【インド/PASCHIM EXPRESS】たいチルラップ

フランスのルフィ

デリーからムンバイへのながい列車の旅がはじまった。PASCHIM EXPRESSという名の寝台列車は16時45分にほぼ定刻通り出発し、翌日の14時45分に到着する予定である。ぼくは指定席のない当日券を除くと最も安いSleeperクラスの寝台を確保した。コルカタからバラナシに向かったときは陽が暮れてからの出発で朝早い到着だった。つまり外を見てもずっと真っ暗で、読書と睡眠くらいしかやることがなかった。今回は違う。長旅なので明るい時間も鉄道に乗っている。車窓からの景色を楽しめるのである。

寝台は三段ベッドになっており、日中は跳ね上げ式の二段目が畳まれている。そうすることによって天井が高くなり、一番下の段に上中下段の三人が並んで座れるようになる。一番下のベッドを使う人は気の毒だ。三人の男の尻が終日たっぷり押しつけられたシートに夜は眠ることになる。むろんシーツなんてない。
三段ベッドは隣の三段ベッドと向き合っており、それぞれの二段目を畳むと六人がけのボックス席ができあがる。ぼくのいたボックス席のメンバーは、ぼく以外に二人のフランス人男性がいて、他はおそらくインド人。もちろんぼくは最上段の寝台を手に入れた。ただでさえ倹約してSleeperクラスを買ったのだからそこは譲れない。ぼくがチケットを買うときに最上段は空いていたが、空いていなかったら空いている日がくるまでいくらでもデリーでの滞在を延ばしただろう。時間に追われない気ままな旅行者は、倹約している分、こういうところでアドバンテージを駆使する。駆使するべきだ。二人のフランス人はぼくの下段ではなく、向かい合った三段ベッドの最上段と二段目にいた。

二月の北部。しとしとと雨が降ったり止んだりしている。気持ちを落ち着かせるような美しい霧の農村を多く通り越す。農村といっても村全体を車窓から見渡せるわけではない。実際には家が一軒だけ見えることが多い。家はなにかの畑を持っていて、開放的なつくりになっている。ときどき動物や子どもが駆けている。
下段に座ってそうした景色を見ていると突然頭の上から日本語が降ってきた。
「いっただーきまーす!」
三段目に座ってケバブのようななにかにかぶりついたフランス人男性だった。
「きみ日本語話せるの!?」
男性は日本アニメのファンらしい。いまのはモンキー・D・ルフィの物真似だった。日本語は話せないがアニメのセリフは覚えていると言った。ぼくをびっくりさせようとしたんだ。

雲に隠れた陽が沈む間際。通路の反対側の男性がコーランを唱えはじめた。窓の方を向いて頭を下げた。ムスリムの人なのだ。ぼくは男性のケータイの画面を盗み見た。そこにはびっしりと文字が書かれており(ヒンドゥー文字かタミル文字かアラビア文字か忘れた)、そのびっしりさにぼくは、そこに書かれているのはコーランなのではないかととっさに考えた。南下する鉄道の向かって左側に男性はこうべを垂れていた。あれ?そっちは東だ。メッカはサウジアラビアなので、西にあるはずだった。
夜、トイレに入る。なぜか電気がつかなく、ぼくはケータイのライトをつけた。トイレットペーパーで便座を拭いて、それをライトにかざしたらトイレットペーパーは真っ黒だった。

朝、車内を練り歩く男からチャイを買う。買い込んでおいたクロワッサンを食べて、もう一度車内を練り歩く男からチャイを買う。隣の車両のトイレに行って、戻り際にひらかれたドアからすでに明るくなった外の景色を見て風を浴びた。
パシパシと威勢良く手を叩いて若い女が歩いてくる。三段ベッドの一番上から体育座りで通路を見ていたぼくの足を強く突く。なにか用があるのかと思えば、金をくれというジェスチャーだ。金をねだるのになんだ強気なその態度は。見ると左手の五本の指の隙間には綺麗に折りたたまれた10ルピー札や20ルピー札が連なっている。ぼくはどきどきしながら無視をした。隣のコンパートメントのインド人たちを小突き出したその女の背中に向かってぼくは日本語で言った。
「調子ん乗んなよ!!」
すると、通路越しの下段ベッドに座るインド人男性が、三段ベッドの上にいるぼくを見上げた。しばらく目が合う。男性はクイっと首を傾げた。
「しょうがねえやつだよな」
そう言ってるように見えた。

