なバランスの社風については、以前の記事に書いた。

 

社会人としての青春

この会社ではない、それ以前の職場でしばらく一緒に仕事をした取引先の四十代の先輩が、ぼくに一時期「中国駐在」の話が持ち上がったときに呟いた次の言葉がいつまでも印象に残っていた。
「そうかあ。たいchilloutの社会人としての青春は中国でおくることになるのかあ」
結局駐在の話はたち消えになり、ぼくは転職してしまったわけだが、その言葉はそれからもずっとぼくの心に残っていた。社会人としての青春。
青春といえば高校や大学を思い浮かべる人が多い。ぼくもそうだった。大学生を終えるときというのは本当に「人生の主要な輝き」がここで終了するくらいの悲壮感だった。しかし現実は違った。ぼくは、全ての若者がそうであるように、若さを過大評価し社会を過小評価していた。
やがて腰を壊して長らく休職してしまったその取引先の先輩が「社会人としての青春」と言ったときのぼくはまだ社会人二年目の二十四歳だったが、その言葉の持つ意味を少しずつ理解しはじめていた。当時は今よりも忙しく、能力も無く、苦労も多かったが、それでも社会というものにはある種の、それまで知らなかった方面の魅力があることを知りつつあった。ぼくはまだその一端に首を突っ込んだに過ぎなかった。だが、そこでは成功と失敗、信頼と裏切り、友情、恋愛、意地、駆け引き、そして幅広い年代の男女が生活とプライドを賭けたリアルなドラマが渦巻いており、そのすべてが学生の世界を圧倒するスケールであることには気がついていた。とりわけ、そこが東京であるならば。
昼の十二時になるとビルから溢れ出してくる社員証を首から下げた男たちや、でかい財布を片手に持ったカーディガンの女たちを見て、「けっ」と思うことは依然としてあった。けれど、本当はそれと同じくらいときめくものもあった。二十代前半の頃だった。
それから時を越え『HUB』東京ドームシティラクーア店に流れ着いたぼくは、「社会人としての青春」という言葉について改めて考えてみるべき地点にいた。この会社はぼくの思い描いた未来や到達すべき目標では決してなかった。しかし、不思議なことに、今の自分はここにどっぷり浸かっていていいのだ、そうしてしまうべきなのだという確信だけが強くあった。宿命的な感覚が最初からそこにはあった。あれはひとつの社会人としての青春だった、いつかそう振り返ることになる時期を今の自分は過ごしているのかもしれない。ふとそう思うことがあった。

 

職場に好きな人をつくって

「職場に好きな人を一人作ると、仕事行くのが凄く楽しくなるんよね」と明石家さんまは言っていたが、好きな人がいなくても楽しいものは楽しいはずだ。ぼくは素朴にそう思う。だって本当に楽しいことは一人でもやるでしょう? 仕事も趣味も、旅も、バラエティ番組の司会者も。
2015年当時、会社に女性社員は二人だけだった。昼休みが気がついたら腕相撲大会になっていたりする実質的な男社会。女性社員のうちの一人は総務経理人事を一手に引き受ける社歴のある社員で、年齢不詳の美人だったが、基本的には我々男性社員たちとは自然な距離を取っていた(ぼくはその人のことがけっこう好きだった)。もう一人はもう少し若い三十代半ばのデザイナーで、グルメで酒飲みでゴキゲンな人だったが、仕事では我々男性社員たちを容赦なく引っ張っていくタイプだった。どういうことかというと、つまりこういうことだ。この会社には、良い意味で、女性がいるという感じがしなかった(本当に良い意味で)。

ぼくはあの日、『HUB』東京ドームシティラクーア店で、その女性デザイナーにこう言った。
「ぼくは職場に女性はいない方がいいですね」
むろん年末の無礼講だ。なにより当人と上手くやっていたから言えたことでもある。だけどこれはぼくが四年間の勤め人生活からその頃経験的に出した結論だった。おじさんの先輩社員たちは「派遣とかで若い子がいるくらいがちょうどいいんだけどね〜」としきりと頷き合っていたがぼくはそう考えなかった。この会社には魔法がかかっていた。女性がほとんどいないことがその魔法を成立せしめるいくつかの要因のうちの重要なひとつであるとぼくは考えていた。とはいえ、それから一年以上後に当のそのデザイナーから「たいchilloutさんは会社に女はいなくていいと思ってるんですよ〜」とナチュラルに蒸し返されたときはさすがにあれは失言だったなあと反省したけど。
「社長が嫉妬するから社内恋愛禁止」「妊娠したらうちの会社はクビだからね〜」半ば冗談だったがよくそのデザイナーが言っていたことだった。そんな会社に女性が少しずつ増えはじめたのはだいたい冒頭の『HUB』の一年後からだ。フルタイムアルバイトのCさんはその頃の採用だ。新規事業立ち上げのため渋谷オフィスを完成させ、上場を目指し管理体制を強化していた。「人」が必要であり、派遣やバイトなど、雇用形態にとらわれない方針へと切り替わった。会社は変わりつつあった。しかしぼくは変わらなかった。変わらないつもりだった。
「職場に女性はいない方がいいですね」
と言った気持ちも変わらなかった。いよいよシステム部門でも女性の応募があり、採用が決定したとき、ぼくは不採用になればいいなあと思っていた。それが正直な気持ちだ。そして2017年に会社は変わった。2017年7月入社のひかrewriteと6月入社のその彼氏の社内恋愛が社長に知られることは最後までなかったが、今思えばあの頃は明らかに、職場に女性が「いる」という雰囲気があった。職場に好きな人をつくって仕事をしにきている人たちがいた。それで輝いている人がいて、それで苛立っている人がいた。あらゆる意味で会社は変わってしまっていた。そしてぼくはいつしかそれを肯定的に捉えるようになっていた。

(たいchillout)

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