【スリランカへ】ビジネスクラス

モルディブ

ビジネスクラスですね?」
「ノー。ちがいます、エコノミーです」
モルディブの首都のマレ。日本に帰る彼女を見送った半日後にマレ国際空港に戻ってスリランカ行きの便にチェックインしようとすると「ビジネスクラスですね?」と言われた。ぼくが予約したのはビジネスクラスではなかった。しかし、どうやらオーバーブッキングがあったようだ。航空会社側の事情でぼくのチケットはビジネスクラスに追加料金なく格上げされた。ビジネスクラスは空港のプレミアムラウンジが使える。それを確認するためにチケットカウンターで「Lounge?」と単語一つで訊いた。ムスリムの女性は微笑んで頷いた。そして美しい英語で言った。Because you are business class。なぜならあなたはビジネスクラスだから。ビジネスクラスであることを強調する、ちょっと茶目っ気のある言い方だった。ぼくが思わぬ幸運に戸惑っていることが女性に伝わり、そんなぼくを女性がほほえましく思っていることがぼくに伝わった。

ラウンジではコーヒー、パウンドケーキ、マフィン、バターブレッド、オレンジジュース、 ピスタチオ、アーモンドを食べた。ソファやテーブルは十分な間隔で置かれている。上品で機能的な間接照明。完璧な空調と、いい匂い。高速なWiFiと全席電源コンセント。そして、静かだ。ストレスというものを入念にコツコツちまちま取り除いていくとこういう空間ができあがる。ビジネスクラスに乗るのは人生で初めてだった。人生初のビジネスクラスが、こうしてまったく予期していない形で訪れ、しかもその場所はモルディブであり、さらには人生最長の格安旅行の真っ只中であったことは、物語のようであった。エアコンもリクライニングも無いバスでいくつも国境を越えてきたし、これからもそれが続く。そういう状況でポンっとやってきたビジネスクラス
バックパッカーは精神的に背伸びするが、モルディブでは逆の意味で背伸びをして贅の限りを尽くした。人生最低価格の旅から最高価格の旅へのギャップ、面白いと思いませんか? 格安旅行とセレブなバカンスの間に優劣はない。重要なのはその間を自由に行き来すること。いけないのは、片側に安住し、対極の楽しみに目をつぶり、同じ側にいる仲間の都合のいい言葉にだけ耳を傾けて、「自分は意識的に選びとっているし選ぶことに成功している」と勘違いすることだ。
モルディブ行きはそういう意味で、ぼくのバックパッカー哲学の実践でもあった。モルディブで贅の限りを尽くし、それをさらに徹底してくれる形でビジネスクラスがプレゼントされた。おれはきっとまちがっていない。そういう感覚にさせてもらって活力にもなった。

後にイタリアのジェノバで会った、パリでワーホリしているという日本人女性は、夏の誕生日をギリシャサントリーニ島でむかえると言った。夏のギリシャはハイシーズンで高かったが、誕生日だから思い切って奮発したと言った。じつはぼくもモルディブで誕生日をむかえたが、誕生日のことはまったく考えていなかった。そもそも最初はここに来る気がなかったし、来ることが決まっても、乾季と雨季の境目で変動する価格を見極めてホテル選びを終えた彼女が最初に提案してきたのは別の日程だった。その日程にぼくが自分のフライトを調整する過程で、ただ日付がズレただけだった。航空券の代金が千円安かったらぼくは別の日を選んだだろう。だけど、それなのにモルディブ行きの航空券はぼくの誕生日に合わせて安くなっていた。おれはきっとまちがっていない。めぐりあわせというものは、一貫した信念が運んでくるのだ。はるばる南の島まで。

 

彼女

モルディブで八ヶ月ぶりに彼女に会った。このブログでぼくは、まるで彼女なんかいないかのような調子で文章を書き続けているが、旅をしているときもまるで彼女なんかいないかのような顔をして旅をしているわけではない。とここで一応宣言しておこう。以下余談だ。
沢木耕太郎の『深夜特急』には彼女の話が一切でてこないが、当時沢木氏がガールフレンドを日本に残して旅立ったのは後のエッセイでひっそりと明かされている。ぼくはそうした沢木氏の姿勢がかっこいいと思う。彼女がいるから旅に出るのだし、旅に出ているんだから彼女のことを書いたりはしない。そんな沢木氏も旅先で、ガールフレンドがいるか、と訊かれたら、いる、と答えただろう。ぼくもそうだ。海外はポリティカルコレクトネスが厳格なのでプライベートだったりセクシャルな質問は厳禁だと言われるが、それは採用面接などのオフィシャルな場での話で、友人関係になろうとするときは外国人は日本人よりも早い段階で「Do you have wife?」とつっこんでくる。ぼくは「ワイフはいないがガールフレンドはいる」と定型文のように返していた。日本人同士の場合すぐに何県からきたんだという話になり、実家か一人暮らしかということになる。そこで「同棲」だと答えて終了だ。指輪もしているし、隠す気はなく、隠したいケースもない。日本の職場などでときどき「めんどくさいから」という理由で彼氏・彼女の話をまったくしない人間がいるが、理解できない。初手で公開し、適当なところで落ち着かせた方がいろんな意味で有利なのにそう気付かない不器用さが気の毒だとも思う。一方、ブログやSNSで彼女や家族の話を公開するのは、ぼくからすれば格好の悪い行為だ。それが幸せならなおさら誰にも見せるべきではない。人前式(じんぜんしき)という結婚式の形態があるが、あれは素晴らしいと思う。だけど一生に一度だからいいのだ。人前で承認されなければ自分の中で確かなものとならない幸せを幸せとは呼べない。ぼくはこれからも、自分の大切な旅について、まるで彼女なんかいないかのような文章を書いていきたい。そして旅をしているとき、実際に彼女はそこにいないのだ。

(たいchillout)

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