 

たいチルラップ

上半身裸で、裸足の足を引きずるようにして雑巾で通路を拭く男。そのとき、下段のベッドに座っていたぼくは組んでいた足を上げた。男はぼくの足元にあったチャイのコップやその他細かいゴミを雑巾でかき集めて、綺麗にした。男は手を差し出してチャリチャリと小銭を鳴らした。ぼくは足を組み直したまま、ケータイから顔を上げなかった。男の体には障害があった。清掃係ではない、おそらくは無断で乗り込み自主的に掃除をしているに違いなかった。
今度はちんどん屋が通路を通っていく。母娘でやっているのだろう。母親は打楽器を叩き、それにあわせて煤けた少女が腰でフラフープを回す。最後に少女は通路に頭をついて前転した。
再びトイレにたって、ドアからの風を浴びる。大平原の彼方に見えたのは巨大な骨組みだけの伽藍堂だ。まるで学校か大聖堂が全焼したみたいだった。
図々しい若い女の物乞いがまたやってきた。ぼくは触られることすらないように退避して最上段の奥で身構えていた。女が突いたのはルフィのフランス人男性だ。ルフィは言った。「don't touch me」
非情だ。しかし本当に的確で簡潔な表現だった。
南に向かうにつれ、心なしか暖かくなり、植物の相が変わってきているように思う。通りすぎた駅のホームで下半身がすっぽんぽんの子どもが倒れて泣いている。日差しが強くなってきた。植物は若葉の色をしている。
位置情報を確認するとムンバイまであと50キロとある。見渡すかぎり野ざらしの自然の中を突き進んできたが、だんだんと都市型のマンションが現れるようになってきた。郊外。という言葉が自然と浮かんだ。
この日ぼくは朝からケータイのメモ帳を開き、せっせとラップを書いていた。なぜか。この時期、インドでとある映画が公開され、大ヒットしていた。『GULLY BOY』という映画だ。ぼくはデリーでそれを見ようとして映画館のチケットカウンターまで出向いたが、英語の字幕版がラインナップになかったので迷った末に断念していた。だが『GULLY BOY』の舞台はムンバイだった。ムンバイのスラム出身の一人の男がラップで成り上がっていくというあらすじだった。この映画はムンバイで見るのがふさわしいのかもしれない。ぼくはそう思ったのだ。そしてその映画のことを考えながらこの鉄道で暇を持て余していたぼくは、なんの気紛れか自分でもラップを書いてみようと思った。言っておくがぼくはラップには詳しくない。どっちかというとロックが好きだ。だけどそんなこと関係ないだろう。そんな気持ちになった。歌を作るのは好きだ。だからたまに自分の曲の作詞をすることもある。たいチルラップというタイトルだ。ここにその全文を掲載する。

 

たいチルラップ

おれは日本からきたたいチルアウト
いろんな国を見てきたんだ
いろんなヤツを見てきたんだ
だけど何にもわかっちゃいねえ
だけど何にも知っちゃいねえ
オマエがオレを知らねえように

おれは日本からきたたいチルアウト
自分ひとりでココまできたんだ
だからオマエとココにいるんだ
10ルピーのチャイを飲んだら
200ルピーのスタバに行くぜ
完全無欠の自己完結だぜ

おれは日本からきたたいチルアウト
いろんなコトがあったわりには
いいトコだけを記憶している
大都会のメトロに揺られて
メコンの果てまで探しにゆこう
誰も知らない旅の理由を

おれは日本からきたたいチルアウト
スクールバスの扉が開き
初めての街がヴェールを脱ぐ
カトマンドゥのマーケットも
ジョージタウンの潮風も
この寝台に乗せてゆく

(たいchillout)

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