【ネパール/バルディヤ】焚火と断水と停電、そして錠剤

一日目

早朝、長距離バスで到着したバルディヤのゲストハウスの入り口でトゥクトゥクから降りて、ぬかるんだ道を歩いて門をくぐった。チェックイン時刻にはまだ早い。チャイをもらい、あずまやで焚き火を焚いてくれたのでぼくはそこでしばらく体を温めた。火が小さくなると自分で木を動かしたり、風を送ったりして延命させる。暖房なんてものはなかった。二月。やがて予約していた通り、個室に案内され、そうしているうちに昼食の時間だった。ぼくはゲストハウス内の食堂でスパゲティを注文した。
バルディヤには外食できる場所はひとつもなかった。買い食いできる露店も、もちろんコンビニもない。パミール高原とちがい、わずかながら商店はあったが、イナカっぷりは同じ。村のメインストリートがかろうじて舗装されているがそれも砂埃まみれ。まともなアスファルトは唯一村外れだけに存在する。そこをバスに乗ってぼくはここまで来た。
ゲストハウスはあるがドミトリーではなく個室が主流。これもイナカの特徴だ。宿泊単価は高くなかったが、ゲストハウス主催のサファリツアーがあり、マネタイズはそこで行われていると感じた。サファリツアー目当てな雰囲気もなく、実際に興味のあるそぶりを見せなかったぼくへの待遇はあまり良いものではなかったような気がするが、それは勘ぐりすぎだろうか。ぼくの部屋にシャワーは付いていたが永遠に水が出続けるので、「ちょっとどうにかならないか」と言うと別の部屋でシャワーを浴びさせてもらうことができ、そちらはお湯が出た。なぜだかわからない。
お腹の調子は依然として悪く、初日の夜はフルーツサラダと蜂蜜ヨーグルトを食べた。先述の通り食事はゲストハウス内でしかとれず、やはり割高である。イナカは物価が安いというのは神話である。夜。停電する。ぼくは何度も電気の消えた真っ暗なトイレに出入りし、どこかで遠吠えする犬の声をききながらときを過ごした。停電するとWiFiも落ちる。あらゆる充電もできなくなるのでむやみにiPhoneをいじって過ごすこともできない。水道も止まった。丸一晩、トイレの水も流れなかった。

 

二日目

翌朝、焚き火を囲んで紅茶をいただく。停電と断水は続いている。前日の大雨が原因らしい。ぼくは自分の息を吹きかけて焚き火の炎を絶やさないように努力する。火を絶やさない。それは本当に大事なことなのだ。朝食のチャーハン、食べきれず。
ぼくは外を少し歩き、すぐ帰ってきては焚き火を囲むことを繰り返す。同じゲストハウスに泊まっているひとり旅のオーストラリア人中年男性、バリーと話す。ぼくがトラベルしていると話すとバリーは言った。「トラベラーとツーリストの違いを知っているか?」ぼくは首をふった。バリーは言った。
「ツーリストはbusyだ。金を使う。トラベラーは耳を澄ます」
それからバリーは村の床屋に髭を剃りに行った。バリーは旅先の床屋で髭を剃るのを慣例にしているらしい。床屋に行くと「トラベルチップス」を得られるから、とバリーは言った。Tips。旅の知恵だ。まさにまったくその通りだと思う。
この村でのぼくの唯一の買い物はトイレットペーパーだ。買うものがないとき、ぼくはトイレットペーパーを買う。ぼくにとっては買い物もトラベルチップスを手に入れるきっかけになる。昼時を過ぎ、やっと電気と水道が復旧した。

バルディヤに二泊した。村を歩いてもなにもやることがない。お腹も痛い。ゲイルは別のゲストハウスでサファリツアーに出ている。会いたいと思ったが、憔悴していたのでその余裕がなかった。ここには旅人仲間もいない。若きバックパッカーは意外にも都会に集まる。バルディヤに来ている物好きな旅行者は、本当の動物好き、本当の自然好きが多い印象だった。彼らは動物と自然を見るために金を惜しまない。ゲストハウスでもグレードの高い個室に泊まり、現地の物価からするとぼったくり価格でしかないサファリツアーを意気揚々と申し込む、それなりの年齢のヨーロッパ人が多い印象だった。
村の景色は、心に残っている。本当に質素で素朴だった。自然もそうだが歩いている人々や家々がそうだった。同じネパールでもカトマンズにはクラフトビール屋すらあるしポカラにはカフェも多い。しかしバルディヤは違った。ぼくの泊まったゲストハウスのオーナーは、商売を心得ており、ここでは極めてリッチな部類に入る住民だと思う。なにせ英語を話すわけだから一度はカトマンズに暮らしたことがあるにちがいない。

さて腹痛だ。実はバルディヤでの療養生活を経てぼくはついに快復した。その決定打となったのは間違いなく、バリーのくれた薬だった。ぼくがお腹の調子が悪いと言うとバリーは、彼の持っている錠剤をくれだのだ。それが一体どんな薬なのか、どこの国で手に入れた薬なのかわからない。だけどぼくは「トラベラーは耳を澄ます」と言ったバリーを信用して彼のくれた錠剤を飲んだ。

 

三日目

よく早朝、夜明け前。再びトゥクトゥクに乗り、到着したときと同じ村外れの車道まで行った。バス停はないがここにバスがくる。待っているうちに夜が明けてくる。目の前に駄菓子屋のような店があるのでそこでおばさんにチャイを頼み、焚き火にあたった。この村に屋内というものは存在しない。各自の家以外には。焚き火にはどこから集まってきたのか、子どもたち、男たち、そして犬までやってきて火をくべたり座り込んだりしている(犬は火をくべない)。ぼくはその一員だった。深い会話はないが、なんとなく気にしつつ「こっち座りなよ」「火が大きくなったね」なんてことを顔で話している。
そしてバスが来て、ぼくは国境のマヘンドラナガルを中継してこの日のうちに、この旅二度目のインド入り果たし、そのまま真っ直ぐ首都デリーへと突き抜ける旅路を再開したのだった。

(たいchillout)

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