【インド/デリー】チャイ屋の開店を並んで待つ

パンツがない

街のクリーニング屋にただ洗濯をしてほしくて服を預けたのだが、翌日に取りに来いと言われていざきてみると店が閉まっていた。困ったなあと思ってさらに次の日に行くと、開店時間の十一時になってもシャッターが開かない。そこは路地裏にある小さい店で、目の前で子どもたちが遊んでいたので「ここいつ開くの?」と聞くと「十二時だよ」と教えてくれた。子供たちは厚紙を丸めたものにガムテープを巻きつけて、それをボールにしてぶつけ合っている。そのぶつけ合いをしばらく眺めていたがルールらしいルールはなさそうだ。ボールを拾った誰かが別の誰かにぶつけるだけ。鬼もへったくれもありゃしない。クリーニング屋が十二時に本当に開店するのかも疑わしかったので、ぼくは一旦その場を離れて少し歩いてカレーを食べた。さて、満を持して戻ってくると店は営業を開始しており、義眼の男性がひとりで服を畳んでいた。ちなみに店にドアはない。ぼくは「洗濯物をとりにきました」と言えばそれで終わるものかと思ったが、男性はぼくの洗濯物のありかを知らなかった。ぼくは事情を最初から説明した。男性が、店内で山積みになっている服たちを一枚ずつひっくり返していくと、一枚、また一枚とぼくの服たちが現れたが、パンツが一枚足りない。「パンツがないのだが」と言うと、男性は「ここにはない。妻が知っているだろう」と言った。ぼくが洗濯物を預けたのは奥さんだった。だが奥さんは今日は出勤日ではなかった。男性は「明日、妻がくる。明日もう一度来てくれ」と言った。ぼくは食い下がった。そもそも本当は昨日回収できるはずなのに、店が開いてなかったから仕方なく今日来たのだ。それをさらに明日にしてくれなんていいかげんすぎる。そうした文句をぼくが垂れていると、別の顧客のインド人男性が現れ、通訳をかってでてくれた。通訳はぼくに彼の個人的意見を述べた。「俺もここの洗濯屋を何度も利用しているが、ときどき彼らはミスをするよ。でも洗濯物をLostしたらお金を払ってくれる」。通訳を信用するなら、ミスをしてすっとぼけたりはしないということだ。すっとぼけないことはなによりも大事だ。ぼくは明日もう一度来ることに決めたが、ぼくが真剣だということを伝えるために、自分の電話番号を教えて「パンツがあったらここに電話してくれ」と言った。そして「いや、パンツがなくても電話してくれ」と付け加えた。だが、ここまでやっていろいろなことに面倒になったのか、翌日になってぼくはもうパンツのことなんかどうでも良くなっており、結局洗濯屋に行かなかった。電話もかかってこなかった。

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出会いのすべてはタイミング

話は前後するが、デリー三日目にぼくははじめてニュー・デリーではなく、オールド・デリーに行った。オールド・デリーは簡単に言うと旧市街、いわゆる下町だ。オールド・デリーはニュー・デリーよりもはるかに混沌としておりインドらしい猥雑さに満ちていた。バックパッカーも多く見かけた。古くからの安宿の多くはこの辺りにあるようだ。ムンバイ行きまで日数があったのでデリー最後の二泊をぼくはオールド・デリーで過ごすことに決め、宿を変えた。以前の宿を後にするときにダーがいて、手を差し出してきたので握手した。ダーはぼくに「どこに行くの?」ときいて、本当の出発は二日後だったがぼくは「ムンバイ」と答えた。日本の漫画や化粧品が好きなタイ人女性のダーとは、タイミングが合えば仲良くなれたと思う。中学や高校で、入学式の日の出席番号順で近かったというだけで三年間の付き合いが誕生するように、出会いのすべてはタイミングだ。ダーは英語が上手く、おそらくは留学経験があるか帰国子女に違いない。なにを話すときにも、(テンションが高い場合はかなりの確率で)語頭に「fuckin'」とつける癖がある。あまりきれいな言葉ではないが、ネイティブでない限りそういう表現には慎重になるはずなので、英語が体に染みついている故だろう。口癖といえば、ネパールで会ったゲイルも極めて英語が達者だが、意外にも「oh my god!」という日本人にとっては陳腐だと感じる表現を多用する。広州のスズにもよく使う言葉があって、ぼくはこれがなかなか好きだ。スズはゲイルが「oh my god!」と言うような状況に遭遇すると、サラッと一言こう表現する。「crazy」。

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広島と長崎では野菜は育つか

安くて美味かったのでデリーではとにかくカレーを食べ続けたが、混ぜそば風のハッカヌードルも美味しかった。といっても、味も食感もほとんどインスタントラーメンなのであるが。ぼくは子どもの頃から麺好きなので、麺があると嬉しい。麺はほとんど世界のどこにでもある。ベースはチャイニーズだが各地で独自の進化を遂げている。たとえば、インドにもあるがネパールでは特にチョウメンという焼きそばのような麺が主流でよく食べた。
オールド・デリーでチェックインしたホステルは、狭く清潔感に欠けていたが、二泊だけということもあるし、よしとする。ドミトリーメイトにはインド人のタリーとマレーシア人のディンがいて、二人ともたくましくヤンチャな感じがする男だ。二人とも顔つきがちょっと日本人に似ている。タリーは同じインドと言ってもミャンマーとの国境近くのナガランド出身だった。ぼくはナガランドを通過していない。紅茶で有名なアッサムの近くだ。タリーいわく、ナガランドとデリーでは言葉も顔もまるきし違うらしい。この広いインドでは本当に多くの民族が異なる言葉を使って暮らしているために、同じインド人同士でもときには英語でコミュニケーションをとると噂にはきいていたが「それは本当だ」とタリーは言った。タリーかディンのどちらか忘れたが、「広島と長崎では野菜は育つのか」と突然聞かれた。考えたことがなかったがぼくは「育つと思う」と答えた。二人は「ホンダ」「トヨタ」「トーシバ」と日本について知っている言葉を並べ立てたが、そのなかに「ヒロシマ」「ナガサキ」が含まれるのだなというのが印象に残った。

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オールド・デリー

オールド・デリーにいた頃は気温が下がっており、近所に気に入ったチャイ屋を見つけたのでぼくは二日続けてそこに開店前から並んだ。朝は一杯のチャイからはじめないと気が済まない体質になっていた。チャイ屋の開店を並んで待つ人なんてぼく以外にひとりもいない。チャイ屋のオヤジの熟練した一手間一手間をぼくはずっと見ていた。朝の早い国が好きだ。思い出すのは中国、香港。朝早くから動き出す人たちで暖まっていく街の雰囲気が好きだ。
映画館の隣のバーに行くと、そこはバーというよりかはクラブだった。身体にぴったりした服をきたオネエちゃんたちと革ジャンのオニイちゃんたちがくっついたり離れたりしながら踊っている。器用なステップを刻んでるやつも、ラフに踊っているやつもいる。ぼくはビールとフレンチフライをオーダーしてそれを見ていた。青年たちはあくまで自分たちが楽しむことしか考えていないようで、かなり崩れた、ふざけた動きをしているやつもいるのに、それがちゃんと見るに耐えるものになっているのは、彼らにダンスの素養があるからなのだろう。酔いも手伝ってか、ぼくはだんだんと、店に入った瞬間は失敗だと思った爆音のクラブミュージックが気持ち良くなってきた。 ソウルのホンデで見たストリートダンスを思い出した。パーティも悪くない。いい男と、いい女、酒と音楽。バラナシのガートとはえらい違いだ。ぼくはデリーのリアルを目に焼き付けた。

オールド・デリーに二泊して、翌昼過ぎにムンバイ行きの寝台列車に乗った。ここからは二十時間を超える長旅だ。事前に、水はもちろん、リンゴやクロワッサンを買い込んでデイパックに詰めた。このインド亜大陸をダイナミックに南下する鉄道の中でぼくはひとつ、面白いことをした。三月は近い。

(たいchillout)

デリー編(2019.2.19 〜 2.25)終わり

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